第33話 水族館後②
それから、川島とは話さなくなった。
俺が話しかけない。川島も話しかけてこない。昼休みに席の近くを通っても、前みたいに足が止まることはなかった。
最初の2、3日は気まずかった。川島は少し暗い顔をしているようにも見えた。
でも、それ以上は何も起きなかった。
川島には川島で仲のいい女子がいた。その子たちとは普通に笑っていたし、少なくとも俺が見ている範囲では、孤立した感じもなかった。
それを見て、少しだけ安心した。
これでよかったんだと思うことにした。
◇
川島と話さなくなっても、俺の生活自体は大きく変わらなかった。
咲良と中村は相変わらずだった。伊藤たちとも普通に話す。昼休みに誰かと食べる日もあれば、1人で勉強する日もある。放課後はバイトか、自主学習か、帰宅してランニングだった。
咲良は、何でもないLINEを送ってきた。
『今日の英語、眠すぎて終わった』
とか。
『中村がまた変なこと言ってるんだけど』
とか。
特に深い用事があるわけじゃない。でも、そういうどうでもいいメッセージが、たまに飛んでくるようになった。俺も、そのたびに適当に返した。
前なら、女子から意味のないLINEが来る、なんてこと自体がなかった。それが今は、少しずつ普通のことになりつつあった。
◇
ある日。目が覚めた瞬間だった。視界の端で、パネルが静かに開いた。
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【NOTICE】
初期サポートの効果期間が終了しました。
これ以降、成長補助は適用されません。
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俺はその表示を、しばらく見ていた。
終わった。
システム開始から続いていた成長補助が、ここで切れたらしい。布団の中で小さく息を吐く。
これからは、同じだけ努力しても、前ほど数字は動かない。
そう考えた瞬間、少しだけ熱が引いた。
雑に過ごせば落ちる。それはわかっている。でも、今までみたいにがむしゃらにミッションへ飛びつく気持ちは、少し薄れていた。
◇
そのミッションが来たのは、何でもない平日の夜だった。
バイトから帰って、軽く夕食を取って、部屋の机に向かったときだった。視界の端で、パネルが開く。
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【MISSION】
難易度:困難
以下をすべて同時に1週間継続せよ。
・睡眠時間8時間を確保
・数学問題集1時間の自習
・英語問題集1時間の自習
・英単語50語暗記
・授業の復習30分以上
・翌日の授業の予習30分以上
・腕立て伏せ・腹筋・スクワット各100回
・懸垂50回
各項目通算2回以上の未達成でミッション失敗とみなす。
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「は?」
声が出た。
今は3学期のど真ん中だ。学校がある。アルバイトもある。課題も予習復習もある。
そこに毎日、数学1時間。英語1時間。英単語50語。授業の復習と予習。それに腕立て、腹筋、スクワット各100回。懸垂50回。
特に英単語50語がきつい。7日で350語。ただ眺めるだけじゃない。暗記だ。
無理だろ、と思った。
少し前なら、どうすれば達成できるかを考えていたと思う。でも今は違った。
初期サポートはもう切れている。ここまでやっても、前ほど伸びない。
だったら、全部を拾いにいく価値は薄い。
普段通りの生活を維持しつつ、数学と睡眠は守る。英語と予習復習もできる範囲でやる。筋トレもできるだけやる。英単語も少しはやる。
でも、ミッション達成は最初から捨てる。
そう判断した。
◇
結果から言えば、その判断は甘かった。
1週間後の夜。勉強を終えて、ノートを閉じたときだった。パネルが開いた。
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【MISSION FAILED】
難易度:困難
以下をすべて同時に1週間継続せよ。
ミッション失敗。
ステータスが低下します。
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次の表示に切り替わった。
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【PENALTY】
知識 61 → 60
学力 65 → 64
体格 66 → 65
筋力 65 → 63
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「え……」
声が漏れた。
初めて、ミッションをはっきり失敗した。
しかも、下がり幅が大きい。ふざけるな、と思った。
でも、同時に気づいた。
冷静に考えれば、できた。
英単語は朝、通学中、休み時間に分ければよかった。筋トレも朝と夜に割ればよかった。数学と英語は帰宅後に固定して、授業の予習復習は昼休みや寝る前に回せばよかった。睡眠時間から逆算すれば、全部を完全に無理とは言い切れなかった。
楽ではない。でも、不可能ではなかった。
冬休みのミッションで、俺はそれをやっていた。落とせない項目を管理して、時間を削って、どうにか拾い切ってきた。
やるべきだった。
今回は、最初に「無理だ」と決めた。
初期サポートが切れたから価値が薄い。そう勝手に判断した。
でも違った。
初期サポートが切れたからこそ、ミッション報酬の価値はむしろ上がっていたはずだ。
俺は、自分で勝手に見切った。
その結果がこれだった。
このシステムは、いつもそうだった。
凄まじい効果をくれる。でも、そのぶん反動も重い。スキルもそうだった。楽に上がることはない。失敗したときの反動も、ちゃんとある。
そういうシステムだった。
それでも、今回はきつかった。
下がった。
その事実だけが、予想以上に重かった。
◇
さらに2日後。学校から帰って、部屋に入った直後だった。
また、パネルが光った。
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【STATUS COMMIT】
学力 64 → 63
会話力 63 → 62
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一瞬、意味がわからなかった。
下がった。
また。
ミッションのペナルティは、もう受けたはずだった。なのに、今度はステータスコミットで下がった。
ステータスコミットは、上がるための通知だと思っていた。
でも違った。
下がることもある。
咲良のこと。川島のこと。ミッションを切ったこと。いろいろ気になって、集中力が落ちていたのかもしれない。
でも、サボっていたつもりはなかった。
走るのはやめていない。最低限の勉強もしていた。授業だって受けている。
それでも落ちる。
ここで、初期サポートが切れた影響をはっきり感じた。
これまでなら、多少雑でもどこかで踏みとどまっていた気がする。でも今は違う。補助がない。維持するだけでも、ちゃんと必要量を積まないと下がる。
それとも、偏差値のせいなのかもしれない。
俺が止まっている間にも、周りは伸びる。だから相対的に落ちる。
そう考えた瞬間、かなり焦った。
上がることに慣れすぎていた。
椅子に座ったまま、もう一度ステータスを開く。閉じる。また開く。
数字は変わらない。
その日はほとんど眠れなかった。
布団に入って目を閉じても、変わった数字が頭に残っていた。
たった1。
でも、その1がこんなに怖いとは思わなかった。
◇
さらに2日後の朝。
洗面台で顔を洗ったときだった。鏡を見て、止まった。
額と頬に、小さな赤みが出ていた。よく見ると、ニキビだった。
たった2つ、3つ。
でも、冬休みの終わりにはなかったものだった。
嫌な予感がして、パネルを開いた。
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【STATUS COMMIT】
容姿 68 → 67
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やっぱり、と思った。
寝る時間が遅かったからか。食事が少し偏っていたからか。ステータスのことを考えすぎて、ストレスが溜まっていたのか。
理由は1つじゃないのかもしれない。
でも、結果だけは数字として出ていた。
容姿まで落ちた。
ここで、焦りが本格的な危機感に変わった。
◇
その日から、生活を立て直すことにした。
まず、8時間睡眠を絶対条件にした。夜更かしはしない。布団に入る時間を先に決めて、そこから逆算して動く。
食事も意識した。昼食を菓子パンや適当な間食で済ませない。母さんに弁当を頼み込んで、ちゃんと食べる。
それから、落ちた学力を戻すために勉強量を増やした。
ちょうど小テストがある時期だった。数学。英語。古文。範囲は狭い。だからこそ、短期間で仕上げやすい。
この小テストで減少を取り戻す。
そう心に決めた。




