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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第二章 安全運転にて走行中《2年生編》
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Ep.24 ブラザー(4)「可愛くねぇの」

 へたり込んだ羽鳥は、なかなか立ち上がらなかった。

 らしくなくうつむいて、まつげを伏せている。

 そんな羽鳥に何を言えばいいのかわからず、俺はふと思いついたことを口にしていた。


 金田 信広:

「お前、兄貴がいるの?」


 羽鳥 梢:

「え?」


 羽鳥が驚いたように、パッと顔をあげた。


 羽鳥 梢:

「何で……」


 金田 信広:

「さっき言ってたじゃん。助けてお兄ちゃん、て」


 羽鳥 梢:

「……!」


 すると羽鳥は、また顔を伏せる。

 顔にかかる髪の毛が邪魔なのか、耳に掻き上げた。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 ブラザー

(4)「可愛くねぇの」


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 太鼓の音が、遠くから聞こえる。

 祭り囃子が、この小さな神社にもかすかに届いていた。

 目の前の羽鳥は、しばしの沈黙の後に、そっと囁くように言った。


 羽鳥 梢:

「……いたの。昔」


 金田 信広:

「え?」


 羽鳥 梢:

「お兄ちゃん……死んじゃったけど」


 金田 信広:

「!」


 重い告白に、自分の体が緊張したのがわかった。

 兄の死。

 脳裏にふと、俺の兄貴の克弘の顔がよぎる。

 こいつ……そんな暗い過去を持っていたのか?


 が、しかし。

 次の羽鳥のセリフで、その緊張はとけた。


 羽鳥 梢:

「て言っても……私が生まれる前だけど」


 金田 信広:

「……はぁ?」


 つい素っ頓狂な声が口からもれ出る。

 何だよそれ! 心配して損したぜ!


 そんな俺を見て羽鳥は苦笑する。

 少しばかりいつもの調子が戻ってきたのか、その笑顔は柔らかかった。


 羽鳥 梢:

「でもね、すごく優しいお兄ちゃんなんだよ」


 金田 信広:

「会ってもねーのにわかるのかよ」


 羽鳥 梢:

「……うん。わかるよ」


 わけわかんねぇ。

 明るくて真面目で笑顔の羽鳥は、いつもわからないやつだが、今のこいつは別の意味でわからない奴だった。

 何だか調子が狂う。


 羽鳥 梢:

「金田くんが来たとき、お兄ちゃんかと思っちゃった」


 金田 信広:

「……」


 呆れた。

 兄という存在に夢見ているなんて、こいつはやっぱり頭はいいけど、バカなんだろう。


 金田 信広:

「兄貴なんて、うざいだけだ」


 その言葉に、羽鳥がきょとんとこちらを見た。

 俺がそんなことを言い始めたことに、少しばかり驚いたようだ。

 でも、今日1日イライラしていた俺は、家族や兄貴への鬱憤《うっぷん》が溜まっていた。

 それを吐き出すかのように、羽鳥の言葉を否定する。


 金田 信広:

「兄貴なんてな、たまたま同じ家に生まれた、ただの他人なんだよ」


 金田 信広:

「助けてくれる? ──バカみてえ」


 金田 信広:

「年上ってだけで見下したりする、偽善者だ」


 羽鳥 梢:

「……金田くん?」


 口が止まらない。

 羽鳥が戸惑っているのも、わかっている。

 ああ、でも、ちくしょう……脳裏の克弘が俺を笑っている。

 バカだな、冷静になれよ、と冷たい目で俺を見て背を向ける。


 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!


 羽鳥 梢:

「………よく、わからないけど……」


 羽鳥は戸惑いつつも、俺の目を見つめてきた。

 それはいつしかの、黒曜石のような黒い強い瞳で。


 羽鳥 梢:

「私はね、お姉ちゃんなの。下に妹がいて……」


 羽鳥 梢:

「すごく可愛い。守ってあげたいって思う 」


 そこでコクンと、羽鳥は喉を鳴らした。


 羽鳥 梢:

「でも……時々、私にもそういう存在いたらなって思うの」


 羽鳥 梢:

「お兄ちゃんがいたら……生きてたら、同じように思ってくれたのかなって……」


 金田 信広:

「だから、そんなの……」


 羽鳥 梢:

「うん、ただ夢見てるだけだよね」


 羽鳥は何かを振り払うかのように、にこっと笑った。

 急に、立ち上がろうとする。

 地面に手をつき足に力を入れるが、浴衣のせいか、まだ腰が抜けているのか、もたついた。

 俺が仕方なく立ち上がり腕を引っ張り上げると、羽鳥は嬉しそうに笑った。


 羽鳥 梢:

「ありがとう」


 金田 信広:

「……」


 怯えはもう顔を引っ込めたのか、笑っている羽鳥はいつもの羽鳥だ。

 今さらながらに俺の顔のケンカ傷に気づき「どうしたの? 大丈夫?」なんて聞いてくる。


 ただ震えている女の子ではなく、芯を1本背筋に入れたかのように真っ直ぐ立つ、しっかり者の委員長がそこにいた。


──もう立ち直ってやがんの。可愛くねぇ。


 羽鳥 梢:

「もうそろそろ、行かなくちゃ」


 家族が待ってる、と羽鳥はつぶやく。

 いつしかハンバーガー店の窓越しに見たこいつの家族を思い出す。

 優しそうな両親に、まだ無垢とも言える年齢の妹らしき女の子。

 理想的な家族。

 理想的な姉妹。


 羽鳥 梢:

「じゃあね、金田くん」


 羽鳥 梢:

「本当に──ありがとう」


 今日だけで、何度のお礼を俺に言っているのか、羽鳥は最後にまたそう言って去っていく。

 残された俺は、静かに階段を降りていく彼女の背中を、ただ見つめていた。


 帯のリボンが、微かに揺れる。

 カラコロと、下駄の音が遠ざかる。


 凜とした背中はあっという間に消えて、小さな神社に俺は残された。


 金田 信広:

「…………」


 しばらくして、俺も神社から出た。

 遠くに見える祭りを楽しむ人々の中に、無意識に羽鳥の姿を探す。


 見つかるはずもない。

 ……と思ったが、橋の上で河川敷を見下ろしたら、すぐに見つけることができた。

 家族とはちゃんと合流できたらしい。

 それぞれ灯りの着いた灯篭を持って、両親と妹に囲まれ笑っている。


 金田 信広:

(あんなことがあったってのに……)


 もう笑ってやがる。

 きっとあの調子じゃ、襲われたことも秘密にしてしまうんだろう。

 頼ることや甘えることに慣れていない。

 いや、そもそもその仕方を知らないのかもしれない。


 そんな羽鳥は、隣の妹の鼻水が気になったのか、巾着からティッシュを取り出し世話を焼いている。

 いつもそうしているかのように、慣れている手つきだった。


 金田 信広:

(本当は……怖かったくせに)


 震えていたくせに。

 へたり込んで動けなかったくせに。


「お姉ちゃん」の仮面をつけた羽鳥は、もう、しっかり者の長女として家族の中にいた。


 金田 信広:

「……可愛くねぇの」


 俺はそれを面白くない気分で見て、やがて視線をそらして立ち去った。




 ◇ 続く ◇

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