6.アニエス
数時間後、アニエスは笑っていた。
赤みがかった栗色の髪に大きな真っ赤なリボン。勝ち気な水色の瞳を満足そうに細め、彼女は赤い唇をつり上げた。
(ああ、なんてちょろいのかしら!)
彼女は教師から呼び出しをくらっていた。用件までは言われなかったが、どうやら『また』指導室へと向かうらしい。
それは以前の二件の時とまったく同じ展開だった。
(まぁ、今回は発覚が思ったよりも早かったわね)
前々回は数日後、前回は翌日だった。
当日に呼び出されたのは今回が初めてだ。
(次回からはもうちょっと目立たない場所でやらないと……)
今回のアンナも生意気な女だった。なにせアニエスのことを差し置いて、先日の夜会でドレスの評判をかっさらっていったのだから。
最初は言い返してきた彼女も、ハサミを片手に『話し合った』らすぐにおとなしくなった。
まぁ、とはいえ、反抗的な態度は気に入らなかったから制服を少し切り刻ませてもらったけれど。
(確かに『あの格好』で移動してたらすぐになにかあったのはバレちゃうわね)
今回の発覚が早かったのはそれも原因だろう。
「ヘクター先生、いったい用事ってなんなんですか?」
アニエスを連行するために前を歩く教師に彼女はすっとぼけてたずねた。
教師に呼び出されたとはいえ、アニエスはまったくなんの心配もしていなかった。
なにせアニエスには鉄壁のアリバイがあるのだ。その時間が明確にわかるようにアニエスは犯行に昼食休みの時間を選んだ。その方が目撃者も多くなりやすいし、犯行時刻が誰から見てもわかりやすい。アンナにも正確な時間がわかるようにと、彼女の持っていた懐中時計を目の前で壊して針を止めておいたのだ。
「なんの用事かはつけばわかりますよ」
余裕しゃくしゃくの彼女に、ヘクターは疲れたようにため息をついて言った。
ボサボサの黒髪にしょぼしょぼと眠そうな黒い瞳、くたびれたスーツ姿の男性教師の背中には、加齢臭と哀愁がただよっている。
アニエスはこの貧相な担任のことが気に入らなかった。単純に彼女の美意識には適わない存在だったからだ。ただ彼は決して声を荒げない。過去二回の事件の時も、彼は淡々と事実を確認するだけで怒鳴るどころか眉尻をつり上げることすらしなかった。アニエスはその弱気な態度のことは気に入っていた。
「あらなにかしら? 成績優秀なわたしへのご褒美?」
歌うように告げる彼女の目の前で、指導室の扉ががらりと開かれる。ヘクターは手のひらで中に入るようにと促した。
「いいえ。この学園ではいち教師が成績を理由に特定の生徒に対してなにか優遇を図るということはありません。奨学金は申請していただければ条件を満たしている場合は通ります」
そのつまらない言葉と共に通された部屋では、予想通りの光景が広がっていた。
中にいたのはアンナだ。針金のような緑がかった黒髪に、冷静な黄色い瞳。銀縁の眼鏡は繊細な意匠をほどこされたしゃれたものだ。
(さっきは悔しそうに黙り込んでいたくせに)
制服を切り裂いてやった時はよほどショックだったのか、目を見開いて固まっていたというのに。そのくせ今はそんな出来事などなかったかのように落ち着きはらった様子で彼女は背筋を伸ばして椅子に腰掛けていた。
そのことに苛立ちを感じる。
その対面に用意された椅子に腰を下ろすこともせず、アニエスは腰に手を当てて彼女の目の前に立った。
「あら、なに? アンナじゃない! わたしになんか用?」
「用事がなかったらあなたなんかと話さないわ」
いつもと同じ、つんとすまして彼女はそう告げる。
その態度にアニエスはさらに苛立つ。
(『お仕置き』が足りなかったみたいね!)
あれだけ怯えていたくせに、喉元を過ぎたら忘れてしまったらしい。
「アニエス・オベール。そこにかけなさい」
にらみ合う彼女たちの間を引き裂くように、ヘクターはそう淡々と指示をした。
「……用件をまだ聞いていないわ」
とても椅子に座る気にはなれず、アニエスは立ったまま言った。それにヘクターは小さくため息をつく。
「そこに居るアンナ・バリエが暴行にあいました」
「まぁ」
彼女はまるで今初めてその事実を知ったといわんばかりに眉をひそめてみせた。
「それはお気の毒ね」
「……。彼女は加害者はあなただと言っています。アニエス・オベール」
「言いがかりだわ」
間髪入れずにアニエスは応じる。
水色の瞳には侮蔑の色が浮かんでいた。
「わたしはそんなことはしていないわ。ヘクター先生はアンナの一方的な証言を鵜呑みにするつもり?」
「いいえ、アニエス・オベール。しかし……」
「その『暴行』っていつあったの?」
アニエスはアンナをにらみつける。それを冷静な黄色の瞳が応じるように見返した。
二人の間に火花が散る。
「昼食休憩の時間よ、アニエス」
口火を切ったのはアンナだった。彼女はことり、と小さな音を立てて机の上に壊れた懐中時計を置く。無残にもたたき壊されたそれは十二時二十三分を示して止まっていた。
アニエスは笑う。
「あら残念ね。その時間ならわたしはアダンと一緒にご飯を食べていたの。屋上でね!」
完璧なアリバイだ。あまりにも想定通りの展開に思わず高笑いが漏れ出てしまいそうだった。
「嘘だと思うなら証人を探してください。屋上だもの、きっと誰かが見てくれているはずだわ!」
わざと大きな音や目立つ場所で注目を集める。過去二件もそうやってうまくいったのだ。今回も目撃者がいないわけがない。
アニエスは自信満々だった。黙り込んでしまったアンナの様子に価値を確信する。
ほの暗い喜びでその瞳を輝かせて、唇をつり上げるとアンナのことを見下すようににらみつけた。
「あなた、こんな言いがかりをつけてただで済むと思ってるの?」




