第1話 1学期①「偏差値30台の俺に、謎のシステムが宿った」
本作はラストまでの展開を作成済みです。
最終調整を行いながら、完結まで毎日1話以上更新します。
「――っ」
腹に膝がめり込んだ瞬間、肺の中の空気がまとめて抜けた。踊り場の床に手をつく。息を吸おうとしても、喉の奥で、ひゅう、と情けない音が鳴るだけだった。
視界の端に、靴が止まる。黒川颯太の靴だった。
「立つなよ」
低い声だった。怒鳴っていないのに、それが一番怖い。
髪を掴まれ、頭を床に押しつけられる。額に冷たい感触が広がった。
「なんで殴られてるかわかるか?」
理由なんてないと思う。最初から、そんなものはなかった。俺は震える声で答えた。
「……わかりません」
「お前は相変わらずバカだな」
黒川は少しだけ笑った。
「ブサイクで、頭が悪くて、コミュニケーションも取れない。そんな弱い奴は殴って、パシらせても、金を取ってもいい。弱い奴は強い奴に従う。それが当然のルールだろ」
言い方が、あまりにも自然だった。まるでそれが、この世の決まりみたいに。
悔しかった。
でも、その悔しさは怒鳴り声にも拳にもならない。喉の奥で潰れて、そのまま消えた。
次の瞬間、胸ぐらを掴まれて壁に叩きつけられる。ずれていた眼鏡が外れ、床に転がった。
「あ」
俺の声より先に、黒川のかかとがそれを踏み砕いた。ぱき、と乾いた音が踊り場に響いた。横で田中が笑う。
「うわ、やっば。まあでも、眼鏡ないほうがブサイクさは多少ごまかせるだろ」
田中はそのまま俺の鞄をひったくり、逆さに振った。教科書、ノート、財布、ペンケース。中身が床に散る。
財布を開き、小銭しか入っていないとわかると、つまらなそうに俺の顔へ投げつけてきた。
「明日、パシリぐらいはできる金持ってこいよ」
「……はい」
◇
俺は天野仁。16歳、高校1年生。
太っている。肌は荒れていて、髪は伸びっぱなし。昔、床屋で「パーツは悪くないんだけど……」と言われたことがあるが、整っているとは程遠い。猫背で、写真に写ると自分でも目を逸らしたくなる顔をしている。
勉強もできない。中学の頃はかなり頑張って、どうにか偏差値50の高校に滑り込んだ。
入学式の日だけは、ここならやり直せるかもしれないと思った。でも現実は違った。授業にはすぐついていけなくなり、数学も英語も、どこからわからないのかさえわからなくなった。
運動もできない。体育では失敗だけが目立つ。話すのも苦手で、友達はいない。
◇
高校入学後の最初の1週間は、ただの空気だった。でも4月の2週目、体育のソフトボールでフライを落としたとき、黒川が笑った。たったそれだけで決まったのだと思う。
ああ、こいつは笑っていいやつなんだ、と。
5月には机にゴミを入れられた。
6月には金を取られた。
7月には、黒川が直接手を出すようになった。怒っているわけでも、機嫌が悪いわけでもない。ただ当然みたいに、俺を下に置き続ける。
教室に俺の居場所はない。
窓側でいつも誰かに囲まれている佐々木咲良。明るくて、華があって、何もしなくても視線を集める女子。
黒川の横で笑いを回す田中。
仲良さそうに話す男女グループ。
俺はどの輪にも入れない。たぶん俺に気づいているのは、隣の席で静かに本を読んでいる橘詩音くらいだ。
無口で淡々としているけど、プリントを回すときに目を見て「はい」と言ってくる。でも、それだけだ。
家でも同じだった。
中2の妹、里奈は顔もよくて成績もいい。兄妹とは思えないくらいちゃんとしている。そのぶん、俺を見る目は冷たい。
キモい。邪魔。近づかないで。
学校でも家でも、俺はだいたい最底辺だった。
死んだらどうなるんだろう、と考えたことは何度もある。
◇
その日も、帰り道の川沿いのベンチに座っていた。スマホのゲームを開き、経験値バーを眺める。
育成ゲームが好きだった。やったことが数字になって、溜まって、強さになるから。
現実は違う。勉強しても、我慢しても、何かが上がる感覚なんてない。あとどれくらいやれば変われるのかも、そもそも変われるのかもわからない。
俺がいなくなって、困る人っているんだろうか。
母さんは少し困るかもしれない。でも、そのうち慣れるだろう。里奈は、せいせいするかもしれない。学校の連中は、次のおもちゃを探すだけだ。
そう考えると、自分がひどく軽く思えた。人間というより、なくなっても誰も本気では探さない部品みたいだった。
日が暮れてきた。いつの間にかゲームの手も止まっていて、スマホの画面も暗くなっている。
そのとき、草むらの中で何かが光った。
最初はガラス片かと思った。夕陽が反射しただけだと。でも違った。それ自体が、淡く光っていた。
親指の爪くらいの、小さくて薄い板。金属みたいでもあるし、プラスチックみたいにも見えた。表面には細い線が走っていて、その奥から青白い光がにじんでいる。
「……なんだこれ」
しゃがみ込んで、指を伸ばす。
触れる直前、それがふっと浮いた。風じゃない。偶然でもない。意思があるみたいに、まっすぐこっちへ来る。
「え」
避けるより早く、額に触れた。
光が弾けた。世界が真っ白になる。目を閉じても意味がない。何も見えないのに、頭の内側だけ妙に鮮明だった。
額から、何かが入ってくる。それ以外の表現が思いつかなかった。頭蓋の奥を、冷たい針みたいなものが走っていく。
痛みはない。ないのに、叫びたくなるくらい気持ち悪い。脳に直接、異物が触れている感じがした。
「っ、あ……!」
膝が抜ける。両手で頭を押さえる。意味がないとわかっていても、そうせずにいられなかった。
世界は白いまま。そのまま、意識が落ちた。
◇
目が覚めたとき、空はもう暗かった。
川。土手。ベンチ。夜風。景色は全部そのままだった。
スマホを見る。20時14分。
「……は?」
さっきまで、まだ18時半くらいだったはずだ。2時間近く、ここで倒れていたことになる。
周囲を見回す。でも、あの光る板はどこにもなかった。
夢じゃない。けど、現実とも思えない。
急に怖くなって、俺は家に帰った。
玄関を開けると、廊下に里奈がいた。スマホを見ながら歩いていた里奈は、俺の顔を見た瞬間だけ足を止めた。
「帰るの遅」
最初の声はそれだった。
「クソ兄貴さ。ただでさえキモいんだから、迷惑だけはかけないでよね」
いつもの調子だった。聞き慣れた、軽い毒舌。
俺は何も返さなかった。里奈もそれ以上は言わず、舌打ちして自分の部屋へ戻っていく。
俺も自分の部屋に入った。ドアを閉める。背中をドアにつけて、長く息を吐く。
そのときだった。
視界に、何かが浮かんだ。
「――っ!?」
半透明のパネルだった。薄く発光していて、そこに文字が並んでいる。
部屋の中の空中に。あるはずのない場所に、あるはずのないものがある。
頭がおかしくなった。
最初に浮かんだのは、その言葉だった。
あの光る板が頭に入って、それで脳が壊れたんだ。そうとしか思えない。
呼吸が浅くなる。意識した途端、パネルの輪郭が少しだけ濃くなった。
そこに書かれていた文字を読む。
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【STATUS】
名前:天野仁
年齢:16
知識 39
学力 39
容姿 32
体格 31
会話力 31
運動神経 32
筋力 37
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ステータス、だった。少なくとも見た目は、ゲームのそれに近い。
自分の名前と年齢。その下に並ぶ数字。知識。学力。容姿。体格。会話力。運動神経。筋力。
言葉の意味はわかる。でも、その数字が何を基準にしているのかがわからない。39とか、32とか、31とか。100点満点なのか。割合なのか。それとも、別の何かなのか。
画面が切り替わった。
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【INFORMATION】
本システムは絶対評価ではなく、同年代との比較によって現在地を可視化する相対評価システムです。
平均値 = 偏差値50
上位約16% = 偏差値60以上
上位約2% = 偏差値70以上
下位約16% = 偏差値40以下
【重要】
この数値は変動します。あなたが努力をすれば上昇しますが、同年代が成長し続ける限り、あなたも成長しなければ数値は下がります。
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偏差値。そこでようやく、この数字の意味がわかった。
「……うそだろ」
全部30台。平均より、全部が低い。うすうす知っていたことを数字にされると、逃げ場がなかった。
次の表示が静かに開く。
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【SYSTEM ACCEPTANCE】
このシステムを受け入れますか?
▶ YES
NO
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NOを選べば、これが全部ただの幻覚で終わるのかもしれない。
でも、終わったところで何が戻る。
明日も黒川がいて、田中が笑って、俺は下を向いて1日を終える。それだけだ。
今のままでいたくない。
その気持ちだけを頼りに、俺はYESへ意識を向けた。
表示が白く明滅する。
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【INITIAL SUPPORT】
受理しました。
システム受理後、約半年間は初期サポートとして成長補助が適用されます。
特に偏差値が低い対象者には、より手厚い補助が適用されます。
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続けて、次の表示が現れた。
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【FIRST MISSION】
翌日から7日間、以下を継続せよ。
・20分以上のランニング
・8時間以上の睡眠
・膝つき腕立て伏せ20回
・腹筋20回
・スクワット20回
【達成報酬】
体格 上昇
筋力 上昇
【注意】
ミッション未達成の場合、ステータスが低下する可能性があります。
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本当にゲームみたいだった。
「……でも、下がることもあるのかよ」
努力すれば上がる。でも、やらなければ下がる。それはゲームみたいで、ゲームよりずっと重かった。
文字が消えたあと、部屋の姿見に映る自分を見た。
太っていて、肌が荒れていて、猫背で、冴えない顔をしている。
ひどいと思った。悔しかった。
でも、その悔しさの奥に、今までなかったものが混じっていた。
信じ切れるわけじゃない。
それでも、初めて変われるかもと思えた。




