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第9話 体育祭①

ある日のホームルームで、坂本先生が言った。


「来月の体育祭に向けて、今日から種目の希望を取ります」


相変わらず、抑揚の薄い声だった。黒板に種目名が並んでいく。騎馬戦。障害物競走。綱引き。玉入れ。クラス対抗リレー。


坂本先生はチョークを置いて振り返った。


「最後のクラス対抗リレーは、例年どおり配点が他の種目の3倍です。ここで差がつくことが多いので、総合順位に直結します」


教室が少しざわつく。先生はそのまま続けた。


「今年も4人制です。3人は通常の短距離区間ですが、アンカーだけ200m走になります。足の速さだけでなく、スタミナも考慮して決めてください」


アンカーだけが200m。ただ短距離が速いだけでは足りない。配点が一番重い種目の、一番重要な区間だった。



「リレーのアンカー、黒川でよくない?」


田中がそう言った。その言葉で、教室の空気が少しまとまった。


「だって黒川、足めちゃくちゃ速いじゃん。1学期の運動テストも一番速かったし」


「運動系なら何やっても上手いよな」


黒川は腕を組んだまま前を向いていた。何も言わない。でも、口元だけがほんの少し動いた。否定も肯定もしない。当然だろ、みたいな空気だけが残る。


窓側の席で、佐々木咲良が「黒川くんならアンカー強そう」と言った。中村も「それはわかる」と頷く。


クラスの流れが、じわじわそっちへ傾いていった。黒川がアンカーを走る。それが自然な結論みたいに、教室の中に広がっていく。


坂本先生も特に何も言わなかった。黒川の運動能力は先生も知っているし、そもそもこういう場面で強く仕切るタイプでもない。


その瞬間、パネルが光った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION】


難易度:極


クラス対抗リレーのアンカーを務め、1位でゴールせよ。


体育祭当日が期限。

この種目に出場しなかった場合、ミッション失敗とみなす。


【達成報酬】

運動神経 上昇

筋力 上昇

体格 上昇


特別スキル付与の可能性あり

━━━━━━━━━━━━━━━━━


俺はその表示を見た。


難易度:極。夏休みのMISSIONと同じ難易度だった。あれは40日間の自己改造そのものだ。それと同格のものが、今ここに出ている。


しかも特別スキル付与の可能性あり。


夏休みに手に入れて、校舎裏で使い切った《オーバードライブ》。あれに近いものが、また手に入るかもしれない。


アンカーを務めて、1位でゴールする。


黒川が最有力候補としてクラス全体に認識されている、この状況で。



黒川颯太。部活には入っていない。でも、そういうのが関係ないタイプだ。


1学期の体育でも、どの種目でも上位だった。バスケでも、サッカーでも、水泳でも。何をやっても、人並み以上どころか上のほうでまとめてくる。


足の速さは特に目立っていた。


50m、6秒5。クラストップ。


あいつは、練習して身につけた感じじゃない。最初からできる側の人間だ。体の使い方そのものがうまい。


偏差値で言えば、運動神経はたぶん60台半ばはある。


俺の運動神経は、今53だ。


夏休みの40日間と、その後のミッションでかなり上がった。でも、まだ平均ぐらいだ。正直に言えば、かなり厳しい。


そのとき、パネルにさらに文字が追加された。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【INFO】


運動神経偏差値は、反射速度・バランス感覚・空間認識・動体視力など、複数の要素を統合した総合値です。


足の速さは、瞬発力・筋力・フォーム・体型などの複合要素によって決定されます。


運動神経偏差値の差は、必ずしも足の速さの差と一致するとは限りません。


専門的なトレーニングを積むことで、運動神経偏差値以上の走りは可能です。

━━━━━━━━━━━━━━━━━


俺はその文章を読んだ。


運動神経偏差値は、足の速さそのものじゃない。筋力。瞬発力。フォーム。体型。走りは、複数の要素で決まる。


黒川は、生まれつきの運動センスで走っている。


俺は、夏休みから今まで毎朝走ってきた。その事実がある。筋力も57になった。夏から積み上げてきた数字だ。


身長176cm。体重は68kg前後。体格も変わった。足も長くなった。毎朝走り続けたぶん、心肺機能も上がっているはずだ。


それに、アンカーだけが200m。短距離の爆発力だけで押し切れる区間じゃない。


走り込みを続けてきた俺が、有利になれる可能性もある。


……できないとは、言い切れない。



「俺がアンカーをやりたい」


気づいたら、口から出ていた。


教室がざわめく。田中が「は?」という顔をした。黒川がゆっくりこっちを向く。


俺は前を見たまま続けた。


「一番クラスに貢献できることを考えたんだけど、アンカーで勝つのが一番大きいと思う」


教室が静かになった。


「お前が?」


黒川が言った。低い声だった。笑ってはいなかった。


「お前、1学期の体育じゃ後ろから数えたほうが早かっただろ」


そこで何人かが笑った。悪意そのものというより、さすがにそれは、という反応だった。


それはわかる。1学期の俺を知っているなら、そうなる。


「それは1学期の話で」


俺は言った。


「夏休みで体型が変わった。身長も伸びて、体重は落ちた。それに、ずっと走ってきた。200mなら、今の俺でも勝負できると思ってる」


黒川は俺を見ていた。読みにくい目だった。軽蔑でも、怒りでもない。計っている目だった。


田中が口を挟む。


「いや、それでも黒川のほうが速いだろ、普通に。黒川って部活入ってないのに何やっても上手いし。50mもクラストップの6秒5だったじゃん」


「それはそうかもしれない」


俺はそう言ってから、続けた。


「でも、やる前から決める理由もない。俺はクラスを勝たせたくて言ってる。自分ならやれると思っている」


教室がまた静かになった。


どっちがアンカーにふさわしいのか。黒川か、俺か。判断するには、まだ材料が足りない。


「やっぱり、実際に走って決めたほうがいいと思う」


橘がそう言った。


その声で、空気が少し動いた。何人かが頷く。


伊藤も小さく言った。


「たしかに。走ればわかるか」


前のほうでは、佐々木が黙ったままこっちを見ていた。


坂本先生が資料に視線を落としたまま言う。


「体育祭の2週間ほど前に、種目別練習の時間があります。そこで実際に走ってもらって、その結果で決めましょう。客観的な材料があったほうがいいでしょう」


異議は出なかった。


黒川は何も言わなかった。ただ、口元だけが少し引いた。面白くないものを見る顔だった。



放課後、廊下を歩きながら、パネルを確認した。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION】


難易度:極


種目別練習まで:16日

体育祭当日まで:30日

━━━━━━━━━━━━━━━━━


16日で、黒川に勝てる走りを作る。

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