第4話 夏休み②「40日後、俺は別人になっていた」
母さんに、美容院と眼科に行きたいと相談した。
コンタクトに変えたいことも伝えると、母さんは少し驚いたあと、俺の顔をじっと見た。
「本気で変わろうとしているんだね」
「……うん」
母さんはそれ以上何も聞かず、15,000円を渡してくれた。
「仁が頑張ってるの、ちゃんと見てるから」
それだけで、胸の奥が少し熱くなった。
◇
眼科では、コンタクトを入れるのに30分以上かかった。ようやくレンズが入って、鏡を見る。
眼鏡がない。それだけで、顔の印象が全然違った。
美容院では、緊張しすぎて声が震えた。
「今日はどういった感じにしますか?」
「……似合う感じにしてください。全部お任せします」
「どんなふうに見られたいですか?」
そこで少し詰まった。かっこよく、とか。別人みたいに、とか。頭の中にはいろいろ浮かんだ。でも、口から出たのは違う言葉だった。
「今より……普通に見られたいです」
美容師は少しだけ真面目な顔になってから、うなずいた。
「じゃあ、清潔感を最優先にしましょう。素材が良いから、かなり印象が変わると思いますよ」
髪を切り、眉を整え、ワックスの使い方を教わる。最後に鏡へ映された自分を見て、息が止まった。
自分だとは思えなかった。
美容院で整えた髪。落ち着いてきた肌。眼鏡のない顔。それがようやく、1つの輪郭になった気がした。
美容院を出た瞬間、達成通知が出た。
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【MISSION RESULT】
MISSION 達成
容姿 49 → 55
体格 50 → 53
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数字を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。容姿が一気に6も上がっている。
もう前の俺とは全然違う。そう言えるくらいには変わっていた。
家に帰ると、リビングに里奈がいた。俺の顔を見たまま、動きが止まる。
「……なにそれ。イメチェンなの」
「まあ、そんな感じ」
里奈はもう一度、俺を見た。それから「ふーん」とだけ言って、スマホに目を戻した。
◇
35日目の夜、またステータスが更新された。
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【STATUS COMMIT:35日目】
知識 41 → 42
学力 46 → 48
容姿 55 → 58
体格 53 → 55
会話力 36 → 37
運動神経 39 → 41
筋力 49 → 51
※身体への反映完了まで最大24時間かかります。
【ブースト効果中】
容姿 / 体格
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でも、ミッションは相変わらず崖っぷちだった。通算4回の項目だけは最優先で行った。
◇
39日目の夜。ミッション状況は、最悪だった。
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【MISSION WARNING】
未達成4日:
ランニング5km / 腕立て伏せ50回 / スクワット50回
体幹トレーニング20分 / 摂取カロリー / タンパク質
英単語30語 / 数学1時間 / 英語1時間 / 睡眠8時間
翌日未達成時、該当項目は失敗となります。
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笑えなかった。ほとんど全部、あと1回で終わる。
明日、本当に、1つも落とせない。
◇
40日目。最終日。
この日だけは、何も落とせなかった。朝のランニング、筋トレ、体幹、食事管理、英単語、数学、英語、国語。全部を確認しながら、1つずつ潰していった。
21時。最後の問題を解き終えた。
全部終わった。
本当に、全部終わった。
達成通知が視界に広がる。
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【MISSION RESULT】
MISSION CLEAR
40日間継続判定:成功
全条件維持ボーナス発動
全ステータス +5
知識 42 → 47
学力 48 → 53
容姿 58 → 63
体格 55 → 60
会話力 37 → 42
運動神経 41 → 46
筋力 51 → 56
全項目平均:52.4
※身体への反映完了まで最大24時間かかります。
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膝から力が抜けそうになった。
余裕の達成じゃない。完璧な40日間でもない。何度も落とした。何度も警告された。あと1回で失敗する項目が、いくつもあった。
それでも、5日目には届かなかった。踏みとどまった。それだけだった。
さらに、画面には続きがあった。
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【SPECIAL SKILL】
特別スキル獲得
《オーバードライブ》
30分間、本来の限界を超えた身体能力を発揮可能。
使用回数:1回限り
使用後、強い反動あり。
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1回限り。使ったら消える。
どこで使う。何のために使う。まだわからなかった。
でも確かに、手の中に何かが来た気がした。
さらに、最後の通知が表示される。
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【SYSTEM NOTICE】
・平均偏差値が50を超えたため、初期サポートの低偏差値対象者向け強化が終了しました。
・容姿 / 体格ブーストが40日経過したため、強化が終了しました。
・以降、システムは通常初期サポート運用へ移行し、成長補助は中程度となります。
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ブーストが終了した。でも平均偏差値が50を超えた。ようやく人並み。
俺は画面を閉じて、洗面台へ向かう。
鏡に映っているのは、夏休み前の俺とは明らかに違っていた。
眼鏡はない。髪は整っている。背は高くなって、顔はむしろ小さくなっているように見える。肌は落ち着き、顔の輪郭も前よりはっきりしている。40日分の努力が、見た目に反映されている。
しかも、明日の朝には、今よりさらに体が数字に追いついているはずだ。
俺はしばらく、その場から動けなかった。
見ていられた。
それどころか、もう少し見ていたかった。
初めて、自分のことを「良い」と思えた。
◇
翌朝。夏休みの最終日。2学期の始業式は、明日だ。
走り終えて家に戻ると、台所に里奈が下りてきた。
里奈は俺を見た瞬間、足を止めた。視線が、顔、肩、腕、足元の順に落ちる。それからもう一度、顔に戻った。
「……その体、どうなってんの」
俺は少しだけ自分の腕を見る。
「変わった?」
里奈は一瞬、何か言いたそうに口を開いた。
でも、すぐに目を逸らした。
「……変わりすぎてキモいから」
そう言って、冷蔵庫を開ける。
麦茶を取り出して、俺と目を合わせないまま台所を出ていこうとした。
けれど、廊下へ出る直前で、里奈が足を止めた。
「……でもまあ」
振り返らないまま、ぼそっと言う。
「それなら友達1人くらいはできるんじゃない」
言い終えると、逃げるみたいに廊下へ出ていった。
俺はその背中を見送った。
普通なら、ひどい言い方だと思う。でも、里奈にしてはかなりまともな反応だった。たぶん、あいつなりには励ましたつもりなんだろう。
少し遅れて、母さんも台所に来た。
「おはよう、仁。朝ごはん――」
そこで声が止まった。
母さんの視線が、俺の顔から肩、腕、足元へと下がっていく。ランニング用のシャツは、夏休み前より明らかに窮屈になっていた。
母さんは、はっとしたように目を見開いた。
「……仁、明日から学校よね?」
「うん」
「制服、大丈夫!?」
「え?」
「明日始業式でしょ。今の制服、着られるの?」
言われて、ようやく気づいた。
試しに袖を通してみたけれど、肩のところでつっかえた。袖も短い。ズボンはウエストこそ緩くなっていたが、丈が明らかに足りなかった。
「……無理っぽい」
「やっぱり……」
母さんはしばらく俺を見ていたあと、メジャーを持ってきた。
「ちょっと、立って」
「え?」
「いいから。壁に背中つけて」
言われた通りに立つ。母さんが俺の頭の上に本を当てて、壁に印をつける。
「……嘘でしょ」
母さんの声が、小さく震えた。
「仁、夏休み前って何cmだったの?」
「165cm。今何cmあるの?」
「……176」
「え?」
「176cm」
母さんはメジャーを持ったまま、しばらく動けなかった。俺の顔を見て、肩を見て、もう一度メジャーを見る。
「仁、これは……さすがに普通じゃないよ」
「……うん」
「成長期で背が伸びることはあるけど、夏休みだけで11cmは聞いたことない」
母さんの声は、さっきまでより硬かった。
「病院に行こう。今日」
心臓が跳ねた。
病院。そう言われるのは当然だった。むしろ、言われないほうがおかしい。
このシステムが、検査結果に何か影響を出す可能性はある。もし今の俺の体に何か異常が見つかったら。学校へ行く前に止められたら。
胸の奥が冷たくなる。
「大丈夫。痛いところもないし、気分も悪くない」
「でも」
「本当に体の調子は良い。それに明日、学校に行きたいんだ」
学校に行きたいと、自分でも驚くくらいはっきり言えた。
「夏休み、ずっとそのためにやってきた。明日は、ちゃんと行きたい」
母さんは黙った。心配している顔だった。
「……めまいとか、息切れとか、変な疲れは?」
「ない」
母さんは、少しだけ表情を緩めた。
「じゃあ、約束して。少しでも痛みや違和感が出たら、隠さないこと」
母さんの声は真剣だった。俺は頷いた。
「わかった。約束する」
母さんはまだ納得しきれていない顔だった。それでも、俺が嘘をついているわけじゃないことだけはわかったらしい。
しばらくして、母さんは急に現実へ戻ったみたいに声を上げた。
「とにかく制服! 今日、買いに行こう」
「え、今日?」
「だって今日しかないじゃない! お店に在庫があるか、今から聞いてみる!」
母さんはそう言って、すぐに学校指定の制服店へ電話をかけた。
数分後、母さんは電話を切って、息を吐いた。
「……1着だけ、近いサイズがあるって。すぐ行こう」
試着室で袖を通す。肩はちゃんと入った。袖も足りている。
カーテンを開けて外に出ると、母さんが俺を見て、言葉を失った。
母さんは少しだけ笑った。泣きそうな顔だった。
「……全然、別人みたい」
◇
夏休み最終日を終え、ベッドで横になる。
システムが起動した直後は、全部30台だった。容姿は32。体格は31。少し前まで、俺の全部は平均より下だった。
それが今、ここにある。
明日、学校が始まる。黒川は変わっていない。田中も、教室も、たぶん変わっていない。
あの教室に入ることを考えれば、今でも胸の奥が冷たくなる。黒川の声も、田中の笑い声も、まだ体が覚えている。
怖くないわけじゃない。
でも、黒川が俺を見たとき、どんな顔をするのか。
田中がどんな声を出すのか。
教室の空気が、ほんの少しでも変わるのか。
怖いのに、その瞬間を見てみたいと思っている自分がいた。
その感覚を抱えたまま、俺は目を閉じた。




