10.証拠
その目にはもうさきほどまでの余裕はない。
彼女はいかにも名案を思いついたというように言いつのった。
「そう! そうよ! 証拠よ!! 確かにあたしは屋上にいなかったかも知れないわ! でもそれだけじゃない!! わたしがやったって証拠は!?」
アンナがその勢いに押されつつも、
「わたしは確かにあなたがやったのをこの目で……」
と告げようとしたが、
「あんたの証言だけじゃない!!」
それはすぐにさえぎられた。
そう怒鳴るアニエスの目を血走っている。
「あんたが嘘をついて、あたしをおとしいれようとしてるのかも知れないじゃない!! そうよ! そうに決まってるわ!!」
その彼女の渾身の叫びの後、部屋には沈黙が落ちた。彼女が肩で息をする音が静かな室内に響く。
みな無言でその姿を見ていた。ある者はその最後の悪あがきに呆気にとられ、ある者はその見苦しさにあきれていた。
だが確かに、彼女が認めない限り確証はない。
状況的には確実にアニエスが犯人だ。しかし密室で二人きりで行われた犯行ゆえにその断定は難しかった。彼女がそれなりに高位の貴族であるということがその難しさにさらに拍車をかける。
それでもおそらくはなんらかの理由をつけて謹慎処分くらいにはできるだろう。それくらいに彼女は疑わしすぎる。過去二件の被害者含めて三人分の証言があればそのくらいはなんとかなりそうなものだ。
ーーそのくらいは。
つまり、『暴行事件の犯人』として処罰するのは難しい。罰則は受けても、それは行った行為に対してはるかに軽い処罰になる。
それは被害者たちにしてみれば、業腹だろう。
さて一体どうしたものか、という戸惑いの空気が流れる中、すっ、と一歩前に進み出る人物がいた。
黒檀のような黒髪に黒曜石の瞳。
ルカだ。
「どうして『服を切り刻まれた』とわかるんだ?」
彼は静かに、しかしはっきりとよく通る声でそうたずねた。
「自分は一言も、いや、自分だけじゃない。この場にいる誰も『制服を切られた』だなんて口にしていない」
「……っ!?」
「あんた以外は」
その白い指先がアニエスのことを指さした。突きつけるように向けられた指先に、彼女はあえぐ。
「そ、それは……っ」
しかしそこから先は言葉が続かなかった。
「どうやら決着のようだねぇ」
椅子に座っていたジュードが立ち上がる。
「コリーナ嬢には屋上にいたというアリバイがある。それこそ僕たちがその『目撃者』だよ。これ以上の悪あがきはやめなさい」
「……っ!!」
アニエスは急に身体から力が抜けたかのようにだらりと両手を落とした。
「……。ヘクター」
「はい」
ジュードの呼びかけに彼は静かに返事をする。
「あとのことはおまえに任せるよ」
「……承知いたしました」
そのままうやうやしく頭を下げると、
「ではアニエス・オベール。あなたのご実家にまずは報告をさせていただきます。あなたは処遇が決まるまでは寮の部屋で謹慎となります。部屋までは……、わたしが送っていきましょう」
それは彼なりの温情だったのだろう。虚脱したようなアニエスの様子は、確かにいまにでも自傷行為に走りかねないほどに不安だった。
そのままヘクターが彼女に手を伸ばし、その手をつかもうとしたところで、
ぱんっ、という乾いた音が響いた。
アニエスがヘクターの手を振り払ったのだ。
「触らないでっ!!」
そう叫んだ彼女の瞳には再び強気な光が宿っていた。そのまま彼女は窓際まで駆けると、制服の内ポケットから何かを取り出す。
「黒い……、鏡……?」
それは真っ黒な手鏡だった。小さなそれは女子生徒ならば持っていても不思議ではない。
しかしその中央には、禍々しい紅い宝石が輝いていた。
「……っ! 魔道具の持ち込みは禁止されています! アニエス・オベール!!」
ヘクターが厳しい声でいさめてそれを取り上げようと近づく。
「来ないでっ!!」
アニエスの叫ぶ声と、
「ヘクター!!」
ジュードが呼ぶ声が重なった。
手鏡が光を放つ。その光が無数の矢に変わると、まるでシャワーのようにヘクターへと降り注いだ。
「おい……っ!」
思わず一歩前に出ようとしたルカの胸が強く押され、そのまま後ろへと尻もちをつく。それと入れ替わるようにしてジュードは前に飛び出した。
その指にはめられた指輪が輝き、青白い光が走る。
その光がヘクターの前を横切るように走ると、そこに向かって放たれていた光の矢が小さな破裂音とともに消滅した。
ジュードの魔道具から放たれた雷撃が、光の矢を撃墜したのだ。
「……っ!?」
「少しおいたがすぎるようだ」
攻撃をすぐに防がれてしまったことに戸惑ったのか息を呑むアニエスに、ジュードはその手を振った。
その指先から再び雷撃がほとばしる。
それは真っ直ぐにアニエスに向かうとその手に直撃した。
「きゃあああああああっ!!」
悲鳴とともに彼女が倒れる。
しばらくの間、誰も動かなかった。
アニエスが本当に気絶したのか、安全なのかが分からなかったからだ。
しかし彼女がぴくりともしないのを見て、ヘクターはおそるおそる彼女の首元へと手を当てた。
「……生きています。気絶は……、していそうですね」
軽くまぶたを押し上げて、瞳孔を確認して彼は報告する。
「部屋への謹慎だけでなく、しばらく拘束しておきなさい」
ふぅ、とため息をつきながらジュードは告げる。
「……はい。その、殿下、お手数をおかけして申し訳ありませんでした」
ヘクターがそう遠慮がちに言うと、彼はじろり、と嫌そうに睨んだ。
「『学園長先生』」
「……」
「今の僕は『学園長先生』だ。『殿下』じゃない」
「……は、申し訳ございませんでした」
ヘクターはうやうやしく頭を下げた。
*
「ーーで、どうなったよ」
「退学」
ジュードの返答は簡潔だった。
場所はいつものカフェテリアの二階。二人はのんびりとホットワインを飲んでいた。
アニエスの事件からは数日が経過していた。
あの後彼女のことを学園で見ることはなかった。謹慎していたからだろう。
具体的な処分は検討中のようだったため、ルカは久しぶりに学園に出てきたジュードにそれを尋ねたのだ。
(退学か……)
まぁそうだろうと思う。暴行事件だけでもとんでもないことだが、さらには魔道具を持ち出して暴れたのだ。
「退学だけ?」
「まさか。彼女は修道院に行くことになったよ。本当はオベール家の爵位の降格も検討していたんだが……、一部領地を国に差し出し、アニエス嬢自身はもう家には戻さないと約束したからそこで手を打ったんだ」
「はぁ……」
すました顔をしているが、その処分に関して思うところがあるのか少し不機嫌そうだ。
「……あの魔道具。どうやって手に入れたんだろうな?」
少し考えてルカは言った。
エラとアニエス。最近起きた事件では二人ともが魔道具を不法所持していた。
魔道具はこの世界にありふれてはいるが、人を害するような武器はそう簡単に手に入れることはできない。
日本で拳銃がなかなか手に入らないのと同じである。
(まぁ、日本よりは緩いか……)
なにせ数十年ほど前まで戦争をしていた関係で、過去の攻撃魔道具が古い家には眠っていたりする。
爵位を持つ貴族の家ならばなおさら、国も手を出しづらいため申告している物以外も隠し持っている可能性は高いだろう。
「出所は現在精査中だよ。まぁ、『古い物ではない』ということだけはわかっている」
「え?」
「うん」
ルカの疑問に、ジュードはうなずいた。
「あんなお嬢さんが、一体どうやって手に入れたんだろうねぇ」
『古い物ではない』。つまり、先の戦争で使用された物ではないということだ。
(家にあったもんじゃなく、わざわざどっかから手に入れた……?)
冬の冷たい木枯らしが、二人の間を通り抜ける。
ジュードは憂鬱そうにため息をついた。




