9.謎解き
ミシェル・オーリアは『お人形』だった。
それは自己認識の話であり、本物の人形なわけではない。しかしきっと周囲からもそう思われているのだろう。
常にぼんやりとした無表情、整った顔立ちによく手入れされた身なり、自己主張をすることのない無口な唇。
(いつからだったかしら……?)
ミシェルは思う。
幼い時はミシェルもそうではなかった。それなりに笑いよく話す子どもだった。
しかし環境がそれを許さなかった。
厳格な父はミシェルが泣くことを嫌った。涙を流せば流すだけ叱責され、手の甲を叩かれた。
ミシェルが誰かに笑いかければ、それは媚びだと母は言った。相手が目上でも目下でも、感情をあらわにするのははしたなく、常に冷静さを保たなくては心ない者たちの餌食にされてしまうと注意を受けた。
うかつな発言は毒だった。幼いミシェルが目下の男爵令嬢のブローチを一言褒めたことがあった。可愛らしい猫のブローチ。ただ可愛かったから素敵だと言っただけだ。けれどその発言を受けてその令嬢の父親は嫌がる娘からそのブローチを取り上げるとミシェルへとそれを献上した。
それ以来、ミシェルは『お人形』になった。
しゃべらず、表情も変えず、ただぼんやりと当たり障りなく存在している。
美しいだけのお人形だ。
だから今回の糾弾にも、ミシェルは強く自己主張することなどできなかった。
問われれば答える。けれど弁明を叫ぶにはミシェルの諦めは深すぎた。
父親は会場までは送ってくれたが、着いた途端に仕事に戻ってしまって今はいない。本来の夜会ならそんな真似は許されないが、学園主催の夜会は予行演習のようなものなのでそれが許された。
ーーたとえ、そんな真似を本当にする人間などほとんどいなかったとしても、ルールとしては許容されている。
ミハエルはミシェルのことをかばってくれようとしているが、立場上それがよろしくないこともわかっている。ミハエルもまた、ミシェルと同じ教育をされて育ってきた。同じように無表情で無気力な兄。彼にもミシェルにも、同じ諦めがただよっている。
けれど。
今、ミシェルの目の前には『聖女』を名乗る人物がいる。
人々の批難の視線が突き刺さったあの時、『ミシェルは犯人ではない』とはっきりと言葉にして断言した人だ。
今もまた、ミシェルのことをかばうようにして聖女は目の前に立っている。
その黒曜石の瞳にはまぶしいほどの光が宿り、すべてを見透かすように周囲を見渡した。
「ーーさて、」
ルカはこれまでとは打って変わって、真っ直ぐに立っていた。その姿は小柄だが姿勢が良く、堂々としているためか実際よりも大きく見える。 最初に会場に姿を現した時の酔っ払った姿とは大違いだ。
「まずはこれを見てくれ」
そう言うとルカは近くのテーブルからワイングラスを手に取り、その中身をマノンのドレスへと勢いよくぶちまけた。
「きゃっ!!」
「貴様ぁ!!」
マノンは小さく身をすくませクリスが怒鳴るが、それを無視してその濡れた部分の布を一枚めくってみせる。
「これは……、どういうことだい?」
ついで、同時にめくって並べるようにして見せられた先に濡らされていた部分の布と見比べて、ジュードは眉をひそめた。
今回の事件で濡らされた部分はしっかりと内側の布にもワインが染みこんでいるのに対し、ルカが今かけた方は表面の布こそ濡れているものの、内側の布にはほとんど染みていなかった。
「このドレスの汚れは、内側から汚されたということだ」
さきほどドレスをめくった時、『外側よりも内側のほうが濡れている範囲が広い』とルカは言った。
通常、今ルカがしてみせたように外側からワインをかけたのならば、そのようなことは起こらない。
ルカの断言に周囲はざわめいた。エラが真っ青な顔をして口を開く。
「な、何をわけのわかんないことーー!」
「手がかりはドレスとドレスの汚れた部分が『冷たかった』ということだ」
それをさえぎってルカは話しを続ける。
黒曜石の瞳が周囲をゆっくりと見回した。
「この会場内は暖かい。それにっも関わらず汚れた部分はいまだに冷えていた。これの意味することはひとつ。つまり『冷たい何か』がそこに仕込まれていたんだ」
いまや会場はルカの独壇場だった。先ほどまで不審の視線で見ていた人々も、今は静かにルカの説明に耳を傾けている。
ルカは近くのテーブルにあったシャーベットを手に取る。それはこの事件のせいで長い時間放置され、もうわずかな氷の破片が浮かぶ液体へと成り果てていた。
「あ」
それを見てジュードの目の色が変わる。
彼も理解したのだろう。
ルカは彼にうなずいてみせた。
「彼女はドレスの内側に、ワインを氷状に固めたものを仕込んでいたんだよ」
「……っ!!」
エラが息を呑む。
「何を馬鹿なーーっ」
「マノン嬢は『ドレスが冷えていた』と言ってたろ。それは仕込んだ氷が溶けないようにわざと冷えた場所にドレスを保管していたからだ。今は冬。着替えた後にすぐ外に出れば、そうそう氷は溶けださない。少なくとも内側で少しにじむくらいで外から見えるほどに溶け出すことはないだろう。だが長時間これだけ暖かいホールにとどまりダンスでも踊れば、摩擦で氷もけずれるし熱で溶け出して液体に戻るはずだ」
そして良い頃合いを見計らって彼女は声を上げたのだ。
ミシェルがワインをかけた、と。
もはやホール内にはルカの言うことを馬鹿にする者はいなかった。みんな信じられないものを見るように、しかし確かな疑いをもってエラのことを見ている。
「疑問なのは、ミシェルが近くにいるタイミングで声をあげたのは元々の計画だったのか、というところだ。それとも偶然都合のいい場所にいたからとっさに巻き込んだのか……」
「そんなわけないじゃない……っ!!」
エラは爆発した。
「馬鹿じゃないの!? わたしが!? どうして!? そんなことする理由なんてないじゃない……っ!! ねぇ、マノン! あなたは信じてくれるわよね!? わたしはそんなことしないって!!」
その問いかけにマノンは無言でうつむく。
それにエラはさらに怒りで顔を真っ赤に染めた。
「なに黙り込んでるのよ!! かばいなさいよ! いままで散々世話焼いてあげたでしょ!?」
「やめないか!」
その時、今にもマノンにつかみかかろうとするエラのことを、一人の男性が止めた。
短く切りそろえられた青い髪にブラウンの瞳。鼻の下に整ったひげをたくわえた男性を見て、彼女は声をあげる。
「お父様っ!!」
その顔からは一気に血の気が引き、真っ白になっていた。
「落ち着きなさい、エラ」
おそらくエラのエスコート役はこの父親だったのだろう。彼は静かに彼女の肩に手を置くと、ルカのことを振り返った。
その眼光は、鋭い。
「証拠はないんだろう?」
「残念だけどね、伯爵」
ルカは首を横に振る。
「このドレスの汚れはどう考えても外側から汚されたものじゃない。にも関わらずあんたのお嬢さんは『ミシェルが汚している瞬間を見た』と証言しているんだ」
確かに現状証拠はない。しかし、
「それは自白と同じだよ」
彼は息をのんだ。
ルカは続ける。
「それにちゃんと調べれば汚れている部分にポケットのような仕掛けがあると思うよ。氷が落ちてきたら困るし、内側のしみが足に接触して濡れていることにすぐに気づかれても困るから。たぶんポケットの内側は水が染みにくいように分厚い布を使ってるんじゃないか? だからマノン嬢は声をかけられるまで濡れていることに気づかなかったんだ。少なくともこの事件はこのドレスを仕立てた段階で仕組まれていたのは確かだ。犯人はあんたの家の誰かでしかありえない」
「……」
「たぶん自分がしゃしゃりでなければ早々に汚れたドレスは着替えさせて破棄する予定だったんだろう。だからあらかじめ替えのドレスも会場内のどこかに用意させているはずだ」
それこそ、休憩室で着替えるように彼女は最初誘導していた。その後着替えの件を持ち出さなかったのは、おそらくルカが『脱いだドレスをちょうだい』などと言ったせいだ。




