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21/23

第21話 冬休み①

冬休み初日。


朝のランニングを終えて戻ってきた。汗が出ていた。


シャワーを浴びる。今日からコールドシャワーが始まる。シャワーノブを冷水側に回した。


水が出た瞬間――。


「――っ!」


声が出た。抑えようとしたが無理だった。刃物みたいな冷たさが一気に全身を叩いて、肺が縮む。足元から逃げ出したい衝動が、波みたいに来た。


こんなのを好んでやるやつの気持ちがわからない。何が楽しくて冷水を浴びるんだ。でもミッションには、3分と書いてある。


俺は歯を食いしばって、その場に立ったままタイマーを見た。


まだ30秒。


嘘だろ。


「なに、今の声」


ドア越しに里奈の声がした。


「っ……シャワー」


「シャワーでなんで叫んでんの」


「冷水シャワーだから……」


「は?」


里奈が間を置いてから言う。


「真冬に冷水シャワー浴びて叫んでんの? 修行僧じゃん。きも」


文句はシステムに言ってくれ、と思ったが何も言えず、タイマーが鳴るまで、正面を向いたまま立っていた。


出た瞬間、全身が熱いのか冷たいのかもよくわからなかった。でも、妙に目は覚めていた。



まだ冬休みの初日は始まったばかりだ。今日中にやることがいくつもある。


ジム。図書館。書店。薬局。


お金の心配は、思ったよりなかった。夏休みから今まで、ゲームも漫画もほとんど買っていない。バイトを始めてからは、自分で使える金も増えた。黒川にお金を取られることもない。


そのぶん、バイト代がかなり残っている。問題集もスキンケア用品も、自分で払える計算だった。


まず薬局に向かった。入口を入ると、店員が棚の整理をしていた。夏に相談した人だったかどうか、少し距離があってわからない。


近づく。


「あの、スキンケアのことで相談したいんですが」


店員が顔を上げた。間違いなく、あのときの店員だった。


「はい、どうされましたか」


特に何の反応もなかった。


「あの、夏休みに入る前、7月の下旬に一度ここで相談したことがあって。ニキビ肌向けのものを選んでもらったんですが……覚えてないですよね」


店員が俺を一度見て、少し首をかしげた。


「7月下旬……もしかして」


そこで、改めてじっと俺の顔を見る。数秒、間があった。


「え、あのときの……? 全然違ったので、わからなかったです」


少し声が上がった。


「そうです。あのとき教えてもらったもので、ニキビはだいぶ良くなったんですが、今はほぼなくなっていて。同じものを使い続けていいのかわからなくて」


「少し見せてもらっていいですか」


店員は俺の肌を確認した。夏と同じで、短く見て状態を把握するような目だった。


「ニキビ向けは、もう卒業して大丈夫そうですね。今の肌なら、保湿力があって整肌成分が入っているもののほうが合います。あと、バリア機能を整える方向に切り替えたほうがいいです」


それから紫外線予防についても聞いた。顔用のUVクリームの選び方。スキンケアのどの順番で使うか。冬でも必要かどうか。全部、かなり丁寧に教えてくれた。


シャンプーとトリートメントのことも相談した。髪質と頭皮の状態に合ったシャンプーと、髪のダメージを補修するトリートメントを選んでもらう。使い方も教わった。


トリートメントは根元を避けて、中間から毛先につける。少し時間を置いてから流すのがいいらしい。


会計をしながら、店員が少し笑った。


「前回から、かなり変わりましたね。肌だけじゃなくて、全体的に」


「夏からいろいろやってたので」


「続けることって大事ですね。頑張ってください」


続けて午前中に書店と図書館にも行き、必要な本を手に入れた。



午後、トレーニングジムに行き、利用登録を済ませた。


フロアに案内される。平日の昼間で、人は少なかった。ミッションに書かれていた種目を確認してから、各マシンを使ってみる。


スマホでフォーム動画を確認しながら、まずは軽い重量で動作だけを繰り返した。そのたびに、パネルが何度か警告を出した。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【SYSTEM WARNING】


フォームが適切ではありません。

このセットはカウントされません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━


動画を止めて確認する。やり直す。それを繰り返した。


フォーム確認も含めて、2時間かかった。



夜、机の前に座った。借りてきた実用書を1冊開く。『話すより聴く技術』というタイトルだった。


読み始めると止まらなかった。


入浴後、新しいシャンプーとトリートメントを使った。トリートメントを根元を避けて中間から毛先につけて、少し置いてから流す。薬局の人に教わった通りにやった。


洗い上がりの感触が、これまでと違った。


化粧水と乳液も新しいものに変えた。ニキビ向けだったものから、保湿と整肌を重視したものへ。


つけたあとの肌の感触が、少し違った。



初日で、ほぼミッションをこなす形を整えた。


ランニング。コールドシャワー。薬局。書店。図書館。ジム。スキンケアとヘアケアの切り替え。


まだ冬休み初日だ。なのに、もう少し疲れていた。


でも、嫌じゃなかった。やることが多いぶん、前に進んでいる感じもあった。



12月24日は冬休みが始まってすぐだった。


今日は昼からラストまで、フォレストテーブルの8時間勤務がある。


朝のうちに最低限を積む。落とす項目を見切る。守る項目を先に守った。


店に入ると、もう2人ともいた。


「おはようございます」


俺が言うと、三浦さんがすぐにこっちを見た。


「あ、おはようございます」


それから、少しだけ表情をやわらげる。


「天野さん、今日も頑張りましょう」


「はい。よろしくお願いします」


三浦さんとのこういう挨拶は、なんとなく落ち着く。忙しい日だとわかっていても、この人にそう言われると、少しだけ肩の力が抜ける気がした。


その横で、篠崎さんが備品を確認しながら顔を上げた。


「おはよー。あ、メリクリ」


「メリークリスマスです」


「天野くんもクリスマス2日連チャンだよね?」


「そうですよ」


篠崎さんは、そこでわざとらしく少しだけ間を置いた。


「あらあら。かわいそうに。彼女とかいないのー?」


「そんなのいませんよ」


俺はそのまま返した。


「篠崎さんも2日連チャンですよね。篠崎さんは彼氏いないんですか?」


「よし。じゃあ今日は頑張ろっか」


「はい……え、無視ですか?」


篠崎さんは本当に無視して、そのままフロアへ向かった。


横で、三浦さんが小さく言った。


「天野さん、あんまりその話題は言わないほうがいいかもです……」


「え、でも篠崎さんから振ってきましたよ?」


「そうなんですけど……」


三浦さんは少し困った顔をした。


「ついさっき、私も似たようなことを聞かれました。答えたら、同じように流されました」


「理不尽ですね」


「……はい」


それだけ言って、三浦さんは少しだけ笑った。



クリスマスの店内は、本当に忙しかった。


篠崎さんに前から「クリスマスは普通に地獄だよ」と言われていたけど、まさにその通りだった。


ファミレスなのに価格帯は高く、雰囲気も良いため、カジュアルレストランにも近かった。だからクリスマスは高校生や大学生のカップル、家族連れが次から次へと入る。待ちも出る。ベルも鳴る。厨房もホールも、ずっと張っていた。


俺はもう仕事そのものにはかなり慣れていた。だから、完全に飲まれることはなかった。ただ、慣れているのと楽なのは全然違った。


この2日間は、本当に一瞬も気を抜けなかった。


その間のことは、正直あまり細かく覚えていない。


卓を見て、動いて、返して、下げて、また次へ行く。それをずっと繰り返していた。気づけば時間が飛んでいた。


24日が終わったときには、もう頭が熱を持っていた。



25日も、やることは同じだった。


朝のうちに最低限を積む。落とす項目を見切る。守る項目を先に守る。それから店へ行く。


2日連続のクリスマスシフトは、24日以上にきつかった。前日からの疲れが残っている。三浦さんも、途中からかなり疲れているように見えた。それでも頑張っていた。


篠崎さんは相変わらず軽い口調のまま、現場を切っていた。どこが詰まっているかを一瞬で見つけて、必要なところへ必要なだけ手を入れる。


忙しいときほど、そのうまさがよくわかった。



25日の上がり際。


閉店まではまだ時間があったが、俺たち3人はその日のシフトを終えた。バックヤードの通路脇で、それぞれ鞄を取って帰り支度をしていた。


ステータスアップのヒントが得られるかもしれないと思い、近くにいた篠崎さんに声をかけた。


「篠崎さん」


「ん?」


「……なんで、あんなに忙しいのに平気そうな顔して、しかもミスもしないんですか」


俺は正直に言った。


「今日、後半かなり崩れました。俺の何が悪かったんでしょう」


篠崎さんがこっちを見て、少しだけ笑った。


「おー。向上心の塊だねえ」


軽い調子でそう言ってから、すぐに続ける。


「でも、天野くんも今日はかなりよくやってたと思うけどね」


「ありがとうございます。でも、後半で結構ミスもしましたし」


俺は少しだけ間を置いた。


「遠慮せずに、悪いところがあれば言ってください」


「いいよ」


篠崎さんはあっさり頷いた。


「じゃあ、私の持論でよければだけど。天野くんって、なんで今日の後半に崩れたと思う?」


「量が多くて、捌ききれなかったからです」


「うん、まあそれもある」


篠崎さんは軽く頷く。


「でもさ、前半も別に暇じゃなかったじゃん」


「それはそうですけど……やっぱり疲れは溜まりますし」


「まず、そこなんだよね」


篠崎さんは言った。


「天野くんって、忙しくなるとすぐ急ぐじゃん」


俺は少し考えた。


「……それって、誰でもそうなるんじゃないですか」


「私は、クリスマスみたいに、最初から最後までずっと忙しいのが確定してる日は、最初から飛ばさないの」


「……飛ばさない?」


「そ。ずっと80とか85くらいで回す」


さらっと言う。


「本気で上げるのは、クレームとか、遅れたらまずい割り込みとか、そういうときだけ」


「え……」


俺は少し黙った。


「手加減して、あれですか」


「うん。そっちのほうが効率いいし」


篠崎さんは当然みたいに言った。


「実際、天野くんは後半で疲れて、ちょっとずつ判断も雑になってたでしょ」


「……それは、そうですね」


認めるしかなかった。


「でしょ」


篠崎さんは頷いた。


「でもまあ、このへんは慣れもあるし。今の時点であそこまで回せてるなら、普通にかなりいいほうだよ」


俺は少し息を吐いた。


「ありがとうございます」


それから本音で言った。


「でもやっぱり、篠崎さんは全然上だなって思いました。処理も速いですし、記憶も正確ですし」


「まあ、そのへんはわりと得意分野だからねえ」


篠崎さんは肩をすくめた。


「でも天野くんも、人並み以上にはあると思うよ」


そのとき、三浦さんが、小さく口を開いた。


「……私は、何もいいところありませんけど……」


声がかなり小さかった。でも、篠崎さんはすぐに拾った。


「いや、あるでしょ」


「え……?」


三浦さんが顔を上げる。


篠崎さんはあっさり言った。


「三浦は普通に可愛いじゃん」


「えっ」


一瞬で三浦さんの動きが止まった。


「しかも、ミスったときもちゃんと一生懸命謝るし」


篠崎さんは続ける。


「ああいうのって相手の印象かなり違うからね。店としても、あの可愛らしさは普通に助かる」


「え、いや、そんな……」


三浦さんの声が明らかにしどろもどろになる。


「それに店の空気も柔らかくなるしね。全員がピリついてる店って、普通に息詰まるじゃん」


「確かに。俺も三浦さんがいると空気違うなって思います」


「え……あの、ありがとうございます……」


「いやいや」


篠崎さんは軽く手を振る。


「ほんとに三浦もいないと今日は普通にきつかったからね。来年、なぜか2人してクリスマス不在とかやめてよー?」


「ど、どういう意味ですか」


三浦さんが慌てるように言う。


「いやあ、別にー」


篠崎さんは軽く言った。


「じゃあ帰ろうかな。お疲れさま」


「お疲れさまでした……」


「お疲れさまでした」


篠崎さんは、そのまま先に出ていった。


通路に、三浦さんと俺だけが少し残った。三浦さんは鞄を持って、少しだけこっちを見た。何か言おうとして、一瞬止まる。


「……天野さん」


「はい?」


「あの、私も帰りますね」


「わかりました」


また少し間があった。


「あの……」


三浦さんは視線を少し落としてから、少しだけ大きめの声で言った。


「メ、メリークリスマスでした!」


少し遅れて、俺も返した。


「メリークリスマスです。今日、かなり大変でしたけど、一緒で助かりました」


三浦さんが一瞬だけ目を上げる。


「……っ、いえ。こちらこそ、ありがとうございました」


頭を下げ、それだけ言うと、少し早足で出ていった。


俺はその背中を少しだけ見送ってから、自分も店を出た。



帰宅したのはかなり遅かった。


部屋に入って、鞄を下ろす。さすがに頭も体も重かった。それでも、パネルだけは確認した。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION WARNING】


未達成項目が更新されました。


・数学 2回未達成

・英語 2回未達成

・理科 2回未達成

・社会 2回未達成

・読書・要点まとめ 2回未達成

・ジムトレーニング 2回未達成

・スキンケア・ヘアケア 1回未達成


※通算4回の未達成で

 該当ステータスが低下します。

━━━━━━━━━━━━━━━━━


今回のクリスマス2日間で、ほとんどの重い項目が2回未達成まで並んだ。でも、ここまでは覚悟していたことで、想定内だ。


俺はゆっくり息を吐いた。


ここから先は、本当に落とせない。

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