11.ミシェルの感情
「どうして……」
その声がしたのはそんなことをぼんやりと考えている時だった。振り返るとそこにはマノンがいた。
彼女は両手で顔をおおうとさめざめと涙を流す。
「わたし……、わたしが……」
「マノン!」
その肩をクリスが抱えた。彼は精一杯落ち込む彼女を支えようと、その気持ちと比例するかのように声を張る。
「大丈夫! 大丈夫だ!! ……ミハエル! これから俺たちは少し落ち着いてから学園の寮へと戻る! おまえは先に戻って暖かい飲み物でも用意しててくれ!」
その指示に、名前を呼ばれたミハエルは瞬いた。そしてぼんやりとした感情の読めない無表情のまま、
「申し訳ありません、殿下」
と謝罪を口にした。
それはあまり申し訳ないとは思っていなさそうな茫洋とした口調だ。
「その指示には従えません」
「……は?」
鳩が豆鉄砲をくらった、とはまさにこのような表情のことを言うのだろう。そのような顔をクリスは浮かべた後、徐々にその言葉の意味を理解したのかその顔がみるみる赤く染まっていった。
「おまえ……、こんな時にそんな戯れ言を……っ」
「戯れ言ではありません」
その怒りにもやはり彼は淡々と応じる。
シンプルな真っ黒な燕尾服に飾り気の一切ない身なり。それだけで言えば地味そのものだが、その美貌がそのような印象を起こさせない。
銀色の瞳はまるで月のように静かで、冴え冴えとしていた。
「もう、あなたには従えません」
「……っ!! おまえ、一体何を言っているのか……っ」
「わかっております」
彼は動じない。月の瞳はそこで初めて、わずかな怒りをにじませた。
「殿下、あなたは俺の妹を疑われた」
「……っ、それはっ!!」
「そして疑いが晴れたにも関わらず、そのことについて一切の謝罪がございません」
「……っ!!」
「……おやおや」
突如始まったやりとりに、はたで見ていたジュードが愉快そうにふっ、と笑う。
「どうやら反逆劇が始まるようだよ」
その面白がるような物言いにルカは顔をしかめた。
「人の不幸を楽しむなよ」
彼は肩をすくめる。
「楽しむ程度しかできないだろう。むしろ笑ってあげることに感謝してほしいねぇ」
そのアメジストの瞳がすぅと温度を失った。
「部下からの信頼を失うなど……、とんだ失態だ」
(怖い……)
ルカは首をすくめる。
ジュードは能力のある者は身分を問わず引き上げることで知られている優秀な為政者だ。
実際、彼が学長に就任してから学園に進学する優秀な平民は目に見えて増えたらしい。
しかしその一方で、能力の低い者ーー、正確には能力が低いにも関わらず高望みをする者に彼は厳しい。
(……って言ってもここまであからさまなのはやっぱり第一王子に対してだけだけど)
通常ならば、彼はそういった者には興味を失うだけで相手がつっかかってこない限りは見下しこそすれ、わざわざ嫌みを言うという労力すら払うことはない。
さきほどもそうだったが、やはり対立陣営であることから第一王子クリスに対しては多少攻撃的になっているのだろう。
「そのような不誠実な方に、俺はもう従いたくはありません」
物見遊山二人のやりとりを置いて、ミハエルは淡々と言葉を続けた。
「それは……っ!!」
クリスは何か言い訳をしようとしたのだろう。勢いよく開いたその口は、しかし、
「こう言い換えた方がよろしいでしょうか」
ぴしゃり、とミハエルに封じられた。
彼はその月の瞳に侮蔑するような色をにじませて、じろりとクリスのことを睨む。
「もうこれ以上、俺の大切な家族を愚弄するな、と」
「……っ!!」
さすがのクリスも己の非を悟ったのか、ぐっと何かを飲み込むと拳を握ってうつむいた。
「……すまない、謝罪する」
「俺に謝られても困ります」
しかしそれに応じるミハエルはにべもない。
その声はどこまでも平坦で、表情はぴくりとも微動だにしなかった。
クリスは顔を真っ赤に染めると、やけくそのような勢いでミシェルの方を振り返る。
「すまなかった……!!」
(おいおい……)
ルカは呆れた。
その大声の謝罪はそれほどに投げやりで、聞いている側にあまり謝罪の気持ちは伝わってこない。
(こういう時は嘘でももう少ししおらしくしてくれ……)
見ているこっちがいたたまれない。
さて、それを受けたミシェルは一体どうするのかと視線を向けると、彼女は静かに瞬きをひとつした。
その表情からはやはり戸惑いも怒りも、なにひとつ感情が読み取れない。
彼女はゆっくりと口を開いた。
「クリス殿下……、その謝罪を受け入れる代わりに……、今からわたくしのおこなう無礼を許してはいただけませんか……?」
「一体……」
その提案にクリスは不愉快そうに眉をひそめたが、
「…………」
「……っ、許可する!」
無言のミシェルの圧力と、周囲からの視線にすぐに屈してそう宣言する。
「ありがとうございます」
彼女はそう言ってゆっくりと丁寧な所作でカーテシーをしてみせた。そしてその月のような瞳で、真っ直ぐにクリスのことを見つめる。
「……殿下、わたくしは幼い頃よりあなた様のことを見ておりました。同い年であるわたくしはずっと……、殿下と将来結婚することになるのだと、そう言い聞かせられて育ってきました……」
「……っ、ミシェルっ」
クリスはそこで初めてショックを受けたような顔をした。その足が彼女に吸い寄せられるようにふらりと一歩前へと踏み出す。
それに彼女の瞳は柔らかく潤んだ。その口元が今日初めてゆるみ、まるで雪解けを迎えた春のようにその表情がほころぶ。
「殿下、わたくしは、ずっとあなた様のことが……」
「み、ミシェル、俺はなんてことを……っ!」
美しい桃色の唇が吐息をこぼす。
「大っ嫌いでした」
それはそれは、とても美しい微笑みだった。
クリスの顔面は凍った。
「な……っ、なっ!?」
「以上でございます……。これで『無礼』はお互い様でございますね……?」
驚く周囲を置いてけぼりにして、流れるような仕草で兄のミハエルが彼女の前に腕を差し出す。それにミシェルも当たり前のような顔をして、その白魚のような手をそっと添えた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次の話で一章は終わりになります。もう少しお付き合いください。




