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第2話 1学期②「初めてのミッションと、動き出した数字」

翌朝も、システムは消えなかった。昨日のミッション画面を呼び出す。そこには、やるべきことがはっきり並んでいた。


走る。寝る。筋トレする。


単純だ。でも、今の俺にはその単純さが遠い。それでも、やるしかない。



学校に行くと、教室はいつも通りだった。


窓際では佐々木が友達の中村と笑っていた。隣では橘が静かに本を開いている。教室の前では、黒川の横で田中が軽い調子で笑っていた。


昼休み、母さんにもらった500円を握って購買へ行こうとしたところで、後ろから肩に腕が回った。全身が強張る。黒川だった。


「金持ってきたな。パンと飲み物、買ってこい」


耳元の声は低く、小さい。逆らえる空気なんて最初からなかった。


「……はい」


言われた通りに買って戻ると、黒川は礼も言わずに受け取った。俺の昼飯は、家から持ってきたゼリーだけになった。


席に戻ってそれを机に置いた瞬間、田中が横から弾く。


「あ」


わざとらしい声。ゼリーが床に落ちる。教室のあちこちから笑いが漏れた。


俺がしゃがみ込もうとした、その頭の上に靴底の重みが乗る。


「これ、土下座っぽくね?」


また笑いが起きた。


やがて足がどき、田中は「わり、冗談」と笑う。まったく悪いと思っていない声だった。


俺が潰れたゼリーを拾い上げたとき、隣から小さな声がした。


「……天野くん」


橘だった。本を閉じて、こっちを見ている。


「大丈夫?」


少し間を置いて、続ける。


「先生に言ったほうがいいんじゃない?」


教室の中で、そんな言葉を口にするやつは他にいなかった。でも俺は、潰れたゼリーを見たまま首を振る。


「……平気。先生、知ってても何もしないし」


自分でも驚くくらい、平らな声だった。


橘は俺をちらりと見た。


「……そう」


橘はそれだけ言って、また本に視線を落とした。



放課後、俺は川沿いを走った。スマホのタイマーを20分に設定して走り出す。


5分で息が上がった。10分で足が重くなった。15分を過ぎるころには、脇腹が痛くて吐きそうだった。それでもタイマーが鳴るまでやめなかった。


帰宅してから、部屋で膝つき腕立てを始める。


1回、2回、3回。


そこで警告が出た。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【FORM CHECK】


フォームが適切ではありません。

このセットはカウントされません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━


「は?」


思わず声が漏れた。慌ててスマホで正しいフォームを調べ、やり直す。


背中を丸めない。腰を落としすぎない。ゆっくり下ろして、押し上げる。


すると今度は、別の表示が出た。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【FORM CHECK】


フォーム認識:有効

━━━━━━━━━━━━━━━━━


腹筋も、スクワットも同じだった。雑にやれば認識されない。適切にやらなければ、努力したことにならない。


終わるころには、腕も足もだるくて仕方なかった。それでも、やめなかった。


2日目も、3日目も、4日目も。


学校では、黒川も田中も俺を下に置くことをやめない。でも放課後になると、俺にはやることがあった。それだけがいつもと違った。



5日目、踊り場で黒川に呼び止められた。


「最近、走ってるんだって?」


心臓が跳ねた。誰かに見られていたらしい。


「……はい」


「何のために?」


「……変わるために」


すると横で田中が笑った。


「変わる? お前が?」


その瞬間、腹に膝が入る。息が消えた。壁に肩をぶつけ、視界が揺れる。


「似合わねえことすんなよ」


黒川の声は低いままだった。


「天性の雑魚だろ? お前はそういうの、やっても無駄だから」


2人が去ったあと、俺はしばらく壁にもたれていた。悔しくて、情けなくて、涙が出そうになった。


でもその夜も、俺は川沿いを走った。腹が痛い。足も重い。それでもやめなかった。


やめたら、本当に無駄になる気がしたからだ。



7日間を終えた翌朝。1学期の終業式の日だ。


起きた瞬間、システム通知が視界に出た。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION RESULT】


FIRST MISSION 達成


体格   31 → 34

筋力   37 → 39

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上がった。


数字が、本当に動いた。


確かめたくなって、すぐに体重計に乗る。ミッション開始前の朝、起きてすぐ、何も食べる前に測ったときは72kgだった。今朝も同じ条件で測る。


70kg。


もう一度乗り直した。同じだった。2kg減っていた。


次にメジャーで身長を測る。ミッション開始前の朝、起きてすぐ、壁に背中をつけて測ったときは163cmだった。今朝も同じように、起きてすぐ、同じ壁で測る。


165cm。


もう一度測った。同じだった。


「……は?」


声が出た。2cm、伸びていた。


ありえない。1週間でこんなに変わるわけがない。身長が2cm伸びるなんて、普通ならそんな短期間では起きない。体重が2kg落ちるのだって、もっと時間がかかる。しかも、食事を極端に減らしたわけでもない。


どっちも同じ条件で測った数字だ。測り間違いじゃない。


体格が上がったことで姿勢が矯正されたのか。それとも、このシステムが俺の体そのものを変えているのか。


俺はメジャーを持ったまま、しばらく鏡の前で動けなかった。


これ、本物だ。


数字が動いた。体が変わった。本当に、変わった。


パネルを見る。まだ低い数字ばかりだ。でも、昨日までとは少しだけ違って見えた。


さらに、画面が更新された。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【SPECIAL REWARD】


ファーストミッションクリア限定報酬


ステータスブースト枠「2項目」を獲得しました。

任意のタイミングで対象項目を選択できます。


【候補】

知識 / 学力 / 容姿 / 体格 / 会話力 / 運動神経 / 筋力

━━━━━━━━━━━━━━━━━


限定報酬。その文字だけで、心臓が強く跳ねた。


どれを選ぶべきか、すぐには決められなかった。学力を上げたい気持ちもある。運動神経も欲しい。会話力だって必須だ。


でも、今日は1学期の終業式だ。考える時間は、あとでいくらでもある。


俺は表示を閉じて、制服に着替えた。



担任の坂本先生が教室の前に立って、「2学期もよりよい学校生活を送りましょう」と言った。


まともに聞いていたやつはいない。黒川は机の下でスマホをいじっていて、田中は横のやつと喋っていた。


先生の話が終わり、坂本先生が廊下に出た直後だった。黒川が立ち上がって、まっすぐ俺の前まで来る。俺も反射みたいに立ち上がった。


「夏休みはお前の汚え顔見なくて済むから、うれしいぜ」


そう言って、黒川は俺の顔に唾を吐いた。頬に当たる。俺は制服の袖で拭いた。それを見て、近くの何人かが笑った。


黒川はそのまま踵を返して歩き出す。後ろで田中も立ち上がり、俺の横を通り過ぎた。すれ違いざま、肩に手が当たる。


軽くじゃない。力が入っていた。わざとだった。


「つまんねぇ夏になりそうだな。天野は」


田中は笑いながらそう言って、そのまま廊下に出ていく。


俺は机に手をついて、しばらく息を整えた。周りの声が少し遠い。でも、誰もこっちを見ていなかった。


佐々木のよく通る声が聞こえる。みんな、夏休みの予定の話をしていた。いつも通りだった。


特別ひどい日でも、特別いい日でもない。


ただ、1学期が終わった。



家に帰ると、廊下に里奈がいた。


俺の顔を見た瞬間、里奈は露骨に眉をひそめた。


「うわ」


その声だけで、俺を避けるみたいに壁際を歩いていく。


「夏休み、あんま部屋から出ないでよね。顔見たくないから」


そのまま自分の部屋に入って、ドアが閉まった。


ただ、言葉だけが残った。それが案外あとを引いた。


俺は自分の部屋に入った。姿見に映るのは、太っていて、肌が荒れていて、猫背で、冴えない顔をした自分だった。


黒川に唾を吐かれる顔。里奈に視界に入れたくないと言われる顔。


それが今の俺だった。


俺は、朝の報酬画面を再表示した。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【SPECIAL REWARD】


ファーストミッションクリア限定報酬


ステータスブースト枠「2項目」を付与します。

対象項目を選択してください。


【候補】

知識 / 学力 / 容姿 / 体格 / 会話力 / 運動神経 / 筋力

━━━━━━━━━━━━━━━━━


どれを選ぶべきか、もう迷わなかった。


学校でも、家でも、何より最初に否定されるのはそこだった。


だから俺は選ぶ。


容姿。体格。


表示が静かに切り替わる。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【BOOST】


選択を確認しました。


ブースト対象:容姿 / 体格


翌日から40日間、対象項目の成長効率が大幅上昇します。

━━━━━━━━━━━━━━━━━


息を呑む。


容姿と体格の成長ブースト。つまり、努力すれば、見た目が普通以上に変わるということだ。


その直後、次のミッションが表示された。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION】


難易度:極


翌日から40日間、以下の条件に挑戦せよ。


【運動】

・ランニング5km

・腕立て伏せ50回

・腹筋50回

・スクワット50回

・体幹トレーニング20分


【食事・栄養管理】

・摂取カロリー2000~2400kcalの範囲内

・タンパク質を体重×1.5g以上確保


【勉強】

・英単語30語暗記

・数学1時間

・英語1時間

・国語 / 理科 / 社会ローテーション1時間


【外見】

・朝晩のスキンケア

・8時間以上の睡眠


【対人】

・夏休み中に地域ボランティアへ3回以上参加

・参加ごとに、参加者へ自分から5回以上声をかける


【達成条件】

同じ項目の未達成が通算5日に到達しないこと。

通算5日未達成となった場合は失敗扱いとなる。


【全条件維持成功時】

全ステータスにボーナス

特別スキル付与の可能性あり

━━━━━━━━━━━━━━━━━


俺は最後まで読んで、しばらく動けなかった。


40日。長い。


しかも、内容が多すぎる。できるわけがない。


ミッションは失敗したら下がる。それも怖い。でもそれ以上に、これを全部やれと言われていること自体が怖かった。


本当なら、夏休みは学校の地獄から抜け出せる休息になるはずだった。でも、休んでいるだけじゃ何も変わらない。


9月になれば、また黒川がいる。田中が笑う。俺はまた、下を向く。


そんな2学期だけは、もう嫌だった。


見た目も、体も、人生も。


全部、変える。


そのための40日が、明日から始まる。

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