第38話 制裁後②
その日の午後、現代文の授業でグループディスカッションがあった。
扱うのは、最後の一文だけ妙に含みを残して終わる小説だった。主人公がラストで何を考えていたのか。それを6人グループで意見交換して、あとで代表が発表する流れだった。
俺のグループは、俺と中村と橘、それから他に3人。先生が「では始めてください」と言った。
最初に、俺が口を開いた。
「俺は、怒っていたんだと思う。表面上は静かだけど、ラストの直前までずっと我慢していて、そのぶん最後の一文で感情が内側に寄ってる感じがある」
自分なりに、根拠もつけて話した。言い終わると、中村がすぐに返した。
「なるほどねー。私はほぼ逆かも」
そう言って、手元の本文を指でたどる。
「主人公は怒ってたっていうより、かなり悲しかったと思うな。ほら、この文脈があるでしょ。怒ってるならもっと外に向く感じになるけど、この書き方って完全に内側に沈んでるじゃん」
「たしかに。そういう考え方もあるな」
俺がそう返すと、中村は少し得意そうに笑って、それからわざとらしく続けた。
「たぶん主人公は、無料チケットをあげたのに、その感想が謎の虫だったときぐらい悲しかったと思うなー」
「それまだ引きずってんのかよ」
思わず言っていた。
「ちなみにダイオウグソクムシは虫じゃなくて、甲殻類な」
「え、そこ訂正入れてくるの!?」
俺と中村が笑った。でも、そこで止まった。
他の4人は誰も何も言わなかった。橘以外の3人は、愛想笑いだけ浮かべていた。何か言おうとして、やめたみたいな顔だった。
中村たち上位カーストとは明らかに違う。俺に遠慮する、あの感じ。
俺は少し間を置いてから言った。
「なあ。黙ってないで、もう少し意見を出してくれないか。みんなの意見も聞きたい」
また沈黙が落ちた。誰も、すぐには口を開かなかった。
そのときだった。
「わからないの?」
橘が言った。
俺は橘を見た。橘は、いつもの落ち着いた顔をしていた。感情を強く乗せているわけじゃない。でも、目はまっすぐだった。
「天野くんが怖くて、言いづらい雰囲気が出てるんだよ」
教室の音が少し遠のいた気がした。
「あなたのせい」
悪意なのか、助言なのか、判断がつかない言い方だった。ただ事実だけを、静かに置くみたいな言い方だった。それが、余計に刺さった。
「なんだと」
自然に声が低くなった。
「なに?」
橘が返した。
橘はまったく怯えなかった。昨日からクラス中が俺に距離を置いているのに、橘だけはいつも通りの顔をしていた。そのことが、余計にいらついた。
俺は橘を睨んだ。でも橘は視線を逸らさなかった。
中村が、小さく空気を和らげるみたいに言った。
「まあまあ、そういうこと言いたいんじゃなくてさ。たぶん、みんなちょっと緊張してるんだと思う」
でも、そのフォローすら遠く聞こえた。
結局、そのあとのグループディスカッションは、最悪に近い空気のまま終わった。
先生が「各グループ発表してください」と言ったとき、まともな意見として形になっていたのは、結局、俺と中村の分だけだった。他の4人は最後までほとんど口を開かなかった。
◇
授業が終わって、椅子を戻していたときだった。
橘が、さらっと言った。
「昨日のこと、私は良くなかったと思う」
それだけ言って、橘は自分の席に戻っていった。
俺は椅子を持ったまま、しばらく立っていた。
◇
帰り道、川沿いを歩きながら、今日のことが頭の中で何度も回った。
校舎裏でのことは知らないはずなのに、距離を置くクラスメイト。橘の「あなたのせい」という一言。
昨日、教室でやったことは間違っていないはずだ。黒川を止めるには、あれぐらいは絶対に必要だった。
でも、「間違っていない」という言葉が、今日の教室を説明してくれるわけじゃなかった。
◇
玄関を開けると、里奈がリビングから出てきたところだった。
俺の顔を見て、里奈が一歩引いた。
「また怖いオーラ出てるわ。おーこわ」
「なんだよ」
「別に」
里奈が言った。
「さっさと自分の部屋行ったら」
俺は何も言わなかった。靴を脱いで、廊下を歩いて、部屋のドアを閉めた。
◇
部屋に入ると、パネルが光った。
嫌な予感がした。
開く。
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【STATUS COMMIT】
学力 63 → 62
筋力 63 → 62
※精神状態が不安定な状態が続いています。
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見た瞬間、頭が真っ白になった。
下がった。
パネルを見たまま、しばらく動けなかった。
精神が不安定だから、ステータスがマイナスになる。ステータスがマイナスになるから、もっと精神が不安定になる。
どうしろというんだ。
机の上の問題集を開いた。ページを見た。文字が頭に入ってこなかった。閉じた。また開いて、また閉じた。
立ち上がって、筋トレ用のウェアに着替えようとした。上だけ着替えかけて、やめた。
床に座った。天井を見た。何もする気になれなかった。
あまりに疲弊していた。めまいもある。勉強する気力も、運動する体力もない。
夏休みも、2学期も、冬休みも、毎日積み上げてきた。ランニングも、ジムも、問題集も、スキンケアも、読書も。なるべく欠かさないようにしてきた。
でも今日は、本当に何も手がつかなかった。
◇
でも、寝ることもできなかった。
仕方なくスマホを手に取った。ゲームのアプリを開いて、画面を見ながら、ゲーム以外は何も考えないようにした。
考えないようにすると、余計に考えた。
伊藤の「怖かったぞ」が浮かんだ。橘の「あなたのせい」が頭に来た。
ゲームはひどくつまらなかった。
◇
日付が変わる前に、スマホを置いた。布団に入った。天井を見た。
明日からは必ず取り戻そう。
そう思って目を閉じた。
結局は、ほとんど眠れなかった。
◇
翌朝、目が覚めた直後にパネルが鳴った。
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【STATUS COMMIT】
会話力 62 → 61
運動神経 64 → 63
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布団の中でパネルを見たまま、しばらく動けなかった。
嘘だろ、と思った。
昨日下がったばかりなのに、また下がった。
昨日だけで終わりじゃなかった。精神の不安定さに引きずられるみたいに、会話力も、運動神経まで落ちた。
たった2日で、ここまで崩れるのかと思った。
2日間、まともに何もできていない。眠りも浅かった。それがそのまま出たのだろう。
頭ではわかる。でも、わかることと受け止められることは別だった。
昔の自分に戻る恐怖があった。
踊り場の床に這って、眼鏡を踏まれて、立ち上がる理由が見つからなかった頃の自分。あの数字に戻る恐怖が、腹の底からじわじわとせり上がってきた。
今日から、絶対に欠かすわけにはいかない。
布団を跳ね除けた。コンタクトを入れた。スキンケアをした。ランニングウェアに着替えた。外に出た。
走った。
◇
学校では、授業中にも問題集を開いた。
先生の声は聞こえていたが、今は先生の授業を受け身で聞くより、自分で手を動かすほうが必要だと思った。今の授業は俺には簡単すぎる。取り戻すには、こういう時間を活用するしかない。
そのとき、先生に当てられた。
「天野くん、この問題を解いてみてください」
俺は顔を上げた。
「すみません。聞いていませんでした」
教室が静かになった。
1学期なら、この瞬間にクラス全体が笑っていた。「天野が授業を聞いてなかった」「どうせわからないからだろ」そんな空気が広がっていたはずだ。
2学期なら、伊藤あたりが茶化して、軽く笑いに変えていたかもしれない。
でも今日は、誰も笑わなかった。馬鹿にする空気すらなかった。みんなが前を向いたまま、俺の失敗をなかったことのように無視していた。
先生が「ちゃんと聞いてください」と言って、次の生徒を当てた。それだけだった。
俺は問題集に視線を戻した。
笑われなかったことが、今の俺への接し方を表していた。
馬鹿にもできない。茶化す距離でもない。ただ、関わらない。
◇
その日から、生活を急いで立て直した。
帰宅してすぐ勉強した。筋トレも再開した。ランニングも続けた。スキンケアも1日も欠かさなかった。
1週間後、パネルを確認した。
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【STATUS COMMIT】
学力 62 → 63
筋力 62 → 63
運動神経 63 → 64
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学力と筋力と運動神経が戻った。
少しだけ息をついた。
まだ戻せる。まだ終わっていない。
そう思った。
でも、次のパネルを見て、息が止まった。
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【STATUS COMMIT】
会話力 61 → 60
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戻った項目がある一方で、別の項目がさらに落ちていた。
問題集を解いた。筋トレをした。走った。でも、人と話さなかった。
クラスで中間以下の連中を避けるようにして過ごした。伊藤や咲良たちとは話したが、それ以外とはほとんど会話しなかった。
会話しなければ、会話力が落ちる。
わかっていた。でも、実際に数字を見ると、頭が重くなった。
◇
クラスの様子は変わらなかった。
咲良は変わらず話しかけてきた。笑顔で「仁、これどう思う?」とか、「仁、昨日のドラマ見た?」とか言ってくる。俺も笑顔で返した。
伊藤たちも普通に話してきた。「今日、暇なら寄り道しようぜ」と誘われることもあった。
でも、そこから少し外れた連中は違った。
廊下ですれ違うとき、さりげなく距離を取る。目が合っても、すぐに逸らす。必要以上に声をかけてこない。
やはり怖がっている。
これは、カーストも影響しているのかもしれないと思った。
1学期の俺は、上位のやつらに目をつけられないように過ごしていた。立場の違う相手と不用意に絡むと、ろくなことにならないと知っていたからだ。特に相手が格上なら、なおさらだった。
ふと、咲良と中村が川島に圧をかけていた会話を思い出した。あれも、カースト差によるものだった。
その直後に、俺が小林に言った「変わったほうがいい」という言葉も思い出した。
上の側に立つと、こんなに簡単に相手を見下す言葉が出るのかと思った。
格下の苦しみがわかるはずの俺ですら。
しかも俺は、黒川に土下座をさせた。
あの光景を、クラス全員の記憶に刻んでしまっている。
本気でやばいと思った。
学力と筋力と運動神経は戻せる。勉強して鍛えればいい。それはわかっていた。でも、会話力は、勉強しても鍛えても戻らない。人と関わることが最重要だ。
でも今のクラスで、どうやって関わる。
中間以下は俺を怖がっている。俺が話しかけたら、余計に萎縮するかもしれない。かといって、特定の人とだけ関わって、会話力を戻せるほど簡単かはわからない。
初期サポートはもうない。
どうすればいいのかが、わからなかった。
パネルを見た。
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【STATUS】
名前:天野仁
年齢:16
知識 60
学力 63
容姿 67
体格 65
会話力 60
運動神経 64
筋力 63
全項目平均:63.1
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ピーク時は、もっと上だった。
まずいのは数字だけじゃなかった。
どうすればいいかわからない、という状態そのものが、一番まずかった。
◇
翌日から、がむしゃらに勉強した。
考え方を切り替えた。
今できることをやる。上げられる項目は、貯金だ。落ちていく項目は、落ち着いたらまた上げればいい。
学力、運動神経、筋力、容姿。これは自分の努力で直接動かせる。スクールカースト上位を維持するためにも、これらは絶対に落とせない。勉強と鍛えることで答えが出る項目なら、今すぐやるしかない。
会話力は、また時間があるときに上げればいい。今は焦らずにいられる状態じゃない。人と関わることに使うエネルギーが、今の俺にはなかった。
昼休みも勉強した。
伊藤が「飯、一緒に食べるか?」と声をかけてきた。
「今日はちょっと勉強したくて」
そう断った。
伊藤が「そうか」と言って戻っていった。
その昼休みは、誰も話しかけてこなかった。
放課後は図書室に行った。一人で参考書を開いた。帰ったら筋トレをした。22時に布団に入った。アルバイトもできるだけ入れないようにした。
落ちたステータスを取り戻すために、そんな日々を繰り返した。




