7.ジュード
「うん、大丈夫だよ」
その返事は背後から現れた。予想外の角度からの返答に、彼女は驚いて弾かれるようにして振り向く。
そこにはーー、
「やぁ、アニエス嬢。ごきげんよう」
「が、学園長先生っ!?」
が立っていた。
美しく輝く黄金色の髪に理知的なアメジストの瞳、その下には特徴的な泣きぼくろがひとつ。
まるで神話に出てくる精霊のように現実離れして美しい男だ。
彼はその薄紅の唇をゆるく笑みの形に歪めて微笑む。
(なんで……、こんな大物が……)
アニエスは愕然とした。
彼は確かにこの学園の校長だ。しかしまだ幼い国王をようする実質的な国のトップでもあり、その立場ゆえに学園内で姿を見ることはまれである。
(『聖女』が入学してからは見かけることが増えたって噂は聞いたことあるけど……)
今代の『聖女』を引っ張ってきたのもジュードだというからわからない話ではない。自らの配下の平民が粗相をしないように見張っているのだろう。しかしだとしても『聖女』や『第一王子』が関わっているわけでもないこの場になぜ姿を現したのかは謎のままだ。
(……でも大丈夫!)
落ち着いて、とアニエスは自身に言い聞かせる。
(わたしのアリバイは完璧なんだから!)
彼女はゆっくりと一度まばたきをすると、切り替えるようににっこりと笑みを作った。
それはとても無邪気であどけない、少女特有の愛嬌のある笑顔だ。
「ごきげんよう、学園長先生。聞いてください! ひどいんです!」
そしてアンナが口を開く前に先手を打つ。
彼女は再び表情を変えた。今度は先ほどまでとは一転して目を伏せた不安そうな顔だ。
「アンナが……、アンナが、ひどいんです! わたしがアンナにひどいことをしたって言いがかりを……。わたしはその時間屋上でアダンと一緒にいたのに! 濡れ衣を着せようとしているんだわ!」
そして意を決したように勢いよく顔を上げる。
その大きな水色の瞳には涙をたっぷりとたたえていた。そのままぽろりと一筋の涙がこぼれ落ち、それをぬぐいもせずに彼女はジュードのことをしっかりと見つめる。
「ねぇ、学園長先生。先生は信じてくださるでしょう? どうか他の方にもおたずねになって! きっとわたしが屋上にいたことを誰かが見ていて証言してくれるはずだわ!」
名演技だ。アニエスは内心で自らの名女優っぷりに惚れ惚れとした。
いかに最高権力者とはいえ、ジュードの公平さは有名な話である。おそらく証拠のないアニエスのことをむやみやたらに責め立てたりはしないだろう。
その彼女の予想の通り、いや、予想以上に軽く、ジュードは
「うんうん、そうだねぇ」
にこやかにうなずいてみせた。それはひよこのお尻の羽毛ほどに軽い口調だった。しかし続けられた言葉は口調の割には重要なものだった。
「確かに目撃したよ」
「え?」
驚くアニエスに、彼は笑う。
「僕自身がね。たまたまカフェテラスにいたから、この目で確かに見たよ」
「……っ!」
そのひょうひょうとした言葉の意味を彼女はじわじわと理解した。
思わず頬が喜色にゆるむ。
それがもしも本当ならば、これほど力強い証人はいない。
「じゃあ……っ!!」
喜び勇んで前のめりになったアニエスの目と、笑っていない冷徹なアメジストの瞳がぶつかった。
「彼らが屋上にいるところをね?」
「……え?」
笑顔が固まる。
彼女には最初その言葉の意味がわからなかった。思わず首をかしげた彼女の背後で、指導室の扉が開く音がする。
そこから入ってきた二人の姿を見て、アニエスの思考は完全に停止した。
「紹介しよう。彼らはアダンとコリーナ。知っているかな?」
そんな彼女の心情など知らないとでも言うかのように、朗々とジュードは告げる。
「きみの恋人と親友だよ」
アメジストの瞳が冷ややかにこちらを見ていた。しかしアニエスは凍りついたまま動けない。
「な、なん……っ」
しばらくしてやっと開いた口からは意味のある言葉は出なかった。息も絶え絶えにひっくりかえった声で、なんとか続ける。
「せ、先生? これは……、これはいったいなんのご冗談ですか?」
「冗談ではないよ、アニエス嬢。僕がこんなつまらない冗談を言うわけがないだろう? 言うならもっとセンスの良いジョークを言うよ」
ジュードはそう言うとアニエスが座ることを拒否した椅子にゆったりと腰掛けた。貴族ばかりが通う学園だ。使用する椅子も当然ながら安物ではない。しかしそれは学び舎ゆえにシンプルな飾り気のない椅子だった。その木製の華奢な椅子が、彼が座るだけでまるで玉座のような風格をただよわせる。
彼はのんびりとひじかけにもたれかかってほおづえをついた。
「実はカフェテラスにいたのは僕だけじゃなくてねぇ」
再びアニエスの後方の扉から足音が響く。
彼女は凍り付いたように振り返ることができなかった。しかし足音はそんな彼女を無視して脇をすり抜け、ジュードの隣へと立つ。
「『真実の聖女』も一緒だったんだ」
さらりと絹のように流れる腰まである黒髪に、ぱっちりとした二重の黒い瞳。
薔薇色の柔らかそうな頬にぷっくりとした赤い唇。
額には聖女しか持つことの許されていないサークレット。その中央に飾られたセレスフィアルが燦然と輝く。
その身体の小ささもあいまって、愛らしいと称されていかるべき少女がそこには立っていた。




