第2話 1学期②「初めてのミッションと、動き出した数字」
翌朝も、システムは消えなかった。昨日のミッション画面を呼び出す。そこには、やるべきことがはっきり並んでいた。
走る。寝る。筋トレする。
単純だ。でも、今の俺にはその単純さが遠い。それでも、やるしかない。
◇
学校に行くと、教室はいつも通りだった。
窓際では佐々木が友達の中村と笑っていた。隣では橘が静かに本を開いている。教室の前では、黒川の横で田中が軽い調子で笑っていた。
昼休み、母さんにもらった500円を握って購買へ行こうとしたところで、後ろから肩に腕が回った。全身が強張る。黒川だった。
「金持ってきたな。パンと飲み物、買ってこい」
耳元の声は低く、小さい。逆らえる空気なんて最初からなかった。
「……はい」
言われた通りに買って戻ると、黒川は礼も言わずに受け取った。俺の昼飯は、家から持ってきたゼリーだけになった。
席に戻ってそれを机に置いた瞬間、田中が横から弾く。
「あ」
わざとらしい声。ゼリーが床に落ちる。教室のあちこちから笑いが漏れた。
俺がしゃがみ込もうとした、その頭の上に靴底の重みが乗る。
「これ、土下座っぽくね?」
また笑いが起きた。
やがて足がどき、田中は「わり、冗談」と笑う。まったく悪いと思っていない声だった。
俺が潰れたゼリーを拾い上げたとき、隣から小さな声がした。
「……天野くん」
橘だった。本を閉じて、こっちを見ている。
「大丈夫?」
少し間を置いて、続ける。
「先生に言ったほうがいいんじゃない?」
教室の中で、そんな言葉を口にするやつは他にいなかった。でも俺は、潰れたゼリーを見たまま首を振る。
「……平気。先生、知ってても何もしないし」
自分でも驚くくらい、平らな声だった。
橘は俺をちらりと見た。
「……そう」
橘はそれだけ言って、また本に視線を落とした。
◇
放課後、俺は川沿いを走った。スマホのタイマーを20分に設定して走り出す。
5分で息が上がった。10分で足が重くなった。15分を過ぎるころには、脇腹が痛くて吐きそうだった。それでもタイマーが鳴るまでやめなかった。
帰宅してから、部屋で膝つき腕立てを始める。
1回、2回、3回。
そこで警告が出た。
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【FORM CHECK】
フォームが適切ではありません。
このセットはカウントされません。
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「は?」
思わず声が漏れた。慌ててスマホで正しいフォームを調べ、やり直す。
背中を丸めない。腰を落としすぎない。ゆっくり下ろして、押し上げる。
すると今度は、別の表示が出た。
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【FORM CHECK】
フォーム認識:有効
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腹筋も、スクワットも同じだった。雑にやれば認識されない。適切にやらなければ、努力したことにならない。
終わるころには、腕も足もだるくて仕方なかった。それでも、やめなかった。
2日目も、3日目も、4日目も。
学校では、黒川も田中も俺を下に置くことをやめない。でも放課後になると、俺にはやることがあった。それだけがいつもと違った。
◇
5日目、踊り場で黒川に呼び止められた。
「最近、走ってるんだって?」
心臓が跳ねた。誰かに見られていたらしい。
「……はい」
「何のために?」
「……変わるために」
すると横で田中が笑った。
「変わる? お前が?」
その瞬間、腹に膝が入る。息が消えた。壁に肩をぶつけ、視界が揺れる。
「似合わねえことすんなよ」
黒川の声は低いままだった。
「天性の雑魚だろ? お前はそういうの、やっても無駄だから」
2人が去ったあと、俺はしばらく壁にもたれていた。悔しくて、情けなくて、涙が出そうになった。
でもその夜も、俺は川沿いを走った。腹が痛い。足も重い。それでもやめなかった。
やめたら、本当に無駄になる気がしたからだ。
◇
7日間を終えた翌朝。1学期の終業式の日だ。
起きた瞬間、システム通知が視界に出た。
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【MISSION RESULT】
FIRST MISSION 達成
体格 31 → 34
筋力 37 → 39
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上がった。
数字が、本当に動いた。
確かめたくなって、すぐに体重計に乗る。ミッション開始前の朝、起きてすぐ、何も食べる前に測ったときは72kgだった。今朝も同じ条件で測る。
70kg。
もう一度乗り直した。同じだった。2kg減っていた。
次にメジャーで身長を測る。ミッション開始前の朝、起きてすぐ、壁に背中をつけて測ったときは163cmだった。今朝も同じように、起きてすぐ、同じ壁で測る。
165cm。
もう一度測った。同じだった。
「……は?」
声が出た。2cm、伸びていた。
ありえない。1週間でこんなに変わるわけがない。身長が2cm伸びるなんて、普通ならそんな短期間では起きない。体重が2kg落ちるのだって、もっと時間がかかる。しかも、食事を極端に減らしたわけでもない。
どっちも同じ条件で測った数字だ。測り間違いじゃない。
体格が上がったことで姿勢が矯正されたのか。それとも、このシステムが俺の体そのものを変えているのか。
俺はメジャーを持ったまま、しばらく鏡の前で動けなかった。
これ、本物だ。
数字が動いた。体が変わった。本当に、変わった。
パネルを見る。まだ低い数字ばかりだ。でも、昨日までとは少しだけ違って見えた。
さらに、画面が更新された。
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【SPECIAL REWARD】
ファーストミッションクリア限定報酬
ステータスブースト枠「2項目」を獲得しました。
任意のタイミングで対象項目を選択できます。
【候補】
知識 / 学力 / 容姿 / 体格 / 会話力 / 運動神経 / 筋力
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限定報酬。その文字だけで、心臓が強く跳ねた。
どれを選ぶべきか、すぐには決められなかった。学力を上げたい気持ちもある。運動神経も欲しい。会話力だって必須だ。
でも、今日は1学期の終業式だ。考える時間は、あとでいくらでもある。
俺は表示を閉じて、制服に着替えた。
◇
担任の坂本先生が教室の前に立って、「2学期もよりよい学校生活を送りましょう」と言った。
まともに聞いていたやつはいない。黒川は机の下でスマホをいじっていて、田中は横のやつと喋っていた。
先生の話が終わり、坂本先生が廊下に出た直後だった。黒川が立ち上がって、まっすぐ俺の前まで来る。俺も反射みたいに立ち上がった。
「夏休みはお前の汚え顔見なくて済むから、うれしいぜ」
そう言って、黒川は俺の顔に唾を吐いた。頬に当たる。俺は制服の袖で拭いた。それを見て、近くの何人かが笑った。
黒川はそのまま踵を返して歩き出す。後ろで田中も立ち上がり、俺の横を通り過ぎた。すれ違いざま、肩に手が当たる。
軽くじゃない。力が入っていた。わざとだった。
「つまんねぇ夏になりそうだな。天野は」
田中は笑いながらそう言って、そのまま廊下に出ていく。
俺は机に手をついて、しばらく息を整えた。周りの声が少し遠い。でも、誰もこっちを見ていなかった。
佐々木のよく通る声が聞こえる。みんな、夏休みの予定の話をしていた。いつも通りだった。
特別ひどい日でも、特別いい日でもない。
ただ、1学期が終わった。
◇
家に帰ると、廊下に里奈がいた。
俺の顔を見た瞬間、里奈は露骨に眉をひそめた。
「うわ」
その声だけで、俺を避けるみたいに壁際を歩いていく。
「夏休み、あんま部屋から出ないでよね。顔見たくないから」
そのまま自分の部屋に入って、ドアが閉まった。
ただ、言葉だけが残った。それが案外あとを引いた。
俺は自分の部屋に入った。姿見に映るのは、太っていて、肌が荒れていて、猫背で、冴えない顔をした自分だった。
黒川に唾を吐かれる顔。里奈に視界に入れたくないと言われる顔。
それが今の俺だった。
俺は、朝の報酬画面を再表示した。
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【SPECIAL REWARD】
ファーストミッションクリア限定報酬
ステータスブースト枠「2項目」を付与します。
対象項目を選択してください。
【候補】
知識 / 学力 / 容姿 / 体格 / 会話力 / 運動神経 / 筋力
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どれを選ぶべきか、もう迷わなかった。
学校でも、家でも、何より最初に否定されるのはそこだった。
だから俺は選ぶ。
容姿。体格。
表示が静かに切り替わる。
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【BOOST】
選択を確認しました。
ブースト対象:容姿 / 体格
翌日から40日間、対象項目の成長効率が大幅上昇します。
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息を呑む。
容姿と体格の成長ブースト。つまり、努力すれば、見た目が普通以上に変わるということだ。
その直後、次のミッションが表示された。
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【MISSION】
難易度:極
翌日から40日間、以下の条件に挑戦せよ。
【運動】
・ランニング5km
・腕立て伏せ50回
・腹筋50回
・スクワット50回
・体幹トレーニング20分
【食事・栄養管理】
・摂取カロリー2000~2400kcalの範囲内
・タンパク質を体重×1.5g以上確保
【勉強】
・英単語30語暗記
・数学1時間
・英語1時間
・国語 / 理科 / 社会ローテーション1時間
【外見】
・朝晩のスキンケア
・8時間以上の睡眠
【対人】
・夏休み中に地域ボランティアへ3回以上参加
・参加ごとに、参加者へ自分から5回以上声をかける
【達成条件】
同じ項目の未達成が通算5日に到達しないこと。
通算5日未達成となった場合は失敗扱いとなる。
【全条件維持成功時】
全ステータスにボーナス
特別スキル付与の可能性あり
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俺は最後まで読んで、しばらく動けなかった。
40日。長い。
しかも、内容が多すぎる。できるわけがない。
ミッションは失敗したら下がる。それも怖い。でもそれ以上に、これを全部やれと言われていること自体が怖かった。
本当なら、夏休みは学校の地獄から抜け出せる休息になるはずだった。でも、休んでいるだけじゃ何も変わらない。
9月になれば、また黒川がいる。田中が笑う。俺はまた、下を向く。
そんな2学期だけは、もう嫌だった。
見た目も、体も、人生も。
全部、変える。
そのための40日が、明日から始まる。




