第25話 服選び②
家を出て駅まで歩き始めた瞬間、里奈がすごい勢いで前に出た。気づいたら10mほど先を歩いていた。
「おい。なんでそんなに早歩きで行くんだ」
「兄貴は10m離れて歩いてね」
「何それ」
「一緒に歩いてるって思われたくないから。知り合いに見られたら嫌じゃん」
「10mってほぼ他人の距離だろ。知らない人と同じ方向に歩いてるだけじゃないか」
「ストーカーだと思って歩くことにするから」
「は?」
「私の後ろを兄貴がストーカーでついてきてると思うことにする。兄貴が変な行動とったら、私が助け呼ぶから」
俺は立ち止まった。
めちゃくちゃだよこいつ。
本当にめちゃくちゃだった。兄妹で服を買いに来て、兄貴がストーカーという謎設定を作り出す中学2年生がどこにいる。
俺は無視して隣を歩いた。
「ちょっと、離れてって言ったじゃん」
「無視する」
「恥ずかしいんだけど」
「俺も恥ずかしいから同じだ。不自然だし、隣歩く」
里奈が「もう」と言った。でも離れなかった。しばらく並んで歩いた。里奈は最初しかめっ面をしていたが、そのうち普通の顔になっていた。知り合いに会う様子もなかった。
しばらくして、里奈が前を向いたまま口を開いた。
「デートって、誰と行くの」
「同じクラスの女子」
少し間を置いてから、里奈が続けた。
「どういう子なの。どんな感じの子?」
「明るくて、よく笑う。クラスの中心にいる感じ」
「へえ」
里奈が少しだけ俺を見た。
「兄貴、そういう子と話せるようになったんだ」
「なれた」
「1学期は超根暗だったのに」
「変わったからな」
「いつから話すようになったの」
「……たしか、体育祭終わったぐらいだったかな」
里奈は小さく言った。
「体育祭は……まあ、すごかったし」
「そういえば、里奈も動画で見たな」
里奈はそれには何も返さなかった。ただ、一瞬だけこっちを見て、それからまた前を向いた。
「……どういう流れでデートになったの」
少し意外な聞き方だった。
「最初は、その子ともう1人の女子と3人で水族館に行く流れだった」
「ふーん」
「でも、そのもう1人が期限日曜までの無料チケットを2枚だけあるとか言って渡してきた。しかも自分は用事あるから2人で行ってきて、って」
里奈がぴたりと足を止めた。
「……うわ」
「なに」
「ベタベタのパターンじゃん」
「そうなのか?」
「そうだよ。女友達がチケット2枚だけ渡して、自分は用事あるから2人で行ってきてってやつでしょ。ほぼ仕組まれてるじゃん」
「そういう感じなのか」
「そうだよ」
中村みたいなやつって意外といるのか。でも咲良は完全に意表を突かれていたと思うけど。
少し沈黙が落ちた。冬の空気が頬に当たる。里奈がコートのボタンを1つ留めた。
俺はふと思って口を開いた。
「でも久々だな」
「何が」
「里奈と一緒に歩くの」
里奈が少しだけこっちを見た。
「……まあ。たしかに。小学生以来じゃないの。2人だけなら」
「そうかもな。こうして一緒に歩くことになるなんて思ってなかった」
「そんな感傷に浸ること?」
少し笑ってから、俺は言った。
「……1学期の俺だったら、そもそも誰かと外に出ようなんて思わなかったから。努力してよかったとは思うよ」
里奈はその言葉のあと、少しだけ黙った。しばらく歩いてから、前を向いたまま言う。
「……まあ、ちょっと前の兄貴だったら、そもそも視界に入るのが不快だったから。マシになったとは思う」
「前の俺ってほぼゴキブリじゃねぇか」
「そうでしょ」
「肯定するなよ」
「でもまあ、今はゴキブリは卒業したから喜んでいいんじゃない」
ひどいもんだった。でも、これでも褒めているつもりなんだろうと思った。こいつなりの、それが限界なんだろう。
改札の前で立ち止まって、俺はICカードを取り出した。里奈も同じように出す。
「まあ服のことは、とりあえず私に任せて」
「マジで頼んだ」
「ドラゴンとチェーン見かけても、絶対手を伸ばさないこと」
「まあ、さすがに俺でも手を出さない自信はあるけど」
「燃やすからね」
「火事にならないように全力で自制する」
里奈がため息をつきながらICカードをタッチした。俺もタッチした。改札を抜けて、ホームに向かった。
◇
ショッピングモールに着いた。エントランスを入った瞬間、里奈の空気が変わった。
さっきまでのかったるそうな感じが、一気に消えた。目つきが変わる。ショーウィンドウを流す視線が速い。でも雑じゃない。全体を見ながら、頭の中で店を絞っていっているのが横からでもわかった。
スマホをポケットにしまって、両手を空ける。
「まず全体見る。1店ずつ入ってたら時間かかるから、外から見て絞る」
「わかった」
「その前に確認」
里奈が立ち止まって、改めて俺を上から下まで見た。エントランスの明るい照明の下で、かなりじっくり見られる。
「そのコート、いつ買ったの」
「……コートだけは最近だと思う。母さんが気づいたら買ってくれてた」
里奈が俺のコートに視線を移した。ウールの紺色のコートだった。悪くないと思っていた。
「これ、サイズが全体的に合ってない。肩が落ちてる。丈も長すぎる」
「そうなのか」
「うん。終わってる」
「……それ、母さんが選んだやつなんだけど」
「関係ない」
心の中で突っ込んだ。母さんに失礼だろ、と思ったが、口には出さなかった。母さんは悪くない。タイミングが悪かっただけだ。体型が変わり続けている人間の服を選ぶのは、誰でも難しい。
「靴は?」
里奈が続けた。
「これは母さんが夏ぐらいに買ってくれた」
里奈が俺の足元を見た。黒のスニーカーだった。これも悪くないと思っていた。
「デザインが古い。シルエットが太くて、足元が重く見える」
「そんなにダメか」
「終わってる」
また母さんが浮かんだ。心の中でまた突っ込んだ。母さんのセンスということも考えろ。でも言わなかった。母さんは善意で選んでくれている。センスじゃなくてタイミングの問題だ。きっとそうだ。
「つまり」
里奈が言った。
「今日着てきたもの、全部ダメってこと。ゼロから揃えていく」
「全部……」
「全部。コートも靴も。服だけ変えても意味ない。全部合わせないとトータルで見たとき崩れる」
「金銭面はお手柔らかに頼む」
「それはあとで考える。まず見てから。行くよ」
里奈が歩き始めた。歩きながら、里奈が続けた。
「兄貴の体型、肩と腕に厚みが出てきてるから、ジャストサイズじゃないと野暮ったくなる。オーバーサイズは選ばない」
「そうなのか」
「身体が作れてきたら、サイズで誤魔化すのは逆効果。ちゃんと合ったもので着たほうが全部出る」
「わかった」
「カラーは清潔感を軸にいく。明るすぎず、暗すぎず。兄貴の肌の色と顔の系統に合わせる」
「任せる」
「肌がきれいになったんだから、それを潰すような色を選んだら意味ない。肌が映える方向で選ぶ」
「なるほど」
「試着室に入れって言ったら絶対入ること。着てみないとわかんないから」
「そうする」
里奈が「よし」と言って、最初の店の方向へ向かい始めた。
相変わらず偉そうだった。でも、服のことに関しては本当にこいつに任せて、俺は余計なことを言わないほうがいいんだろうと思った。
俺は何も言わず、そのまま里奈の後ろについて歩いた。




