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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第二章 安全運転にて走行中《2年生編》
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Ep.27 感情パレット(2)「秘密の場所」

 キィ……と鈍い音を立てて、その扉は開かれた。


 近所の、とあるビル。

 その屋上の扉につけられた南京錠は、じつはきちんと閉められてはおらず、簡単に外すことができる。

 一見するときちんとかかっているように見えるので、気づいている人は少ないだろう。


 それを四年前に、見つけていた。

 それからここは、俺だけの秘密の場所となる。

 まぁ今は、俺だけの場所じゃないけれど。


 神林 猛:

「いい景色が見れるぜ」


 堂本 信広:

「お、おう」


 後ろからついてきた堂本くんを促して、俺は屋上へと誘導した。

 そこには時間帯のせいで、眩しいほどに輝いた夕日が、オレンジ色を街に溶かして待っていた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 感情パレット

(2)「秘密の場所」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 フェンスはゆうに3メートルはあり、しっかりとまわりを囲っている。

 そこに近づいて、俺と堂本くんは並んで目の前の景色を見つめた。


 神林 猛:

「今、ちょうど夕焼け時間だなー。グッドタイミング」


 堂本 信広:

「………」


 隣に立つ堂本くんは、右手の指をフェンスの網に引っ掛けて、ぼうっと目の前を眺めていた。

 黒く染めた髪の毛も、今は夕日に反射して、不思議な色を浮き上がらせている。

 小さく彼はつぶやいた。


 堂本 信広:

「……川も見える」


 神林 猛:

「ああ、姫泣川ね」


 彼はどうやら、遠くにあるこの街の象徴とも言える姫泣川を見ていたようだ。

 まるで金箔を散らした帯のように、1本横たえるそれは、キラキラと水面を反射させてあたりの街に溶け込んでいる。


 神林 猛:

「キレイだよな。こっからだと全体も見えるし」


 堂本 信広:

「……ああ」


 あの川は、彼にとって何か思い入れのある場所なのだろうか。

 じっと、しばらく見つめていた。

 そしてふと、思い出したかのように、こちらを見る。


 堂本 信広:

「俺にここ、教えちゃってよかったの?」


 神林 猛:

「え?」


 堂本 信広:

「貴重な場所なんじゃないの、ここ」


 そう言って瞳をそらした彼は、戸惑っているようだ。

 広がる綺麗な街並みの景色に心を震わせながらも、どうして俺がここを教えたのかわからず、困惑している。


 ……そうだなぁ。

 なんでだろうな、と俺は笑う。


 笑ってそうして、ずっと思っていたことを口にした。


 神林 猛:

「お前、なんか似てるんだよ」


 堂本 信広:

「え?」


 神林 猛:

「昔の俺にさ」


 堂本 信広:

「!?」


 失礼なことにやつは「ゲッ」と、小さく言いやがった。

 うーん、こういう反応するって、わかるんだよなぁ。


 堂本 信広:

「似てねーよ!」


 神林 猛:

「いや、容姿の話じゃないからな? こう何つーか、ツッパリ具合とか。捻くれ具合とか」


 堂本 信広:

「俺はツッパっても捻くれてもねーし」


 いやいや、ツッパってるし捻くれてるよ。

 俺は思わず苦笑した。

 どうしてだろうな。こいつになら、話してもいいやなんて思い始めている。


 神林 猛:

「俺、昔お前くらいの時にさ、万引きしたことがあったんだ」


 堂本 信広:

「!」


 突然の俺のカミングアウトに、やつは何を思ったのだろう。

 口を小さく開け、息を止めた。


 神林 猛:

「スーパーで何度も繰り返した。万引きしたやつは、食ったり使うこともなかったけど」


 万引きしたものは紙袋に入れて、クローゼットに放り込む。

 何が目的で、それをしていたのかなんて、当時の俺にはわからなかった。

 ただ、その時の俺にはただ1つの考えが頭を占めていた。


 見られていないなら、悪いことをしてもいい。


 そう、例えば、人も車も通らない赤信号を律儀に待つことなんてしなくていい。

 財布が落ちていたのなら、届けずに中身だけ抜き取ればいい。

 だって、誰も見ていないのだから。

 見られてないのなら、悪いことなんてバレやしない。

 バレない悪事なら、ないのと同じ。

 それなら、悪いことをしても、していないことになる。


 ……なんて、理屈をこね回して万引きを続けていた。


 でも。


 神林 猛:

「けど、した後は何だか無性に侘しくなってさ。ここによく来てたんだ」


 神林 猛:

「何だろ……一種の懺悔行為だったのかな」


 神林 猛:

「結局俺、耐えきれずに万引きしたやつ買い取ったんだよ。無駄金だったよな」


 そうして小さく笑う。

 当時の記憶が夕日の中、鮮明に思い出されていく。


 そうだ。

 結局、俺は耐えられなかったのだ。

 だってやっぱり、見られていたから。

 他人にじゃない。

 自分が、ずっと見ていた。

 自分の行いを。


 堂本 信広:

「………」


 堂本 信広:

「俺は、万引きなんかしねーし」


 ボソッとつぶやいた堂本くんに、思わず苦笑した。


 神林 猛:

「ああ、わかってるよ。ただ、聞いてほしかったんだ」


 神林 猛:

「ちなみに俺は、金髪にはしてなかったからな」


 堂本 信広:

「……うるっせぇなぁ」


 口を尖らせてつぶやく堂本くんは、以前よりもやはり柔らかい表情をしている。

 この子も、もしかしたら出会えたのだろうか。

 捻くれた心を、ほぐしてくれる存在に。


 神林 猛:

「……ま、堂本くんも気に入ったんなら、ここ利用してよ」


 堂本 信広:

「別に気に入ったなんて言ってねーし」


 うーん、堂本くんの方が、俺よりも捻くれ度は上かもしんないね。

 なんて思って、俺はまた笑ってしまう。



 ・   ・   ・



 堂本くんは先に帰り、俺は1人、屋上にまだポツンと立っていた。

 秋風が吹き込んでくる野外は、少し寒い。

 夕日も半分以上が姿を隠していて、もうすぐ夜にバトンタッチすることを街に知らせていた。

 白い月も、主張が強くなっている。


 神林 猛:

(月もキレイだなぁ)


 なんて思って、空を見上げる。

 あの頃、本当にここにいれば、心のモヤはスッと薄くなった。

 でも、決してなくなることのなかった罪悪感は、いつだって燻ったまま俺の心の奥に潜んでいた。


 だが、それをやんわりとすくい取ってくれる存在に、当時の俺は出会ったのだ。


 その人は、近所に住むお姉さん。

 縁もゆかりもない、ただの近所の人。

 その人は俺が万引きをしていたことに、気づいていた。

 万引きしたものを俺がスーパーで買い取ったその日。

 彼女は俺を、食事に誘ってくれたのだ。


 当時俺は14歳。彼女は27歳。

 ひとまわり以上も年の違うその人と、なぜか俺は食卓を囲む羽目になったのだ。




 ◇ 続く ◇

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