表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

28/43

第28話 服選び⑤

席に着いた。里奈がメニューを広げたまま、テーブルに突っ伏しそうな顔をしていた。


「マジ最悪。マジで最悪だった」


「偶然だからしょうがない」


「しょうがなくない。電車で来る距離なのに、なんで今日に限ってここにいるの」


里奈がメニューを睨んだ。怒りのはけ口がメニューに向かっていた。


「まあ、悪かったな、なんか」


俺は普通に思ったことを言った。里奈が少し俺を見た。


「そりゃそうだよ。あの2人、月曜日に絶対学校で騒ぐし」


「そうなるか」


「なるに決まってるじゃん。里奈のお兄さんがどうだったって話、クラスで広まるやつじゃん。最悪すぎる」


「なんでそんなに嫌なんだ」


「恥ずかしいから!」


里奈がメニューをもう一度ばしっとテーブルに置いた。


「兄貴と一緒にいるとこ見られただけで嫌なのに、彼氏かって騒がれるし、不細工って言ってたのに全然違うじゃんってなるし、向こうが兄貴に興味持ち始めるし、全部嫌だった」


「そういや、俺が何を言っても好意的に受け取られてたんだけど」


「知ってる。それ最悪だった」


「前はひどかったと認めたら『すごい謙遜』って言われて、里奈には渋々来てもらったと言ったら『優しいですね』って言われて、同席を断ったら『いいお兄さんですね』って言われた」


「わかってる。全部知ってる。マジで地獄」


里奈がため息をついた。


「あーもう。パフェおごってもらうだけじゃ全然割に合わないから。今度ちゃんと埋め合わせしてよね」


「わかったわかった」


「今日だけじゃなくて都度払いね。月曜に学校で言われたら追加」


「俺の知らないところでも増えるのかよ」


「当然。被害が増えたら請求も増える」


「悪徳業者じゃねえか」


「被害者なんだけど」



俺は少し間を置いてから言った。


「というか、おい。俺のこと不細工って言ってたのか」


里奈が顔を上げた。


「……言ったけど」


「堂々と言ったな」


「事実だったから。少なくとも1学期まではそうだったじゃん。嘘ついたわけじゃない」


「まあ、事実だな」


「でしょ。でも今はマシになった。だから今はそう言ってない」


ウェイターが来た。里奈がメニューを指さした。


「新春いちごの贅沢2重奏パフェのラージサイズ。スプーンは1つで」


迷いがなかった。エスカレーターの上でスマホを見ていたのは、この限定パフェを確認していたのかと思った。


「お客様、こちらかなり大きいサイズになりますが、お1人でよろしいでしょうか」


「はい。スプーンは絶対に1つで」


「絶対」に力が入っていた。ウェイターが俺を見た。俺は黙ってうなずいた。ウェイターが「かしこまりました」と言って下がっていった。


しばらくして、パフェが来た。本当に大きかった。細長いグラスがかなりの高さまで積み上がっていて、先端には大きないちごが2粒。ホイップクリームとカスタードといちごソースが層になっていて、下のほうにはいちごのコンポートとアイスが見える。テーブルに置かれた瞬間、隣の席の客までちらっと見た。


里奈の目が細くなった。


「……これこれ」


声の温度が、さっきまでと明らかに違っていた。


「本当に1人で食べる気か」


「食べるよ。今日の精神的ダメージを全部これで回収する」


スプーンを持って、先端のいちごをすくって一口食べた。顔がほぐれた。さっきまでの「マジ最悪」モードが、パフェ一口でわずかに遠くなった。


メニューを睨んでいた表情の固さが、少しだけ溶けていった。それから里奈はゆっくりと2口目を食べた。今度はクリームとカスタードを一緒にすくっていた。


「……釣られてバカだったと思ってたけど」


里奈が言った。


「来て正解だった。これ、かなり本物だよ」


「しかも、ラージサイズだしな」


素直だった。さっきまで「割に合わない」と言っていた里奈が、2口で方針転換していた。


「よかったじゃないか」


「よかった。本当によかった」


里奈がまた一口食べた。今度はいちごのコンポートを底からすくい上げていた。丁寧な食べ方だった。


でも、あまりに美味しそうなので、少しいたずら心が湧いた。


「太るぞ」


俺の余計な一言に里奈がスプーンを止めて、俺をチラリと見た。


「私、太らない体質だし。それに、今日の精神的ダメージの消費カロリー半端ない。むしろマイナスかも。やばー。補給しないと」


訳のわからないことを言って、またスプーンを進めた。俺は思わず笑った。


こいつ、こんな冗談も言うタイプだったのか。


俺はそんなことも知らなかった。



帰り道。電車を降りて、里奈と2人で駅から自宅に向かって歩いた。空が暗くなり始めていた。冬の日暮れは早い。夕方の空気が頬に当たって、朝より少し冷たかった。街灯がぽつぽつとついていた。


しばらく並んで歩いてから、俺は口を開いた。


「今日、里奈に服選びを頼んでよかったよ」


里奈が少し間を置いて言った。


「私は最悪だったけど?」


「まあ、今日たまたま同級生がいたのは、俺もお願いしたタイミングが悪かった。わざとじゃないとはいえ、すまん」


里奈が少し黙った。歩きながら、視線が少し下に向いていた。何かを考えているような間があった。


「……まあ」


里奈が言った。


「あれを除けば、悪くはなかった」


「そっか」


それ以上は何も言わなかった。里奈も何も言わなかった。でも、悪くない沈黙だった。朝に家を出たときとは全然違う空気だった。


隣を歩いていても、10m離れろとは言われなかった。


家の近くまで来たとき、俺は今日の服選びの結果をもう一度考えた。


体そのものが1日で変わったわけじゃない。顔立ちが急に変わったわけでもない。でも、今の体格をちゃんと見せる服。肌や髪の状態を邪魔しない色。全体の清潔感。


そういうものが揃ったことで、体格と容姿の評価は確かに上がった。


玄関の灯りが見えてきた。里奈が先に玄関に向かった。ドアを開けて、中に入った。振り返りもしなかった。いつも通りの里奈だった。


でも今日1日、こいつのことを少しだけわかった気がした。それで十分だった。俺も玄関を入った。



玄関を開けると、台所から音がした。母さんはもうパートから帰ってきていた。


「おかえり。どうだった――」


母さんが台所から顔を出して、俺を見た。止まった。


「……仁」


「ただいま」


「ちょっと待って」


母さんが言った。エプロンを手で押さえながら、ゆっくりこちらに近づいてきた。俺の顔、髪、コート、靴まで、順番に見ていった。


「……モデルみたいじゃない」


「そこまでではないけど」


「モデルみたいだよ。本当に」


母さんがもう一度言った。今度は確信のある声だった。


「服が全部合ってる。ちゃんとトータルで合ってる」


母さんが里奈を見た。


「里奈が選んだの?」


「そう」


里奈が言った。そっけない口調だったが、否定はしなかった。


「すごい。本当にすごいじゃない、里奈」


母さんが言った。


「センスがいいのは知ってたけど、こんなに人に似合うものを選べるんだ。びっくりした」


「まあ」


里奈が言った。


「里奈のセンスには本当に助かった」


俺は言った。


「もういいから」


里奈が言った。


母さんが嬉しそうに2人を交互に見ていた。


「ほんとに仲良いじゃない」


里奈が「仲良くない。それももういいから」と言った。


母さんはそれを聞いていないのか、聞こえないふりをしているのか、そのまま里奈に向き直った。


「でも里奈、どうやってこんなに似合う服が選べるの?」


里奈が言った。


「服選びには体型と顔の系統が大事で、それを見ればある程度わかる」


「ふーん」


母さんが言った。少し間があった。それから母さんの顔に、何か思いついたときの表情が浮かんだ。


「ひょっとして」


母さんが言った。


「自分に彼氏ができたとき、こういう服を着てほしいなって理想のコーディネートを、そのまま仁に着せたんじゃないの?」


静かになった。


里奈がゆっくりと母さんのほうを向いた。


「マジであり得ないから」


これまで聞いたことのない、ドスの効いた低さの声だった。


そして里奈が自分の部屋に向かって歩き出した。廊下を歩く音が遠ざかって、ドアが閉まった。


母さんが俺のほうにそっと近づいてきた。


「……本気で怒ってる」


母さんが小声で言った。


「やばい。図星だったのかも」


いや、それは母さんの兄妹仲良しのお花畑妄想だろう。里奈は俺を、自分の彼氏に見立てるようなことはまずしない。おそらく本気で想像するだけでも嫌な発言だったんだと思う。


「たぶん違うし、あれは長引くぞ」


俺は言った。


「だって」


母さんが続けた。


「あんなに怒るなんて思わなかったじゃない」


里奈にそんなこと言ったらそりゃ怒るだろと思いながら、俺は廊下のほうを見た。里奈の部屋のドアは閉まったままだった。


まあ、今日は触れないでおこう。


俺は里奈の機嫌のことはもう気にしないことにして、明日の水族館に意識を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ