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第23話 冬休み明け

3学期初日の朝。


廊下を歩いていると、後ろから声がかかった。


「天野!」


振り返ると、伊藤だった。


「久しぶり。冬休みどうだった?」


俺が言うと、伊藤がすぐ返す。


「いや、それより」


伊藤は俺の顔をしばらく見た。


「え、お前まさか化粧してる?」


「いや、してないけど」


「だよな? でもなんか……肌すごくね?」


伊藤は俺の顔をじっと見たまま続ける。


「前よりさらに肌整ってね? 髪もなんか艶あるし」


「ワックス入れてるだけだよ」


「ワックスで肌は変わらんだろ」


伊藤がすぐに言った。


「お前、休みの間に何したんだよ」


「まあ、筋トレとかスキンケアとか、いろいろ」


伊藤が吹くように笑った。


「デジャブかよ! 夏休み明けにもそれ聞いたわ!」


「いや、実際、ほぼそれしかしてないんだって」


「進化し続けるやつが、コメントは毎回同じなの、普通に面白いわ」


「語彙力の進化はこれからっぽい」


俺がそう言うと、伊藤が声を出して笑った。俺も一緒に笑った。



教室に入ると、女子のグループがこちらを見た。2学期の終わりより、視線の強さが増していた。


「見た? 天野くん、さらに清潔感出てない?」


という声が聞こえる。


「わかる。肌がなんか……」と別の声が続いた。


「筋肉もなんかすごそうじゃない?」


「たしかに。胸板とか結構変わってるよね」


俺は前を向いたまま席に着いた。



少しして、咲良と中村がこっちへ来た。


「仁、久しぶり!」


咲良が言う。そのまま俺の顔を見て、目を丸くした。


「え、ちょっと待って、めっちゃ肌きれいになってない?」


「なってるなってる」と中村も言う。


咲良が、少し身を乗り出して聞いてきた。


「なにしたの? どんな化粧水使ってるの?」


「ああ、俺は……」


俺は薬局で選んでもらったものの名前を出した。咲良が少し目を丸くする。


「え、それ普通にプチプラのやつだよね」


「たぶん」


「なのにそんなにきれいなんだ。すご」


「なんか、続けることが大事みたいでさ」


「いや。私も同じ系統のやつ、続けて使ったことあるんだけど」


咲良が少し笑う。


「なんで差つくの。男子のほうが肌きれいって、ちょっと悔しいんだけど」


中村も笑った。


「ほんと。天野くんの肌って人を平気で傷つけてくるよね」


「いや、人を傷つける肌って何だよ。新ジャンルすぎるだろ」


そう返すと、咲良と中村が同時に笑い、俺も笑った。



冬休みが終わってしばらく経過したある日。


放課後になった。鞄に荷物を詰めていると、気配がした。顔を上げると、咲良と中村がこっちに来ていた。2人ともまだ帰り支度の途中らしかった。


少しだけ立ち話をした。


その流れの中で、急に中村が「あ、そうだ」と言った。


「今週までの無料チケットあるんだけど、水族館行かない?」


水族館。


その単語を聞いた瞬間、少し気持ちが動いた。普通に、楽しそうだと思った。咲良と中村と3人で行く水族館は、たぶんかなり賑やかで、わくわくする時間になる気がした。


でも、その直後に別の考えが浮かんだ。


今はまだ、初期サポートによる成長補助が適用されている期間だ。しかも、終了まで残り1カ月を切っている。こういう時期は、できるだけ無駄なく使いたい。


勉強もある。走り込みもある。ジムもある。冬休みが終わったばかりで、まだ伸ばせる感覚も残っていた。


水族館に行く時間があるなら、そのぶん問題集を進めることもできるし、トレーニングにも回せる。


……そう考えたあとで、さらに別の考えが浮かんだ。


友人と出かけること自体は、たぶん無駄じゃない。会話の量は増える。その場での振る舞いも問われる。相手に合わせる力も要る。知識や会話力につながる可能性はある。


そう考えると、行く意味は十分あった。


むしろ、成長補助がまだ適用されている今だからこそ、行っておいたほうがいいのかもしれない。


その横で、咲良がぱっと反応した。


「え、水族館いいじゃん。行きたい」


それから、自然な顔でこっちを見る。


「仁も行くでしょ?」


「いいね。俺も行きたい」


「じゃあ決まりだね」


中村がそう言って、鞄の中から封筒を取り出した。


「ただ、私は週末用事あるから、2人で行ってきてね。はい、チケット」


そのまま、俺に2枚渡してくる。


「え、中村は行かないのか?」


「行かないっていうか、行けなくてさ」


中村はあっさり言った。


「でも期限今週までだし、ちょうどいいじゃん」


咲良が、そこでようやく反応した。


「ちょ、ちょっと待って、美玲」


「いや、本当に予定あってさ」


中村が困ったような顔で言う。


「チケット無駄にしないためにもお願い!」


咲良が少し詰まった。


「……いいけど」


「じゃ、決まりだね」


中村は軽く手を振った。


「楽しんできてね」


そのまま話がまとまった。


俺はチケットを受け取った。咲良は少しだけ困ったような顔をしていたが、嫌そうではなかった。急に話が決まりすぎて、気持ちが追いついていない感じだった。


「……じゃあ、日曜はどう?」


俺が言うと、咲良は少し遅れて頷いた。


「うん。日曜ね」


その瞬間、パネルが光った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION】


難易度:通常


佐々木咲良との水族館デートを成功させろ。


【達成報酬】

会話力 上昇

知識 上昇

━━━━━━━━━━━━━━━━━


……デート。


俺は一瞬、パネルを見たまま止まった。


そうか、これはデートなのか。


家族以外の女子と2人で出かけるなんて、たぶん初めてだった。しかも相手は、クラスの中心にいるような明るい女子だ。


まさか自分が、そういう相手と2人で出かけることになるとは思っていなかった。


それに、ミッションが出た。


つまり、この時間はちゃんと意味のあるものとして認識されている。今はまだ、初期サポートによる成長補助が適用されている期間だ。この時期に発生した以上、無駄にはならない。


俺の判断は間違っていなかった。


そう考えると、むしろ気持ちは落ち着いた。



そのあと、2人が少し離れたところへ歩いていく。


俺も鞄を肩にかけて教室を出ようとしたとき、小さな声が聞こえた。


「もう、不意打ちやめてよ」


咲良の声だった。


「でも行きたかったんでしょ」


中村の声が返る。


「そういう話じゃなくて……」


そこから先は、よく聞こえなかった。


俺は足を止めず、そのまま廊下に出た。


行くなら、ちゃんと成果に変える。成長補助も、ミッションも無駄にはしない。



デート前日、土曜日の朝。


『デートを成功させろ』


デートが決まった日から、ずっとその言葉が頭の中にあった。


成功、というのがいまいちわからなかった。


体育祭のアンカーなら「1位でゴール」という明確な基準があった。


期末テストなら「学年10位以内」という数字があった。


でも今回は違う。


デートの成功というのは、何をもって成功と言うのか。


考えながら歩いていると、1つの答えが出てきた。


咲良を満足させればいい。


咲良が楽しかったと思えれば、きっとそれが成功だ。


そのために今の俺にできることは何か。


会話力、聴く力、相手のペースに合わせることをさらに鍛えることかもしれない。


コミュニケーション実用書を開こうとした。


デートを成功させるためにやれることを整理しておきたかった。冬休みに読んだ本の要点まとめを見返して、実践で使えそうなことを頭に入れておく。


そういう準備をするつもりだった。


パネルが光ったのは、本を手に取った瞬間だった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION】


難易度:困難


自分に似合う服を見つけろ。

ただし必ず、年齢の近い異性の意見を取り入れること。


【達成報酬】

体格 上昇

容姿 上昇

━━━━━━━━━━━━━━━━━


俺はそのまま固まった。


服。


服については、何もしていなかった。


考えていなかった、というより、考える余裕がなかった。


夏休みは体を変えることに全力を注いだ。2学期は勉強と体育祭に全部使った。冬休みはジムと読書と問題集だった。


服のことを考える隙間が、どこにもなかった。


でも今この瞬間、改めて考えると、状況はかなりまずかった。


「年齢の近い異性の意見を取り入れること」


しかも、誰かに相談しないといけない。


頭の中で候補を並べる。


川島。


……でも、服に興味やセンスがあるかは正直かなり怪しい。あいつはそういう方向より、ゲームとアニメのほうが圧倒的に詳しい。


橘。


落ち着いているし、変なことは言わないと思う。でも、あいつはあいつで独特なセンスの可能性がある。悪く言えば、万人向けじゃないものを普通に勧めてきそうだった。


それに、そもそも来てくれるか問題もある。


三浦さん。


一瞬考えて、すぐ消した。


あの人に頼むのは違う。


好意を持たれている可能性がゼロじゃない相手に、デート用の服を選んでもらうのはさすがにまずい。


篠崎さん。


……いや、なくはない。


仕事があれだけできる先輩だし、細かいところまで気が回る人だ。服に関しても、たぶんセンスは悪くない。というか、よく思い出せば、普通におしゃれだった気がする。


ただ、問題はそこじゃない。


あの人に頼んだら、絶対に茶化される。しかも軽くじゃない。楽しそうに、しっかりいじってくるタイプだ。


それでも、そんなことを気にしている余裕はない。


恥は一瞬だ。


そう考えたところで、思い出した。


そういえば、篠崎さんは今日シフトに入っている。


土曜の昼から夕方まで入るはずだ。今日服を選んでもらうのは無理だ。


――本気で困った。


すると、廊下をぱたぱた歩く音がして、里奈が自分の部屋から出てきた。


スマホを見ながら歩いていて、廊下の真ん中に立っている俺の前で止まる。


「兄貴、邪魔」


顔も上げずに、それだけ言った。


俺はその背中を見た。


里奈。


中学2年、14歳。


年齢の近い異性。


即座に棄却しようとした。


ない。


こいつはない。


口は悪いし、俺のことになると基本的に雑だ。頼んだら絶対に馬鹿にしてくる。嫌みも言う。面倒くさそうな顔もする。


里奈の服を見た。


シンプルなニットに、細めのパンツ。カラーの組み合わせがきれいで、なんでもなく見えてちゃんと洒落ていた。


そういえば里奈はいつも、ちゃんと洒落ていた。


派手でも地味でもなく、なんかちゃんとしている。


他の誰かに選んでもらったような服じゃなくて、自分で選んだことが伝わってくる服を着ている。


服のセンスは、本物だと思う。


それだけじゃない。


里奈は頭がいい。


こいつはなぜか、俺と全然違う頭を持って生まれてきた。定期テストでも上位を取る。面倒くさそうな顔をしながら、物事の本質を一言で言い当てる、あの感じ。


俺が夏休みに死ぬ気で勉強して学力を上げた。でも里奈はそれを中学2年の時点で、大して勉強してなさそうなのに当たり前のようにやっている。


悔しいというより、不思議だった。


同じ親から生まれて、なんでここまで違うんだ、と何度思ったかわからない。


それに服のセンスについて何がおかしいかを、俺に一切の遠慮なく言ってくれるはずだ。


今回、それはむしろ必要なことだった。


……やっぱりこいつしかいないか。


俺は覚悟を決めた。


「里奈」

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