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第33話 水族館後②

それから、川島とは話さなくなった。


俺が話しかけない。川島も話しかけてこない。昼休みに席の近くを通っても、前みたいに足が止まることはなかった。


最初の2、3日は気まずかった。川島は少し暗い顔をしているようにも見えた。


でも、それ以上は何も起きなかった。


川島には川島で仲のいい女子がいた。その子たちとは普通に笑っていたし、少なくとも俺が見ている範囲では、孤立した感じもなかった。


それを見て、少しだけ安心した。


これでよかったんだと思うことにした。



川島と話さなくなっても、俺の生活自体は大きく変わらなかった。


咲良と中村は相変わらずだった。伊藤たちとも普通に話す。昼休みに誰かと食べる日もあれば、1人で勉強する日もある。放課後はバイトか、自主学習か、帰宅してランニングだった。


咲良は、何でもないLINEを送ってきた。


『今日の英語、眠すぎて終わった』


とか。


『中村がまた変なこと言ってるんだけど』


とか。


特に深い用事があるわけじゃない。でも、そういうどうでもいいメッセージが、たまに飛んでくるようになった。俺も、そのたびに適当に返した。


前なら、女子から意味のないLINEが来る、なんてこと自体がなかった。それが今は、少しずつ普通のことになりつつあった。



ある日。目が覚めた瞬間だった。視界の端で、パネルが静かに開いた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【NOTICE】


初期サポートの効果期間が終了しました。

これ以降、成長補助は適用されません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━


俺はその表示を、しばらく見ていた。


終わった。


システム開始から続いていた成長補助が、ここで切れたらしい。布団の中で小さく息を吐く。


これからは、同じだけ努力しても、前ほど数字は動かない。


そう考えた瞬間、少しだけ熱が引いた。


雑に過ごせば落ちる。それはわかっている。でも、今までみたいにがむしゃらにミッションへ飛びつく気持ちは、少し薄れていた。



そのミッションが来たのは、何でもない平日の夜だった。


バイトから帰って、軽く夕食を取って、部屋の机に向かったときだった。視界の端で、パネルが開く。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION】


難易度:困難


以下をすべて同時に1週間継続せよ。


・睡眠時間8時間を確保

・数学問題集1時間の自習

・英語問題集1時間の自習

・英単語50語暗記

・授業の復習30分以上

・翌日の授業の予習30分以上

・腕立て伏せ・腹筋・スクワット各100回

・懸垂50回


各項目通算2回以上の未達成でミッション失敗とみなす。

━━━━━━━━━━━━━━━━━


「は?」


声が出た。


今は3学期のど真ん中だ。学校がある。アルバイトもある。課題も予習復習もある。


そこに毎日、数学1時間。英語1時間。英単語50語。授業の復習と予習。それに腕立て、腹筋、スクワット各100回。懸垂50回。


特に英単語50語がきつい。7日で350語。ただ眺めるだけじゃない。暗記だ。


無理だろ、と思った。


少し前なら、どうすれば達成できるかを考えていたと思う。でも今は違った。


初期サポートはもう切れている。ここまでやっても、前ほど伸びない。


だったら、全部を拾いにいく価値は薄い。


普段通りの生活を維持しつつ、数学と睡眠は守る。英語と予習復習もできる範囲でやる。筋トレもできるだけやる。英単語も少しはやる。


でも、ミッション達成は最初から捨てる。


そう判断した。



結果から言えば、その判断は甘かった。


1週間後の夜。勉強を終えて、ノートを閉じたときだった。パネルが開いた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION FAILED】


難易度:困難


以下をすべて同時に1週間継続せよ。


ミッション失敗。

ステータスが低下します。

━━━━━━━━━━━━━━━━━


次の表示に切り替わった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【PENALTY】


知識   61 → 60

学力   65 → 64

体格   66 → 65

筋力   65 → 63

━━━━━━━━━━━━━━━━━


「え……」


声が漏れた。


初めて、ミッションをはっきり失敗した。


しかも、下がり幅が大きい。ふざけるな、と思った。


でも、同時に気づいた。


冷静に考えれば、できた。


英単語は朝、通学中、休み時間に分ければよかった。筋トレも朝と夜に割ればよかった。数学と英語は帰宅後に固定して、授業の予習復習は昼休みや寝る前に回せばよかった。睡眠時間から逆算すれば、全部を完全に無理とは言い切れなかった。


楽ではない。でも、不可能ではなかった。


冬休みのミッションで、俺はそれをやっていた。落とせない項目を管理して、時間を削って、どうにか拾い切ってきた。


やるべきだった。


今回は、最初に「無理だ」と決めた。


初期サポートが切れたから価値が薄い。そう勝手に判断した。


でも違った。


初期サポートが切れたからこそ、ミッション報酬の価値はむしろ上がっていたはずだ。


俺は、自分で勝手に見切った。


その結果がこれだった。


このシステムは、いつもそうだった。


凄まじい効果をくれる。でも、そのぶん反動も重い。スキルもそうだった。楽に上がることはない。失敗したときの反動も、ちゃんとある。


そういうシステムだった。


それでも、今回はきつかった。


下がった。


その事実だけが、予想以上に重かった。



さらに2日後。学校から帰って、部屋に入った直後だった。


また、パネルが光った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【STATUS COMMIT】


学力   64 → 63

会話力  63 → 62

━━━━━━━━━━━━━━━━━


一瞬、意味がわからなかった。


下がった。


また。


ミッションのペナルティは、もう受けたはずだった。なのに、今度はステータスコミットで下がった。


ステータスコミットは、上がるための通知だと思っていた。


でも違った。


下がることもある。


咲良のこと。川島のこと。ミッションを切ったこと。いろいろ気になって、集中力が落ちていたのかもしれない。


でも、サボっていたつもりはなかった。


走るのはやめていない。最低限の勉強もしていた。授業だって受けている。


それでも落ちる。


ここで、初期サポートが切れた影響をはっきり感じた。


これまでなら、多少雑でもどこかで踏みとどまっていた気がする。でも今は違う。補助がない。維持するだけでも、ちゃんと必要量を積まないと下がる。


それとも、偏差値のせいなのかもしれない。


俺が止まっている間にも、周りは伸びる。だから相対的に落ちる。


そう考えた瞬間、かなり焦った。


上がることに慣れすぎていた。


椅子に座ったまま、もう一度ステータスを開く。閉じる。また開く。


数字は変わらない。


その日はほとんど眠れなかった。


布団に入って目を閉じても、変わった数字が頭に残っていた。


たった1。


でも、その1がこんなに怖いとは思わなかった。



さらに2日後の朝。


洗面台で顔を洗ったときだった。鏡を見て、止まった。


額と頬に、小さな赤みが出ていた。よく見ると、ニキビだった。


たった2つ、3つ。


でも、冬休みの終わりにはなかったものだった。


嫌な予感がして、パネルを開いた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【STATUS COMMIT】


容姿   68 → 67

━━━━━━━━━━━━━━━━━


やっぱり、と思った。


寝る時間が遅かったからか。食事が少し偏っていたからか。ステータスのことを考えすぎて、ストレスが溜まっていたのか。


理由は1つじゃないのかもしれない。


でも、結果だけは数字として出ていた。


容姿まで落ちた。


ここで、焦りが本格的な危機感に変わった。



その日から、生活を立て直すことにした。


まず、8時間睡眠を絶対条件にした。夜更かしはしない。布団に入る時間を先に決めて、そこから逆算して動く。


食事も意識した。昼食を菓子パンや適当な間食で済ませない。母さんに弁当を頼み込んで、ちゃんと食べる。


それから、落ちた学力を戻すために勉強量を増やした。


ちょうど小テストがある時期だった。数学。英語。古文。範囲は狭い。だからこそ、短期間で仕上げやすい。


この小テストで減少を取り戻す。


そう心に決めた。

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