第30話 水族館②
変わった生物コーナーを通るときに、咲良が指をさした。
「あ、このタコかわいい!」
見たことのない色のタコだった。コミュニケーション本の通り、まず肯定から入るべきかと思ったが、さすがに無理だった。
「え……このタコは結構キモくない?」
「ううん、かわいいよ。キモカワもあるんだからね」
「さっき、ダイオウグソクムシのときは『うわキモい。なんでこんなの見せてくるの』って言ってたじゃん」
「キモいにも種類あるから! あれはマジなほうのキモいなの」
「じゃあ、俺の妹の『兄貴キモい』はどう判定したらいいんだ」
「うーん」と咲良が少し考える。
「『お兄ちゃん、かわいい』に変換していいんじゃない?」
「うわっ。想像したら、かなりキモい」
「ひどっ」
「いや、妹の口からそれ出たら普通に怖いだろ」
「そうかも」
2人で少し笑った。
◇
イルカショーの時間が近づいた。
「これ絶対見たい」と咲良が言ったので、そのまま会場に向かった。観客席はかなり埋まっていた。家族連れも多かったが、やっぱりカップルも多かった。
スタッフに案内されて、2人で前のほうの席に座る。
ショーが始まると、咲良は完全にそっちに夢中になった。イルカが高く跳ぶたびに、
「うわっ」
「すごっ」
「高っ」
と素直に声が出る。
「めっちゃ楽しんでるな」
「だってすごいじゃん」
「それはそう」
「ていうか、あのイルカ絶対賢いよね。顔がもう賢い」
「顔でわかるのか」
「わかる。あとかわいい」
「結局そこに戻るんだな」
「そこ大事だから」
途中、餌やり体験のコーナーがあった。スタッフが前のほうの客席に向かって、「やってみたい方ー」と声をかける。咲良が即座に手を挙げた。
「はや」
「やりたいもん」
「その反応速度すごいな」
「こういうのは勢いだから」
スタッフが咲良を見つけて、にこっと笑った。
「では、そちらの女性で! カップルでぜひ」
2人とも一瞬止まった。
「……俺も?」
「……え?」
俺たちが何か言うより先に、「こちらです」と案内される。そのまま、2人で前に出ることになった。逃げられなかった。
スタッフが餌の入った小さなバケツを渡しながら、満面の笑みで言った。
「しかし、美男美女カップルで羨ましいですねー」
会場からは笑いが起きる。
辱めだった。完全に辱めだった。
咲良が横で、顔を赤くしていた。俺も赤くなっていたと思う。
結局、2人で並んで餌をあげた。イルカが近くまで来て、餌をぱくっと食べる。それ自体は普通に楽しかった。
「うわ、近っ」
「近いな」
「かわいい」
「たしかに。食べ方は結構豪快だけどな」
「でもそこもかわいい」
スタッフがその様子を見ながら、
「お2人、本当に仲が良いですねー」
とまた追撃してきた。咲良が横で肩を震わせていた。席に戻ってから、しばらく2人ともまともに顔を見られなかった。
「……今の、結構恥ずかしかったかも」
「だな」
「美男美女カップルは、さすがにちょっと」
「たしかに」
「でも、餌やり自体は楽しかった」
「やっぱ近いと違うね」
「あと、仁があの場でわりと普通に対応してたの、ちょっと面白かった」
「いや、それ見るとこ違うだろ。イルカ見ろよ」
咲良はまた笑った。
◇
出口付近の大きな水槽風の背景の前で、スタッフが記念写真を撮っていた。スタッフがすぐにこちらを見た。
「よかったらカップルで1枚どうですか?」
またか、と思った。咲良も同じことを思ったらしく、こっちを見た。数秒だけ間があった。
「……もう、否定するのも面倒じゃない?」
咲良が小声で言った。
「同感」
「じゃあ、撮る?」
「撮るか」
「うん」
そのまま、2人で前に立った。
「良い感じです! あ、でも、もう少し近づいてくださーい」
スタッフが明るく言う。またか、と思ったが、今度はもう諦めた。咲良も「はいはい」みたいな顔で少し寄ってきた。シャッター音が鳴る。
撮り終わったあと、スタッフが言った。
「すごくいい感じでしたー。本当にお似合いの素敵なカップルですね」
咲良が顔を伏せて笑った。俺も、さすがに少し恥ずかしかった。
「……この写真、中村に見せたら絶対だめだな」
俺が言うと、咲良がすぐに頷いた。
「絶対だめ。絶対茶化される」
「だよな」
「ていうか、今日の餌やりの話だけでも相当うるさいと思う」
「それもある」
「だから水族館のことは言わないでおこう」
「了解」
「2人だけの秘密ってことで」
「それ、言い方ちょい恥ずいな」
「言った私が恥ずかしくなるから、そこ言葉にしないでよ」
「すまん、俺の悪い癖がまた出た」
咲良がそこで笑った。
◇
駅までの帰り道は、来るときより軽かった。水族館のこと、学校のこと、かわいいキャラのこと、最初よりずっと自然に話せていた。しかも、ちゃんと楽しかった。
改札の前で立ち止まる。
「今日はありがとう」と咲良が言った。
「水族館、普通に楽しかった」
「俺もほんと楽しかった。咲良のおかげだな」
「え、なんで?」
「咲良って、場の空気を明るくするのうまいだろ。例えばさ。イルカショーとかもすごく楽しんでるのを声にも表情にも出してくれるから、俺まで楽しくなった」
「ほんと?」
「ほんと。咲良といると話題も絶えないし、一緒にいるとなんか楽だった」
「でもさ。私も仁と話してて楽しいから色々話しちゃってた。仁が聞き上手なのもあると思うな」
「そう思ってくれるなら、それも咲良のおかげかも」
「えー。そうかな? ね。また、どっか行こうよ」
咲良が言った。
「今度は、もう少し適当に楽しめるとこでもいいし」
「それ、いいな。ぜひ」
「やった! 約束ね」
「もちろん」
咲良が少し笑って、それから小さく手を振った。そのまま改札の向こうへ消えていく背中を、しばらく見ていた。
◇
咲良と別れてから、パネルが光った。
━━━━━━━━━━━━━━━━━
【MISSION COMPLETE】
難易度:通常
佐々木咲良との水族館デートを成功させろ。
【達成報酬】
会話力 62 → 63
知識 60 → 61
━━━━━━━━━━━━━━━━━
やっぱり、成功だ。
その表示を見た瞬間、胸の奥に小さく、でもはっきりした達成感が走った。
会話力。上がる項目を見て、納得した。今日試されたのは、まさにそこだった。話を続けること。相手の空気を読むこと。その場を自然に回すこと。全部、結果になって返ってきていた。
知識も上がった。水族館で見た生き物のことも、咲良が話してくれたキャラクターのことも、今まで俺の中になかったものだった。知らないことを知る時間になっていたのだと思う。
デートの成功を客観的に判定してくれる。そのうえで、ちゃんと報酬まで出る。
咲良との時間も楽しめた。初めてのデートなのに、楽しむ余裕があった。
俺はデートもこなせるところまで来た、ということだ。
パネルを閉じて、帰路に着く。
咲良からLINEが来ていた。
『水族館、ほんとに楽しかった! また行こうね!』
俺はそれを見て、少しだけ口元が緩んだ。




