Ep.27 感情パレット(4)「君が好き」
季節は夏だった。
ジリジリと照りつけられる屋上に、真昼間に来るなんてバカだった。
風も吹かないこの空間はただ、俺の体力を奪うだけだ。
神林 猛(中3):
「……あちぃ」
間違えた。
今は夕焼けも見られないし、こんなところに来る必要なんてなかったのだ。
帰ろうと、俺はフェンス前から身をひるがえした。
しかしちょうどそこに、今来たばかりの沙都子が姿を現す。
沙都子:
「ああ、やっぱりここにいた」
差し込む日光が眩しそうに、彼女は目を細めた。
神林 猛(中3):
「……沙都子」
彼女には、この屋上のことを教えていた。
俺と沙都子。
この場所は、俺たち2人だけの秘密の場所だったんだ。
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感情パレット
(4)「君が好き」
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沙都子:
「食材を棚に戻してたら、遅くなっちゃった」
また買い出し付き合ってよね、なんて彼女は言う。
近づく彼女から遠ざかるように、俺は背後のフェンスに背中を預けた。
ガシャンと、金具の響く音が鳴る。
神林 猛(中3):
「何で追ってきたの」
と言った俺に。
沙都子:
「何で逃げたの」
と彼女は言う。
質問返しだなんて、イヤなやつ。
俺は眉間にしわを寄せて、頭を掻いた。
暑い。
頭が日光でクラクラする。
たらりと額から流れる汗が、俺の正常な思考回路を溶かしているようだった。
どうして、俺は逃げたんだろうか。
どうして俺は、沙都子の結婚に心乱されたのだろうか。
そんなの、単純に考えれば簡単なこと。
俺は、沙都子が好きだ。
だから、ポッと出の男なんかに奪われたくなかった。
俺は、あのもみあげ男が嫌いだった。
沙都子と出会ったのなんて、俺より後のくせに、とんとん拍子で彼氏になりやがった。
沙都子をあの食卓から引きずり出そうとする男に、腹が立つ。
神林 猛(中3):
「沙都子……」
沙都子:
「ん?」
神林 猛(中3):
「……俺、沙都子が好きだ」
沙都子の目が見開いた。
そんな沙都子に、俺はどこか、ぼぉっとしながら右手を差し伸べる。
彼女の頬に滑り込ませると、髪をかきなぜた。彼女の髪も、汗でしっとり濡れていた。
神林 猛(中3):
「結婚なんか、しないでよ」
沙都子:
「……猛」
戸惑う彼女が、俺の名を呼んだ。
俺は不器用に、彼女を抱きしめた。
暑い炎天下の中、むわっと互いの体温と汗が鼻をつく。
でも、それさえも俺の心をぎゅっと締め付けて、何だか切なくさせた。
激しくなる動悸はきっと、彼女にも伝わっている。
恥ずかしいけど、丸聞こえなんだろう。
そうだよ、俺は沙都子が好きだよ。
導き出したその答えは、俺に安堵をもたらす。
腕の中で沙都子は、そっと俺の胸を押した。
いつの間にか、俺より小さくなっていた彼女はこちらを見上げ、優しく笑う。
沙都子:
「私も……あんたが好きだよ」
神林 猛(中3):
「!」
沙都子:
「家族のように……愛しく思ってる」
神林 猛(中3):
「………」
神林 猛(中3):
「……!!」
もし、他人がこの会話を聞いていたのならば。
彼女のこの言葉は、ひどく残酷なものだったろう。
男が女に好きだと伝える。
それがどんな意味を持っているのかなんて、普通に、単純に考えればわかるものだ。
でも。
でも、そうだ。
俺たちは普通じゃなかった。
普通じゃない出会いをして、不思議な食卓を囲んで、不思議な絆を築いていた。
そう、それはまるで。
恋というには、あまりにも尊くて。
愛というには、あまりにも拙い感情。
「家族のように愛しく思ってる 」
彼女の、この言葉。
それを誰よりも欲していたのは、他でもない───俺だった。
神林 猛(中3):
「……っ!」
顔が赤くなる。
暑さのせいじゃない。
俺の本音を、沙都子がとっくに見透かしていたことがわかって、いたたまれなくなったからだ。
そうだよ、俺は悔しかったんだ。
せっかく手に入れた、沙都子という存在。
孤独だった俺に、温かい空間と食卓を与えてくれた彼女を取られることが、どうしても嫌だった。
恋愛感情という、わかりやすい感情のタグをくくりつけて。
でもその内面にあったのは、ただ母親を見失った迷子のような、幼い寂しさだったんだ。
バカな俺。
出会った頃から、何にも変わっちゃいない。
沙都子:
「──ねぇ、猛」
沙都子は、少し困ったように笑っていた。
薫風が地上から吹き上げ、この屋上まで届いて彼女の髪を揺らす。
沙都子:
「私は新しい家族を作るけど、今の家族と別れるわけじゃないの」
沙都子:
「つながっているの。離れていても」
神林 猛(中3):
「離れて……いても?」
その単語に嫌な予感がして、思わず繰り返す。
沙都子はその予感に答えるように告げた。
沙都子:
「私、結婚したら北海道に引っ越すの」
神林 猛(中3):
「え!?」
沙都子:
「彼の実家がそっちで……農家を受け継ぐんだって」
酪農家なのよ、なんて沙都子は笑う。
神林 猛(中3):
「沙都子も手伝うの?」
沙都子:
「当たり前。農家の嫁よー! 超大変!」
神林 猛(中3):
「似合わないな」
沙都子:
「まぁやってたら、似合うようになるかもよ?」
社畜ライフもこれでおしまいね、なんて彼女は笑う。
えくぼが浮かび、日光によって濃い影を作っていた。
可愛い沙都子。
年上のくせに、屈託なく笑う。
俺は、そんな沙都子が大好きだ。
その時の感情は、恋愛と呼ぶには少し、違ったかもしれないけれど。
でもちょっとだけ──その要素も入っているのかもしれないなんて思った。
だって感情なんて、一括りにできないんだ。
いつだって変化して、変わっていって。
パレット上の絵の具のように、様々な感情の色をそこに作り上げていく。
俺のパレットにある今の色も、きっと変化していく。
ただ、今は──。
神林 猛(中3):
「沙都子」
沙都子:
「ん?」
それはきっと、夏の暑さのせいだ。
この炎天下なら、神様もきっと許してくれる。
沙都子の額にキスをした。
汗ばんだ彼女の額は、少しじっとりとしていて俺の唇を濡らした。
沙都子:
「!!」
彼女は珍しく俺に赤い顔を向け、額を抑える。
俺も恥ずかしかったけど、俺のせいで赤くなった沙都子の表情が見られて嬉しかった。
絞り出すように言葉を吐く。
神林 猛(中3):
「……幸せになれよな!」
沙都子:
「!」
彼女はまだ額に手を当てたまま、えくぼを作って笑った。
沙都子:
「……うん!」
そうして彼女は、この街からいなくなった。
◇ 続く ◇




