10.犯行の理由
ルカの発言に彼は何かを考え込むように黙り込んだ。そして再びその唇が開くよりも早く、
「なぜ、そのようなことをしたんだい?」
横から静かな声がした。ジュードだ。
彼はその秀麗な顔に憂いを宿してエラのことを見ていた。
「きみはマノン嬢と大変仲良くしていたと記憶しているけどねぇ。そんなきみが、なぜ彼女を傷つけるとうな真似を?」
「……ふ、ふふっ」
その問いかけに彼女は笑った。最初はうつむきながら、しかしそれは徐々に大きな哄笑へと変わる。
「エ、エラ……?」
そのあまりに異様な雰囲気に、マノンは恐る恐るといったように彼女の名前を呼んだ。それに彼女はきっ、ときついまなざしを送る。
「『仲がいい』? そんなわけないでしょ! 大っ嫌いよ! こんな貧乏人!!」
「エラ!!」
その発言を父親は咎めた。しかしエラは止まらない。そんな父親のことを振り仰ぎ、敵意を向ける。
「お父様が『仲良くしろ』、『取り入れ』と言ったから関わってただけよ! じゃなきゃ、なんでわたしがこんな子の召使いのような真似をしなきゃなんないのよ!! わたしは伯爵家の娘よ!? 本当なら! わたしだって殿下の婚約者候補だった……っ!!」
彼女は地団駄を踏んで叫ぶ。
「なんでよ! なんで……っ!! このドレスだって!! あんたのその馬鹿みたいなドレスを仕立てるために、わたしのドレスはいっつも安物よ!! あんたを引き立てるためのデザインにしろなんて、なんで言われなきゃなんないわけ!?」
「そんな……」
エラの慟哭にマノンは顔を真っ青に染めた。
彼女はそんなことは知らなかったのだろう。
(まぁ、確かに……)
この世界は比較的豊かとはいえ、工場が存在しない以上、布や服の生産は基本的には職人の手仕事だ。ゆえに一枚一枚の単価も高い。
二人分の服、それもドレスを行事のために用意するのは大変だろう。労力的にも、金銭的にもだ。
エラのドレスも別にものすごい安物というわけではない。しかし彼女はずっと『一番』良いドレスはマノンに譲ってきたのだ。
それはとても屈辱だったのだろう。
泣き叫ぶエラに、父親はその肩をつかんで揺さぶる。
「エラ! やめないか!」
「なによ!! わたしのことなんかどうでもいいくせに!! 殿下に選ばれなかったわたしなんて、興味ないんでしょ!? ほっときなさいよ……っ!!」
彼女は力強くその手を振り払った。そして笑う。
「ざまぁみなさい! お父様!! せっかく実の娘をないがしろにしてまで媚びを売ったのに、これで何もかも台無しね!」
「エラ……っ!!」
穏やかそうに見えていた父親の顔が怒りに染まる。その表情からは娘への心配などは読み取れず、ただただその行動への憤りに満ちている。
そして彼は手を振り上げ、彼女の頬へと振り落とした。
「おい……っ!!」
ルカは慌てて手を伸ばしたが、間に合わない。
パァン……ッ、という鋭い音が響き渡る。
「……っ」
「この、馬鹿娘が……っ!!」
エラは打たれた頬を押さえた。その目は見開かれ、父親の吐き捨てた言葉も耳に入っているのかわからない。
「捕らえなさい」
ルカのそばに立つジュードが、そう憲兵たちに囁くのが聞こえた。
「ふ、ふふ……」
くぐもった笑い声がする。
エラは頬を押さえて再び笑っていた。
その青い髪は頬を打たれたことで乱れ、まるで逆立っているようにも見える。
ブラウンの瞳はぎろりと不穏な光を宿して周囲を睨めつけた。
その細い手が、ドレスのスカートをゆっくりとたくし上げる。
「一体なにを……、」
言いかけたルカの視界に『それ』は現れた。
最初に目に飛び込んできたのは禍々しいまでに紅く輝く魔石。そしてそこから細く真っ直ぐに伸びる漆黒の金属。
指揮者のタクトのような形をしたそれは、魔道具だ。
ぞわり、と肌があわ立った。
(なんだ……?)
わからない。わからないがーー、とても恐ろしく感じる。
彼女がその漆黒のタクトを振った。その先端が向けられた先はーー、
(自分……?)
ルカだった。
「……っ!!」
直後、氷の結晶がルカの立っていた場所を貫いた。それはエラの立っていた位置からルカの元まで真っ直ぐに地面を伝って移動し、大理石の床を地割れのように破壊する。
「……?」
逃げることもできずただ目をつぶって身をすくませていたルカは、しかし予想した衝撃も痛みもなかったため恐る恐るまぶたを上げる。
開いた視界の中で、間近にアメジストの瞳がぶつかった。
その紫色がにこりと微笑む。
「無事なようでなにより。ああ、動かないように。きみが動いても邪魔にしかならないからねぇ」
ジュードだ。
彼はとっさにルカのことを抱えて逃げてくれたらしい。まだ危機から脱していないにも関わらず、ルカは思わず胸をなで下ろした。
そしてすぐに首をかしげる。
「ん? 邪魔にしかならない?」
「そうだろう? 君は運動音痴だからねぇ」
ルカの疑問にひょうひょうと言葉を返しながらも、彼は警戒するようにエラの方へと視線を向けた。
とたん、目の前を氷の結晶が空気を引き裂いて通り過ぎる。
「……おっ、」
「口を閉じて。噛まないように」
慌てて口をつぐむのと同時にジュードは駆けた。人ひとりを抱きかかえているとはとても思えない速度で彼は素早く移動する。その軌跡を追うようにすれすれの位置を氷が貫いた。
「くそっ! ちょこまかと……っ!!」
「いけないなぁ、淑女がそんな下品な言葉遣いをするなんて……」
ただ床を砕くだけでまるで手応えがないことに焦ったのか、そう吐き捨てたエラに彼は目を細める。
アメジストの瞳には凍えるほどの侮蔑が現れていた。
「減点だ」
その言葉とともに彼は手のひらを前へと突き出す。その指にはめられた指輪についていた深い海のように青い宝石が輝きを放った。
直後、その手から青白い光が放たれる。
雷だ。
それは真っ直ぐに突き進むと、ひときわ強い輝きを放ちながらエラの手にある漆黒のタクトに直撃した。
「きゃあああっ!!」
彼女はそのタクトを耐えきれず取り落とす。触れていた右手が痛むのか、押さえ込みながらうずくまった。
「捕らえろ」
再び放たれたその言葉に素早く憲兵たちがエラのことを取り囲む。
エラ自身に直撃したわけではないとはいえ、接触してしまった手の痛みがあるのだろう。彼女はもう抵抗する気力もなく、憲兵たちに助け起こされる。
「……いいのかよ、魔道具は持ち込み禁止だろ」
その様子を目の端で見ながら、ルカはジュードの腕から降りた。
そしてちらりと彼の指にはめられた指輪を見る。
今回は正直助かったとはいえ、明確なルール違反である。
それを学長自らが率先して犯すなんて一体どんな言い訳をすることやら、と彼を見ると、
「いざという時のためだよ。学長権限というやつだねぇ」
ひょうひょうとのたまった。
それを人は職権乱用という。
と、当たり前のことを言ったところで効果はないのだろう。さてどう言葉を返したものか、と頭を悩ませていると、彼はいつも通りの姿勢の良い立ち姿でぱちり、とウインクをひとつして見せた。
飛び散るエフェクトの輝き。そして余裕しゃくしゃくのその表情。
「実際、役に立っただろう?」
「……まぁな」
否定することはできずにルカはうなずいた。
乱れた髪を直しながら、息をつく。
彼のこの余裕が崩れることなどあるのだろうか?
(いや、きっとないな……)
もしもあるとしたら、その時はきっととんでもない天変地異でも起こった時に違いない。
天変地異の前触れではない。前触れ程度ではきっと彼はその事態に対応することに忙しく、余裕を崩すことなどないだろう。
まだ助かる見込みがあるうちは、彼はきっと戸惑わない。
崩すとしたら、もうどうしようもないことが確定した『その瞬間』だ。




