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第37話 制裁後①

教室に戻った。昼休みは、まだ少し残っていた。


みんながこっちを見た。《カリスマ》の効果がまだ続いているのを感じた。黒川と田中を非難した熱を持った目をしていた。


「どうだった?」


「黒川、ちゃんと反省したか?」


「小林、大丈夫か?」


そういう声が、いくつか飛ぶ。


「もう大丈夫。もう二度としないと約束してくれたよ」


俺はそう言って、自分の席に座った。小林にも座るように言う。


「一緒に食べようぜ」


そう言うと、小林は小さくうなずいた。


でも、明らかに俺を怖がっていた。さっきから、なんでこいつが怖がるんだ、と思った。俺は助けた側だ。いじめた側じゃない。


それなのに、小林はパンを持つ手を少し震わせながら、目を合わせようとしなかった。


意味がわからなかった。


教室の空気は、まだ黒川たちに対して冷えたままだった。


「天野や小林にまであそこまでやってたの、普通に引く」


「もう黒川無理だわ」


そういう声が、もう隠しもせずに出ていた。


そして昼休み終了ぎりぎりになって、黒川と田中が戻ってきた。2人とも無言だった。


教室のドアを開けた瞬間、空気がまた少しだけ止まる。黒川は顔を上げなかった。田中も誰とも目を合わせなかった。そのまま何も言わず、自分たちの席のほうへ戻っていく。


でも、クラスメイトの視線ははっきり2人に向いていた。冷たかった。


露骨に睨むやつはいない。でも、前みたいに笑って迎える空気も、話しかける空気もない。


ただ、引いている目だった。


「……うわ」


誰かが小さく漏らす。


「普通に無理なんだけど」


女子のほうからも、そんな声がした。


黒川には、たぶん聞こえていた。でも、何も言わなかった。


田中は席に着く前、一瞬だけ周囲を見た。その目にあったのは、怯えに近い確認だった。でも返ってきたのは、味方の視線じゃなかった。


軽蔑と、距離だった。


昼休み終了のチャイムが鳴る。


その後、体の芯に乗っていた妙な推進力が、すっと抜けていった。《カリスマ》の効果が切れたのだとわかった。



午後の授業は、まったく集中できなかった。


俺は勝った。黒川は潰れた。1学期の借りも返した。教室で土下座までさせた。校舎裏では、確かに気持ちよかった。


これで終わりにしてやる。本気でそう思っていた。


でも、時間が経つほど、胸の奥に何かが残った。


俺の1学期の苦しみを、あのわずかな時間で凝縮して返して、本当にそれでよかったのか。あれだけで、あの程度で釣り合ったのか。あるいは、もっと別の形があったのか。


わからなかった。


黒川たちを地面に這わせたときの快感は、まだはっきり残っている。それなのに、その快感の奥に、薄く濁ったものが沈んでいた。


これで終わると決めたはずなのに、さらに制裁を加えることを考えている自分がいた。


時間が経つほど、何かすっきりしない心の澱みだけが残った。



下校時間。荷物をまとめていると、咲良が俺の席に来た。


「……仁、さっきすごかったね」


咲良が言った。


「大変だったね。大丈夫だった?」


「平気」


俺はそれだけ言って、1人で帰った。


今は咲良と話す気にすらなれなかった。



家に帰ると、里奈がリビングのソファにいた。スマホを見ていたが、俺を見ると顔を上げた。


「うわ。何こわい顔してんの」


「別に」


俺はそのまま部屋に向かった。


部屋のドアを閉めて、椅子に座った。カバンを床に置く。


机の上の問題集を見た。今日だけは開く気がしなかった。



翌朝、登校すると、違和感があった。


「おはよう」


「天野くん、おはよ」


上位カーストの男女は、いつも通り普通に話しかけてきた。咲良も笑顔で「おはよう、仁」と言った。


でも、それ以外が違っていた。


伊藤たちのように、ある程度近い距離まで来ていた連中は、まだ普通に話しかけてくる。


だが、それより外側にいた中間以下の連中は、俺と目が合うと愛想笑いをしたり、話しかけてこなかったりした。


これまでなんとなく言葉を交わしていたやつまで、俺を避けている。というより、少し怯えているように見えた。


川島と目が合った瞬間、川島がこれまでで一番速く視線を落とした。肩がほんの少しだけ固まっていた。


俺は自分の席に座った。



授業が始まる直前、伊藤が俺に話しかけてきた。顔が、少し引きつっていた。


「……なあ、天野」


「どした」


伊藤が周りを一度見てから、声を落とした。


「お前、昨日ちょっと怖かったぞ……」


俺は一瞬、意味がわからなかった。


「は?」


「いや、俺だけじゃない。下校のときに、ちょっと天野が怖かったって言ってるやつもいた」


冗談でも、からかいでもなかった。伊藤は本気でそう言っていた。


「……何が?」


そう聞くと、伊藤は少し言いづらそうにしてから続けた。


「いや……小林のこと止めたのは、そりゃよかったよ。でも、あんな形でやることないだろ……。いじめは止めるべきだけど、黒川たちをあそこまでみんなの前で追い詰めて、クラスまで巻き込んで、謝らせてさ……なんか、普通じゃないっていうか……」


意味がわからなかった。


昨日のことで、小林は助かった。黒川たちは止まった。


ああでもしないと、いじめは止まらなかった。


お前たちみたいに見て見ぬふりをし続けるのが正解だとでも言うのか。


「……何言ってんだ、お前」


自然に声が低くなった。伊藤が少し肩を固くした。


「いや、だから……止めるのは正しい。でも、もっと穏やかな別のやり方があったんじゃないかって話で……」


は? ふざけるなよ。


お前はいじめられなかったから、そんなことが言えるんだ。


毎日踏まれて、笑われて、何も言えなかった側じゃないから、そんな綺麗ごとが言えるんだ。


むしろ足りないくらいだった。


あいつらが俺にやってきたことを思えば、あれでも全然足りない。


俺がやったのはたった1日。しかも昼休みだけ。


そんなわずかな時間に黒川が教室の前で頭を下げたくらいで、何がやりすぎなんだ。田中が一言謝ったくらいで、何が怖いんだ。


でも、それは言わなかった。


伊藤はまだ俺を見ていた。困ったような、本気で戸惑っている顔だった。本気で俺のために言っている。そんな顔だった。


俺はしばらく黙ってから、短く返した。


「……そうか」


伊藤はそれ以上何も言わなかった。


その直後、スキル発動前の警告が頭に浮かんだ。


『スキル使用中のあなたの発言は、効果が切れた後も強く心に残ります』


スキルのせいもあるのかもしれない。


でも、俺の中には、もやもやしたものだけが残った。


助けたのに。止めたのに。


ああしないと俺は前に進めなかったのに。


なんで俺が怖がられるんだ。



昼休み、小林が来た。というより、俺が声をかけた。


小林はどうせ1人で食べることになる。だから、今日は一緒に食べることにした。


小林が机を少し引いて、俺の隣に座る。でも、小林は完全に俺に怯えていた。視線が泳いでいた。弁当を開けながら、俺の顔を正面から見ない。時々ちらっとこちらを見て、すぐに目を落とす。


俺が助けた相手が、俺を怖がっている。


それが、妙にいらついた。


「昨日、どうして助けてくれたの」


小林が言った。声が小さかった。


俺は少し間を置いた。


「別に。前の俺を見てるようでムカついたし」


そこまではよかった。でも、そのあと口をついて出た言葉が、自分でも信じられなかった。


「小林も変わったほうがいい」


言った瞬間、自分で気づいた。


それは、1学期の俺が一番言われたくなかった言葉だった。上から目線で、実現できる保証もないことを、できる側の人間がさらっと言う。


あのときの俺に向けられていた言葉そのものだった。


小林が少し間を置いてから言った。


「天野くんは、僕が変われると思う……?」


俺は答えを探した。でも、出てきたのは、最悪に近い本音だった。


「……すまん」


俺は言った。


「正直、無理だと思ってる」


小林が顔を上げた。


「たまたま俺は体格が良くなったけど、前のままの体格だったら、努力してもいじめから抜け出せなかったと思う。そもそも、努力しても変わるのかすらわからない状態で、いじめられて精神が削られながら努力なんて、たぶんできなかった」


小林は黙って聞いていた。


「だからすまん。変わったほうがいいなんて、無責任だった。たぶん、小林は変われない」


小林は少し間を置き、小さく愛想笑いしながら言った。


「だよね」


その「だよね」が、胸に刺さった。


諦めているのか、納得しているのか、わからない声だった。小林にこんなことを言わせた俺自身に腹が立った。


でも同時に、小林にもいらついた。


俺がどれだけ苦労して今があると思ってんだ。どれだけ努力したと思ってんだ。ちょっと言っただけで、すぐ諦めんじゃねえよ。


とも思った。


そんな矛盾したことを考えながら食べる弁当は、ひどく無機質だった。



そのときだった。


「……天野」


声がして、顔を上げた。田中だった。


昼休みのざわつきの中、少しだけ遠慮がちに立っていた。昨日までみたいな、黒川の横にいるときの軽薄な顔じゃない。妙に神妙な顔をしていた。


「何」


俺が言うと、田中は一度だけ唾を飲み込んでから話し始めた。


「……昨日のことだけど、改めて謝る。これまでのこと、マジでやりすぎだったと思ってる」


そこまで言って、田中は少しだけ黒川のほうを見た。それからまた視線を戻す。


「俺、もう黒川とは距離置こうと思ってる。正直、昨日の見てて、もう無理だと思った。このまま一緒にいたら、俺まで終わる気がして」


一拍空けて続けた。


「……都合いいのはわかってる。でも、できれば今後は、そっちで食わせてほしい」


俺は少しだけ止まった。


俺も黒川のほうを見た。あいつは1人で、無言でパンを食っていた。昨日までみたいに周りに輪はない。誰も話しかけていなかった。


孤立していた。


田中に視線を戻した。田中の肩が、ほんのわずかに動いた。びくっとしたように見えた。


死ぬほど憎んだ相手だった。1学期、黒川の後ろで笑っていたやつだ。俺が踏まれるたびに、横で空気を温めていたやつだ。


それでも、今の俺の隣には、小林がいて。


小林との昼飯は、正直きつかった。重かった。会話が途切れるとか、そういう話じゃない。もっと根本的に、息が詰まる感じだった。


田中は最低だ。でも、よく喋るやつでもある。場を埋めたり、温めたりすることにかけては、昔からうまかった。


少し考えて、俺は言った。


「わかった。じゃあ一緒に食べるか」


田中の顔が、一瞬だけ明るくなった。


「ありがとう」


そう言って、かなり素早く椅子を引いて座った。ためらいのなさが、逆に少し面白かった。


「うわ、天野の弁当うまそうじゃん」


座るなり、そんなことを言う。それから小林の弁当を見て、軽い調子で続けた。


「小林のそれ、何食べてんの?」


小林が少しだけ顔をこわばらせた。田中も、それに気づいたらしい。一瞬だけ口が止まる。


「あ、いや……変な意味じゃなくて」


少しだけ言い直してから、ぎこちなく続けた。


「その……卵焼き、うまそうだなって」


小林は少しだけ黙ってから、小さく言った。


「母さんが作った」


「へえ」


田中がうなずく。


「いいな、ちゃんとしてる弁当」


そこで会話が切れた。気まずい沈黙になるかと思ったが、田中はまた少しして口を開いた。


「つーか、今日の数学、あれ絶対当てにくるよな」


「坂本のやつ、最近そこ好きすぎるだろ」


「英語も地味にやばいし」


それは完全に、何でもない話題だった。


会話力が上がった今の俺でもできない、間を埋める何でもない話題。でも、その何でもなさが、意外なくらいありがたかった。


小林は相変わらず無口だった。俺も、今はそこまで喋りたくなかった。そんな中で、田中だけがぽつぽつと話し続ける。


場を持たせるように。


沈黙を埋めるように。


死ぬほど憎んだやつだった。それは今も変わらない。


でも、田中が喋るだけで、この昼飯は少なくともさっきよりマシだった。


それが、腹立たしかった。

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