Ep.24 ブラザー(5)「バカだよな」
夜になり始めた夏の空の下、1人で歩く。
近くの姫泣祭に向かう小さな兄弟が、そんな俺の横を駆け抜けていった。
当然のように先を走る兄の男の子は、必死についていく弟を振り返りもしない。
それを見ていて俺は、遠い過去を思い出していた。
幼き頃の、俺と克弘だ。
どうして今頃、そんなことを思い出してしまうのだろう。
そんなのはわかっていた。
羽鳥のせいだった。
お姉ちゃんだから、と背筋を伸ばしたあいつの後ろ姿。
それが目に焼き付いて、離れなかった。
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ブラザー
(5)「バカだよな」
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自宅付近になると、二階の窓から電気がもれていることに気がついた。
そしてその窓から1人、こちらを見ていることにも。
克弘だった。
やつは俺の姿を確認すると、スッと窓から退いて姿を消した。
金田 信広:
「……っだよ」
ムカつきを小さく吐き捨てる。
玄関を開け中に入ると、リビングから母さんが出てきそうな気配がして、すぐに俺は階段を駆け上がった。
階下からは俺の名を呼ぶ母さんの声が一瞬聞こえたが、それも無視する。
自分の部屋に逃げ込む。
小腹は少し減り始めていたが、一階に行くこともしたくなくて、ベッドへそのままダイブした。
その時、鍵をかけることのできない部屋の扉を誰かが開けた。
金田 信広:
「! 克弘……?」
さっき、俺を無視したはずの克弘がそこにいた。
手には、皿に乗せられたおにぎりを持っている。
金田 克弘:
「呼び捨てにすんなっつってんだろ」
克弘は読めない表情でそう言って、窓際の勉強机にその皿を置いた。
ベッドにうつ伏せになっている俺を、ちらりと見てつぶやく。
金田 克弘:
「母さんが食えって」
金田 信広:
「……」
さっき窓から立ち去ったのは、これを持ってくるためだったのか。
テーブルに置いたらさっさと出ていくかと思った克弘は、そのまま俺の机の椅子に座った。
どうしたのかと思った俺は身を起こす。
ギッと、克弘は椅子の背もたれを鳴らした。
金田 克弘:
「……お前さ。どうしたい?」
金田 信広:
「……どう、て……」
俺は、ベッドに座る体勢に変える。
克弘はそんな俺を見ているが、何を考えているかはその視線からは読み取れなかった。
ただ、静かにこちらを射抜いている。
だけど。
金田 克弘:
「父さんには……ついてくなよ」
金田 信広:
「!」
そう言った克弘は一瞬、辛そうに眉をしかめた。
金田 克弘:
「あいつについていったって、お前が苦しいだけだ」
金田 信広:
「……」
金田 克弘:
「あいつは、お前だけは連れて行きたがってたけど、それは意地のせいだ」
金田 克弘:
「子どものことなんか何も考えてない」
金田 克弘:
「……ついていっちゃいけない」
最後は、搔き消えるような声になっていた。そんな克弘の声は、初めて聞いた気もする。
なぜ、こうも頑なに父さんについていくなと言うのか。
父さんを憎し気にあいつ呼ばわりするのか。
そんなの俺にはわからない。
わからないんだよ──克弘。
金田 信広:
「……ついてかねーよ。学校変わるの、たるいし」
金田 克弘:
「! そうか……」
ならいい、と克弘は小さく息を吐き出して、正面の窓を見つめた。
どこか安堵したようにも見えたその顔に、俺は少しだけ苦しくなる。
なあ克弘。お前はいっつもそうだよな。
必要なこと以外、何も話そうとしないんだ。
金田 信広:
「……克弘は、どう思ってんの?」
金田 克弘:
「え?」
俺の言葉に、克弘はふたたびこちらを見る。
少しだけ緊張している俺は、喉から小さく声を吐き出した。
金田 信広:
「親のこと、本当はどう思ってんの?」
金田 克弘:
「どうって……」
克弘は少しだけ動揺したような表情をしたが、それも一瞬ですぐになくなった。
金田 克弘:
「もう諦めてるよ。昔は悲しくもあったけど……」
めずらしく、小さく笑う。
それはどこか幼く見え、克弘がまだ俺と3つしか違わない高校2年生だということを再認識させた。
そうして、昔のことを思い出す。
昔から仲の悪かった両親。
今は冷戦状態だが、あの頃はいつも、ケンカばかりだった。
家の中で飛び交う罵詈雑言、散らかる部屋の物音。
それを聞こえないように、克弘は俺の両耳を塞いでいてくれた。
金田 克弘(幼少期):
「ノブ、だめだ。聞いちゃだめだよ」
自分だって聞きたくなかったくせに。
まだ幼かった自分の手を、目の前で何も知らない俺の両耳に当てて、ぎゅっと目をつぶっていた。
そんな克弘の両手は、その頃の俺には大きく感じて。
そして、温かかった。
金田 信広(幼少期):
「にーちゃん?」
金田 克弘(幼少期):
「……大丈夫だ。きっともうすぐ終わるから」
そう言う克弘は、俺を守るためか、それとも怖さですくんでいたのか、背中を丸めて俺の視界をさえぎっていた。
克弘はバカだ。
手だけですべての音を、塞ぎきれるわけないじゃないか。
かすかに聞こえる両親の怒声。
目の前には、同じ境遇でつらいはずなのに、気丈に涙をこらえている克弘がいた。
ただお兄ちゃんってだけで。
ただ早く生まれたってだけで。
今の俺よりも幼かった克弘は我慢して、耐えていた。
バカだ──本当に、バカだよな。
金田 信広:
「………」
そして、羽鳥のことも思い出していた。
兄や姉というものは、本当にバカだ。
いつまでも弟や妹が、小さいままだと思っている。
もうその下のやつだって、守ってもらっているばかりの存在じゃないと、どうして気づかないんだ。
金田 信広:
「兄貴、我慢すんなよな」
金田 克弘:
「!」
俺はそれだけ言うと、テーブルに置かれたおにぎりの皿に手を伸ばす。
ラップを外してすぐにかぶりついたのは、久しぶりに兄貴呼ばわりした自分にどこか気恥ずかしさがあったからだ。
金田 克弘:
「……ノブ……」
克弘は、そんな俺を一瞬驚いたように見て。
そしてふっと、小さく笑った。
金田 克弘:
「お前は、我慢しないからなぁ」
金田 信広:
「うるっせぇなぁ」
せっかく人が心配してやったのに、と憤慨する。
でも、そこまで実は腹立たしくはならなかった。それに克弘も気づいたのだろう。珍しく微笑んだまま、言葉を続ける。
金田 克弘:
「……俺も、1つ食っていいか?」
俺はうなずく。克弘もおにぎりを1つ手に取って、向き合って食い始めた。
おにぎりの具は鮭だった。
母さんのおにぎりの、昔からの定番だ。
でも、それさえも久しぶりに味わうような気がして、どこか懐かしい。
金田 克弘:
「うまいな」
克弘が小さくつぶやく。
そうだな、と俺は思った。
思ったけれど、言えなかった。
おにぎりをこうして、克弘と食っているだけで、何だかすぐに、腹がいっぱいになりそうで。
喉元がつっかえそうで。
昼に神林という男と食べたときにも感じた感覚に、戸惑っている。
でも、どうしてなのか、今の俺にはわかっている。
心が、いっぱいだから。
心が何かで、いっぱいになっているから。
満腹にすぐになってしまって、苦しいんだ。
そう気づいて食べたおにぎりは、どこか塩がきつく、しょっぱかった。
◇ 続く ◇




