第9話 体育祭①
ある日のホームルームで、坂本先生が言った。
「来月の体育祭に向けて、今日から種目の希望を取ります」
相変わらず、抑揚の薄い声だった。黒板に種目名が並んでいく。騎馬戦。障害物競走。綱引き。玉入れ。クラス対抗リレー。
坂本先生はチョークを置いて振り返った。
「最後のクラス対抗リレーは、例年どおり配点が他の種目の3倍です。ここで差がつくことが多いので、総合順位に直結します」
教室が少しざわつく。先生はそのまま続けた。
「今年も4人制です。3人は通常の短距離区間ですが、アンカーだけ200m走になります。足の速さだけでなく、スタミナも考慮して決めてください」
アンカーだけが200m。ただ短距離が速いだけでは足りない。配点が一番重い種目の、一番重要な区間だった。
◇
「リレーのアンカー、黒川でよくない?」
田中がそう言った。その言葉で、教室の空気が少しまとまった。
「だって黒川、足めちゃくちゃ速いじゃん。1学期の運動テストも一番速かったし」
「運動系なら何やっても上手いよな」
黒川は腕を組んだまま前を向いていた。何も言わない。でも、口元だけがほんの少し動いた。否定も肯定もしない。当然だろ、みたいな空気だけが残る。
窓側の席で、佐々木咲良が「黒川くんならアンカー強そう」と言った。中村も「それはわかる」と頷く。
クラスの流れが、じわじわそっちへ傾いていった。黒川がアンカーを走る。それが自然な結論みたいに、教室の中に広がっていく。
坂本先生も特に何も言わなかった。黒川の運動能力は先生も知っているし、そもそもこういう場面で強く仕切るタイプでもない。
その瞬間、パネルが光った。
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【MISSION】
難易度:極
クラス対抗リレーのアンカーを務め、1位でゴールせよ。
体育祭当日が期限。
この種目に出場しなかった場合、ミッション失敗とみなす。
【達成報酬】
運動神経 上昇
筋力 上昇
体格 上昇
特別スキル付与の可能性あり
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俺はその表示を見た。
難易度:極。夏休みのMISSIONと同じ難易度だった。あれは40日間の自己改造そのものだ。それと同格のものが、今ここに出ている。
しかも特別スキル付与の可能性あり。
夏休みに手に入れて、校舎裏で使い切った《オーバードライブ》。あれに近いものが、また手に入るかもしれない。
アンカーを務めて、1位でゴールする。
黒川が最有力候補としてクラス全体に認識されている、この状況で。
◇
黒川颯太。部活には入っていない。でも、そういうのが関係ないタイプだ。
1学期の体育でも、どの種目でも上位だった。バスケでも、サッカーでも、水泳でも。何をやっても、人並み以上どころか上のほうでまとめてくる。
足の速さは特に目立っていた。
50m、6秒5。クラストップ。
あいつは、練習して身につけた感じじゃない。最初からできる側の人間だ。体の使い方そのものがうまい。
偏差値で言えば、運動神経はたぶん60台半ばはある。
俺の運動神経は、今53だ。
夏休みの40日間と、その後のミッションでかなり上がった。でも、まだ平均ぐらいだ。正直に言えば、かなり厳しい。
そのとき、パネルにさらに文字が追加された。
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【INFO】
運動神経偏差値は、反射速度・バランス感覚・空間認識・動体視力など、複数の要素を統合した総合値です。
足の速さは、瞬発力・筋力・フォーム・体型などの複合要素によって決定されます。
運動神経偏差値の差は、必ずしも足の速さの差と一致するとは限りません。
専門的なトレーニングを積むことで、運動神経偏差値以上の走りは可能です。
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俺はその文章を読んだ。
運動神経偏差値は、足の速さそのものじゃない。筋力。瞬発力。フォーム。体型。走りは、複数の要素で決まる。
黒川は、生まれつきの運動センスで走っている。
俺は、夏休みから今まで毎朝走ってきた。その事実がある。筋力も57になった。夏から積み上げてきた数字だ。
身長176cm。体重は68kg前後。体格も変わった。足も長くなった。毎朝走り続けたぶん、心肺機能も上がっているはずだ。
それに、アンカーだけが200m。短距離の爆発力だけで押し切れる区間じゃない。
走り込みを続けてきた俺が、有利になれる可能性もある。
……できないとは、言い切れない。
◇
「俺がアンカーをやりたい」
気づいたら、口から出ていた。
教室がざわめく。田中が「は?」という顔をした。黒川がゆっくりこっちを向く。
俺は前を見たまま続けた。
「一番クラスに貢献できることを考えたんだけど、アンカーで勝つのが一番大きいと思う」
教室が静かになった。
「お前が?」
黒川が言った。低い声だった。笑ってはいなかった。
「お前、1学期の体育じゃ後ろから数えたほうが早かっただろ」
そこで何人かが笑った。悪意そのものというより、さすがにそれは、という反応だった。
それはわかる。1学期の俺を知っているなら、そうなる。
「それは1学期の話で」
俺は言った。
「夏休みで体型が変わった。身長も伸びて、体重は落ちた。それに、ずっと走ってきた。200mなら、今の俺でも勝負できると思ってる」
黒川は俺を見ていた。読みにくい目だった。軽蔑でも、怒りでもない。計っている目だった。
田中が口を挟む。
「いや、それでも黒川のほうが速いだろ、普通に。黒川って部活入ってないのに何やっても上手いし。50mもクラストップの6秒5だったじゃん」
「それはそうかもしれない」
俺はそう言ってから、続けた。
「でも、やる前から決める理由もない。俺はクラスを勝たせたくて言ってる。自分ならやれると思っている」
教室がまた静かになった。
どっちがアンカーにふさわしいのか。黒川か、俺か。判断するには、まだ材料が足りない。
「やっぱり、実際に走って決めたほうがいいと思う」
橘がそう言った。
その声で、空気が少し動いた。何人かが頷く。
伊藤も小さく言った。
「たしかに。走ればわかるか」
前のほうでは、佐々木が黙ったままこっちを見ていた。
坂本先生が資料に視線を落としたまま言う。
「体育祭の2週間ほど前に、種目別練習の時間があります。そこで実際に走ってもらって、その結果で決めましょう。客観的な材料があったほうがいいでしょう」
異議は出なかった。
黒川は何も言わなかった。ただ、口元だけが少し引いた。面白くないものを見る顔だった。
◇
放課後、廊下を歩きながら、パネルを確認した。
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【MISSION】
難易度:極
種目別練習まで:16日
体育祭当日まで:30日
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16日で、黒川に勝てる走りを作る。




