第42話 対話後
たぶん、このルールをすぐには守れない。
でも、なんとなく、徐々に守れるようになるんじゃないかという自信だけはあった。
根拠のない自信だった。
でも、根拠がなくてもいい気がした。
◇
カレンダーを見ながら、残された期間に何をすべきか整理した。
そのとき、パネルが光った。
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【NOTICE】
精神が安定した状態が継続しています。
ステータスが減少しやすい状況から脱しました。
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「え」
声が出た。
驚いて、すぐにパネルを確認していた。ステータス自体は変わっていない。
確認してから気づいた。
いきなりパネルを見ているあたり、何も変わっていない。
でも、少し笑えた。
間違った方向には行っていない気がした。パネルを見てしまったことより、精神が安定したことの方が今は大事だ。
過去の自分と比較して、ちゃんと安定してきている。
これは、自分の過去と比較するいい使い方なのかもしれない。
◇
水を飲みにリビングへ行くと、里奈がソファにいた。
俺の顔を見て、里奈が少し目を細める。
「今度は何か悟った顔してる。情緒どうなってんの」
相変わらず口が悪かった。
「里奈ってやっぱり、俺のことよく観察してるな」
「だからしてないし」
里奈はスマホから目を離さずに言った。
「兄貴が顔に出すぎ」
そうなのか、と思って、つい洗面台の鏡を見に行った。
いつもと変わらない顔に見えた。そんなに表情豊かには見えない。
でも、里奈には何かが見えているらしかった。
「よし」
独り言だった。
でも、やれる自信があった。
◇
翌朝、教室に入ると、上位カーストの連中が話しかけてきた。
「天野、おはよ」
「週末どうだった?」
そんな声が飛んでくる。
俺は笑顔で返した。
先週より少し、自然に返せた気がした。
◇
昼休みになった。
俺は覚悟を決めて立ち上がった。
教室はいつもの昼休みのざわめきに包まれている。弁当を開いている人間。購買に向かう人間。グループで固まっている人間。
「みんな、ご飯も食べながらでいいから、少し聞いてくれるかな」
声をかけた。
教室が、少しずつ静かになった。
全員が俺を見た。
黒川も、田中も、小林も。
「この前、黒川や田中に俺が酷いことをしてしまった。怖がらせてしまった。過去のことが原因とはいえ、申し訳なかった。もう二度とあんなことはしない」
一度、息を吸った。
「小林も、黒川も、田中も、クラスのみんなも、怖がらせてごめん。それだけ言いたかった。聞いてくれてありがとう」
静かだった。
橘が、拍手した。
一人の拍手だった。
でも、それに釣られるように、クラスの拍手が広がった。
全員じゃなかった。
それでも、広がった。
黒川が唖然としていた。
田中も、口を開けたまま俺を見ていた。
俺が自分の席に戻ると、田中が話しかけてきた。
田中はやっぱり、何でもない会話がうまかった。
そこは参考にしようと思った。
◇
昼休みの後半、小林に声をかけた。
「中庭で食べないか」
小林が少し固まってから、頷いた。
外の空気は少し冷たかった。
ベンチに並んで座って、弁当を食べる。
「小林が変われるかについて」
俺は言った。
「前に、たぶん変われないって言ったけど、意見を変えさせてほしい」
小林が俺を見た。
「実は俺自身が、別の助けがあって変わったんだ。その助けがなかったら、今の俺は絶対にない。それまでは本気で死のうと思っていた」
小林が少し目を見開いた。
「だから、小林ももし困ったら、何かに頼るのもいいのかもと思って。頼りにならないかもしれないけど、俺でよければ相談に乗る。クラスが変わってしまう前に伝えたかった」
小林は、しばらく黙っていた。
「……ありがとう」
小さい声だった。
全く信じていない顔だった。
それはわかった。
今の俺の言葉は、小林には届いていないかもしれない。
でも、それは仕方がないと思った。
言葉は届くまでに時間がかかる。
「LINE、交換しておくか」
小林が頷いた。
QRコードをスキャンした。
◇
その日の夜。
いつものように勉強して、筋トレをした。
それが終わってから、スマホを手に取った。
少し考えてから、打った。
『川島も怖がらせてしまってごめん。それに最近はほとんど話せていなかった。もうクラスも変わってしまうと思うけど、川島と話すのはすごく楽しかった。クラスが変わっても、良ければ声をかけてくれると嬉しい』
送信した。
しばらく既読がつかなかった。
布団に入る前に、スマホを見る。
既読がついていた。
『怖がってなんてないよ。私も天野くんと話すの楽しいんだ。これからもよろしくね』
俺はすぐには返せなかった。
怖がっていない、と言わせてしまった。
本当は少し怖かったはずなのに、川島はそこを俺に飲ませないようにしている。
俺が謝ったはずなのに、また川島に気を遣わせていた。
それが、申し訳なかった。
『ありがとう。そう言ってくれて助かる。でも、もし気になることがあったら言ってくれて良いから』
少しして、川島からスタンプが返ってきた。
いつもの、ゆるいゲームキャラのスタンプだった。
それを見て、少しだけ息を吐いた。
完全に戻ったわけじゃない。
でも、関係が切れたわけでもない。
今は、それで十分だった。
◇
スマホを置いた瞬間、パネルが光った。
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【STATUS COMMIT】
会話力 58 → 60
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少し、息を吐いた。
会話力が動いた。
まだ戻り切ってはいない。
でも、ちゃんと動き始めていた。
一度落ちたものでも、戻せる。
その感覚が、数字として返ってきた。
ゆっくりでいい。
焦って全部を一気に取り返そうとしなくても、今みたいに一つずつ選び直していけばいい。
パネルを閉じた。
今日は、これでいい。
◇
3学期の残りが1週間を切った頃、咲良に声をかけた。
放課後、帰り支度をしている咲良に「少し話せる?」と言った。
咲良が振り返る。いつもの明るい顔だった。
「うん、もちろん」
「ここだと言いづらくて。少しだけ別の場所でいい?」
そう言うと、咲良の表情がほんの少し変わった。
「……うん」
返事はいつも通りだった。
でも、声が少しだけ上ずっていた。
咲良は鞄の持ち手を握り直して、俺のあとについてきた。
◇
廊下の端の、人が少ない場所に移動した。
咲良が俺を見ていた。
いつもの明るい顔をしている。でも、どこか落ち着かなさそうだった。
もしかすると、川島のことを言われると、心のどこかで気づいているのかもしれない。
俺は少しだけ息を吸ってから言った。
「川島のことなんだけど」
その瞬間、咲良の表情が動いた。
「え? 川島さん?」
「二か月近く前に廊下で聞こえてきた。咲良や中村が、川島をオタクって言っていた話が」
咲良が黙った。
「全部は聞いていない。でも、聞こえた」
しばらく、二人とも何も言わなかった。
そのあと、咲良が少し笑った。
「やだな。ただ冗談で話していただけだよ」
いつもの咲良の声に戻そうとしているのがわかった。
でも、戻りきってはいなかった。
「咲良ならわかったはずだ。川島が嫌がっていたことを」
廊下の向こうで、誰かの笑い声がした。
遠かった。
咲良の笑顔が、消えた。
「……怒ってるの?」
声が、いつもより小さかった。
「怒ってるというより、驚いた」
俺は言った。
「咲良が川島を下に見ているように見えたから」
咲良が視線を落とした。
すぐには返事がなかった。
咲良はしばらく下を向いていた。
それから、ぽつりと言った。
「……仁と川島さんが仲良く話しているのを見て」
そこで一度、言葉が止まった。
「なんでかわからないけど、ちょっと嫌だったからかも」
「川島は悪いことはしてないはずだ」
「わかってる」
咲良の声が、少し震えていた。
「わかってる……つもりだった」
咲良はしばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐いた。
顔を上げた咲良の目は、少し潤んでいた。
「仁は、私のこと嫌いになった?」
俺は正直に答えることにした。
「嫌いにはなっていない。でも普段の咲良と、廊下で聞こえた声が、うまく繋がらなくて」
咲良が下を向いた。
「でも、俺も悪かったと思ってる」
「仁が?」
咲良が顔を上げた。
「川島と話さなくなった。川島のためだと思ってたけど、今思うと、俺も逃げてたのかもしれない」
咲良は黙っていた。
「だから、咲良だけを責めたいわけじゃない」
咲良は何も言わず、俺の言葉を待っていた。
「それに、俺は中村にはまだ言えていない。ずるい言い訳だけど、たぶんうまく言えない。言い方を間違える気がして。だから、まず咲良に言った」
少しだけ言葉を探してから、続けた。
「咲良なら、ちゃんとわかってくれると思ったから」
「……そっか」
咲良が少し間を置いてから、小さく頷いた。
「うん。そうだね」
声が静かだった。
いつもの笑い方でも、照れた小さな声でもなかった。
「仁って、そういうところ、ちゃんと言うよね」
咲良が小さく笑った。
「良いところなんだと思う。でも今日は、ちょっとしんどい」
「すまん」
「謝らないでよ」
咲良はそう言って、また少し笑った。
泣きそうな顔で笑っていた。
「仁が正直に言ってくれてよかった。私、あの時は……そんなにひどいことしてるつもりなかった」
少し間を置いて、咲良は続けた。
「でも、それが一番よくなかったのかも。川島さんが嫌がってたの、たぶん見えてたのに」
俺は少しだけ黙った。
「それと、もし中村が次に同じようなことをしそうになったら、気づいて止めてやってほしい。俺も、できるなら言う」
「……うん」
咲良の声は小さかった。
「美玲にも……言えそうなら言ってみるね」
「ありがとう。無理はしなくていい。でも、そうしてくれると助かる」
咲良は小さく頷いた。
「……私、川島さんに謝るね」
「ありがとう」
咲良は少しだけ笑った。
「うん。私も、話してくれてありがとう」
それだけ言って、歩いていった。
◇
夜、パネルを開いた。
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【STATUS】
名前:天野仁
年齢:16
知識 60
学力 62
容姿 66
体格 65
会話力 60
運動神経 65
筋力 65
全項目平均:63.3
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ピーク時にはまだ届いていない。
でも、戻ってきていた。
パネルを閉じた。
でも今日の数字より、今日やったことの方が大事だと思った。
ほぼフラグは回収したため、次の話で最終回です。
〜おまけ エピソード咲良〜
放課後、帰り支度をしていた。
「咲良」
名前を呼ばれて顔を上げると、仁が立っていた。
「少し話せる?」
「うん、もちろん」
何の話だろう。
少し待っていると、仁は少しだけ周りを見てから言った。
「ここだと言いづらくて。少しだけ別の場所でいい?」
その瞬間、心臓が跳ねた。
ここだと言いづらい。
別の場所。
放課後。
3学期の終わり、クラス替え前。
しかも、仁はいつもより真面目な顔をしている。
「……うん」
普通に返したつもりだったのに、声が少し上ずった。
鞄の持ち手を握り直して、仁の後ろを歩く。廊下の端までの短い距離が、やけに長く感じた。
水族館のことを思い出す。
カップル扱いされたこと。
写真を撮ったこと。
帰り際に、またどこか行こうと約束したこと。
もしかして、仁もあの日のことを少しは特別に思ってくれていたのかもしれない。
そんなことを考えてしまって、顔が熱くなる。
廊下の端まで来ると、仁が振り返った。
その表情が、ものすごく真剣だった。
思わず、心臓が高鳴る。
やっぱり、もしかして。
仁が、少し息を吸った。
「川島のことなんだけど」
一瞬、頭が止まった。
「え? 川島さん?」




