第19話 期末テスト①
ファミレスで働き始めてからも、学校での生活は少しずつ変わっていた。
佐々木咲良と中村美玲とも、前より話すようになっていた。
バイトを始めて間もない頃の昼休みだった。席でノートを開いて、ファミレスの卓番号とメニューの略称を見返していた。
「……あれ? 天野くん、また勉強してんの?」
顔を上げると、佐々木と中村がこっちを見ていた。
「勉強っていうか」
ノートを少し持ち上げる。
「バイトのメモ。店のこと覚えてる」
「え、そんなの学校でまで見るの?」
佐々木が笑う。その横で、中村がノートをのぞき込んだ。
「しかも書きすぎじゃない? どんだけメモるの」
「やっぱり? 自分でもちょっとそう思う」
佐々木が言う。
「でも、ちゃんと覚えようとしてるのすごい。ほんと真面目だね」
「絶対、早く役に立てるようになりたくてさ」
そう言うと、佐々木が少しだけ感心した顔になった。
「ほんと尊敬する。体育祭も頑張ってたもんね。私、そういうの3日で放り投げる自信ある」
中村がすぐ返す。
「この前の掃除も放り投げてたじゃん。ほうき持ったまま、ずっとしゃべってたし」
「いや、あれはどう掃除したら効率的か話し合ってたら時間切れになったの」
「それ絶対ただのサボりだろ」
思わず笑いながら返した。
佐々木が大げさに目を見開く。
「えー、天野くんまでそれ言う!?」
「だって掃除に作戦会議はいらないだろ」
「いるよ。気持ちの統一とか。ね、美玲」
「そこは咲良に同意。かなり気合い入れないと無理」
中村が少し笑う。
「ポンコツ2人かよ……」
そのまま3人で少し笑った。
佐々木は、やっぱり本当に明るかった。次々に話題を出して、場を明るくする。中村はその横で、佐々木の言葉を拾って、ちゃんと笑いにして、さらに空気を軽くする。
あの2人といると会話が楽しい理由が、少しわかった。
◇
そんな感じで学校生活を送りながら、アルバイトを始めて1か月半ほどが経った頃。
フォレストテーブルと学校生活で上がった会話力は、人とのコミュニケーションに確実に生かされていた。
俺の内向的な性格そのものは変わっていない。
たぶん、この先どれだけ会話力が上がっても、佐々木みたいに外向的にはならないと思う。
何でもない話題を次から次へ出して、場の空気を自然に明るくする。そういう種類の会話は、俺には向いていない。
でも、前とは違う。
相手の言葉のどこを拾えばいいのか。どの話題で声が明るくなるのか。どの返しなら笑いになるのか。逆に、どの言葉で少し引っかかったのか。そういう細かい反応が、前より見えるようになっていた。
大勢の前で場を盛り上げるのは苦手なままだが、1対1の対話は特に得意になってきていた。
そんなことを感じ始めていた。
◇
ある日の5時間目は、美術だった。
移動教室のために立ち上がったところで、後ろから声がした。
「あ、天野くん。一緒に行こ」
振り返ると、佐々木と中村がいた。
「もちろん」
並んで廊下に出る。
歩き出してすぐ、佐々木が言った。
「でもさ、この美術だるいよね。私、絵心ほんとにないし」
少し顔をしかめて続ける。
「しかも、たぶん将来ほぼ使わないでしょ」
「前回の犬、なかなかすごかったもんね」
中村が言う。
「犬っていうか、ちょっと湿ったパンみたいだった」
「待って、それまだ言うの?」
「犬が湿ったパンはかなりの才能だな」
思わず言うと、中村がすぐ笑った。
「ほら、やっぱ事件じゃん」
「え、天野くんも見たの!?」
「見た。でも、犬だったって事実は今初めて知った」
「うわ、最悪」
「でもまあ、将来使わないのはわかる。そういう仕事に就かなきゃ、まず役に立たない気がする」
「だよね!」
佐々木がすぐ乗る。
「うわ。なんか移動する価値ない気がしてきたんだけど」
佐々木がそう言ったとき、中村が窓の外を見て足を止めた。
「……あれ。猫いない?」
俺も外を見る。
校舎脇の木の上に、小さな猫がいた。枝の先で体を縮めている。かなり高い。足元の枝も細く、風が吹くたびに少し揺れていた。
「え、危なくない?」
佐々木が窓に張りつくように言った。
猫は降りようとしているのか、前足を少し動かして、すぐに引っ込める。鳴き声は聞こえない。でも、動けなくなっているのはわかった。
「……あのままだと落ちそう」
佐々木の声が、さっきまでより小さくなった。
中村が時計を見る。
「でも、もう授業始まるよ」
「うん……」
佐々木はそれでも、窓の外から目を離さなかった。
「誰か呼んだほうがいいかな。でも、今から先生呼んで戻ってくるまでに落ちたら……」
猫は枝の上で、前足を少しだけ動かして、またすぐに縮こまる。風が吹くたびに枝が細く揺れた。
「……私、助けてこようかな」
佐々木が小さく言った。
その声は、いつもの軽い冗談の調子じゃなかった。本気だった。
俺はもう一度、木の上を見る。
猫は枝の上で小さく震えていた。
そのとき、パネルが光った。
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【MISSION】
難易度:通常
木の上の猫を、怪我なく救出しろ。
【達成報酬】
運動神経 上昇
会話力 上昇
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時計を見る。
授業開始まで、残り5分ちょっと。
マジかよ、と思った。
でも、佐々木があんな顔をしていた。
それに、猫は本当に落ちそうだった。しかもミッションの難度は通常。つまり、俺ならできるはずだ。
「ちょっと俺、行ってくる。佐々木と中村は先に美術室行ってて」
そう言って、俺は走り出した。
でも、すぐ後ろから足音が聞こえた。
「一緒に行くよ!」
佐々木だった。
後ろを見ると、佐々木の目は真剣だった。
「私だけ行っても落ち着かないでしょ」
中村も続いた。
◇
木の下に着くと、猫は思ったより高いところにいた。
下から手を伸ばしても、全然届かない。
「どうしよう」
佐々木が不安そうに聞く。
「登る」
「え、木に?」
「それしかないだろ」
そう言って、幹に手をかけた。
木登りなんて、ほとんどしたことがなかった。
でも、体は動いた。
夏から鍛えてきた腕と体幹で、体を引き上げる。思ったより安定していた。
「ちゃんと見てて。猫が落ちたら受け止めてほしい」
「え、私たちが?」
「そう。猫の下にいたほうが早い」
佐々木と中村が、猫の真下に移動する。
俺はもう少し上へ登った。
猫との距離が縮まる。
猫は俺に気づいたらしく、耳を伏せて、枝の上で小さく体を丸めた。
「今、助ける」
そう猫に言った。
あと少しで手が届く。
そう思った瞬間、猫が動いた。
枝が揺れる。
猫の足が滑った。
「佐々木!」
俺が叫ぶより早く、佐々木が両腕を広げていた。
落ちてきた猫を、佐々木が胸元に抱き込むように受け止めた。勢いで足が半歩下がる。中村が横から肩を支えた。
「咲良!」
「大丈夫!」
佐々木の腕の中で、猫が小さく震えていた。
でも、落ちてはいない。
地面にも叩きつけられていない。
その瞬間、パネルが静かに光った。
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【MISSION COMPLETE】
難易度:通常
木の上の猫を、怪我なく救出しろ。
【達成報酬】
運動神経 60 → 61
会話力 59 → 60
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俺は木の上で、少しだけ息を吐いた。
その直後、チャイムが鳴った。
授業開始の音だった。
◇
木から下りると、佐々木は猫を抱いたまま、その場にしゃがんでいた。
猫はまだ震えていたが、怪我はなさそうだった。佐々木がそっと背中を撫でると、少しだけ鳴いた。
「……よかった」
佐々木が、本当に安心したように笑った。
その顔を見て、俺も少し力が抜けた。
「怪我なさそうだな」
「うん」
佐々木は猫の背中を撫でたまま、少しだけ俺を見た。
「天野くん、この子を助けてくれてありがとう」
「いや、受け止めたのは佐々木と中村だろ」
「でも最初に動いてくれたのは、天野くんだよ」
佐々木は、ほんの少しだけ視線を落とした。
「……天野くんって、優しいんだね」
一瞬、返事に詰まった。正直に言うと、ミッションがなければ、先生を呼んでいただけかもしれない。
「……そんな大したことじゃない」
「大したことだよ」
佐々木はそう言って、少しだけ笑った。
いつもの明るい笑い方とは、少し違った。
照れているようにも見えた。
中村が横から、にやっと笑う。
「咲良、今ちょっと本気で感動してたでしょ」
「え、そう見えた?」
「そうだよ。顔が完全に『天野くん最高……』っていう少女漫画のモノローグだった」
「それ言ってないし、なってないから!」
「背景に花飛んでた」
「飛んでないって!」
佐々木が小さく中村の腕を押した。
でも、顔は少し赤かった。
俺は気づかないふりをした。
中村が今度は俺を見る。
「その優しい天野くんも、咲良の芸術的作品には厳しかったのにね」
中村が完全にからかう調子になったので、俺も乗った。
「あの犬は助けられなかったから、この猫こそはと思って」
佐々木が一瞬止まって、それから笑った。
「え、私の犬も救助対象だったの?」
「湿ったパンから犬に戻すのは、ちょっと無理だった」
「ひどっ」
咲良がそう言って、3人で笑った。
そこで、校舎のほうから先生の声がした。
「おい、もう授業始まってるぞ!」
3人で顔を見合わせる。
「……やば」
中村が言った。
「猫どうする?」
佐々木が腕の中を見る。
猫は少し落ち着いたらしく、佐々木の腕からするりと抜けて、植え込みのほうへ走っていった。
「……帰った」
「よし。じゃあ俺たちも行こう」
そのまま全員で走った。
◇
美術室に着いたときには、授業はもう始まっていた。
扉を開けると、先生の視線がこちらに向く。
「遅刻だぞ。理由は?」
俺はすぐに頭を下げた。
「すみません。猫が木から落ちそうで助けに行ってしまいました。それで2人を巻き込みました」
そう言った直後、佐々木が前に出るように口を開いた。
「違います。私が気になって、助けたいって言っちゃって……それで、天野くんと美玲まで付き合わせてしまって」
その言葉に、少しだけ胸が詰まった。
佐々木は自然にそう言ってくれた。
その横で、中村が小さく手を上げる。
「お聞きの通り、私は完全に巻き込まれました」
「美玲!」
佐々木が慌てて言い、中村が笑った。
相変わらずの2人のやり取りに、教室に笑いが起きた。
先生は少しだけ呆れた顔をして、それからため息をついた。
「……猫は助かったんだな」
「はい」
佐々木が答えた。
「なら席につけ。でも次からは先生を呼べ」
「すみません」
3人で頭を下げて、席に向かった。
座る前に佐々木と目が合った。
佐々木は少しだけ照れたように笑っていた。
俺も、小さく頷いた。
◇
昼休み、佐々木が参考書を持って勉強を教えてほしいと言ってきた。
勉強を教えてしばらく経ったあと。
「ねえ、天野くん。ちょっと関係ないことも聞いていい?」
「いいよ。なに?」
「最近、前よりけっこう話すようになったじゃん」
「たしかに」
「だからさ、お互い、下の名前で呼ばない?」
「下の名前?」
「うん。私、仲良い人とは下の名前で呼びたいんだ」
少し意外だった。でも、断る理由もなかった。
「いいよ」
そう答えると、佐々木の顔が少し明るくなった。
「じゃあ、咲良って呼んで。私も……仁くん、って呼んでいい?」
「仁でいいよ。くんはいらない」
「じゃあ、仁」
佐々木はそう言って、小さく笑った。
「変な感じするね」
「まあ、慣れるんじゃない」
「だね」
佐々木が席に戻ると、中村は茶化すような顔をして佐々木に話しかけていた。
◇
12月に入ると、期末テストの空気がクラスに漂い始めた。
授業中、先生が「範囲はここまで」と言うたびに、どこかで小さくため息が出る。
昼休み、伊藤に聞かれた。
「天野って最近どのくらい勉強してる?」
「平日はだいたい毎日2時間くらいかな」
「マジか。俺、全然やってないわ」
伊藤が笑う。
「いつもテスト直前になってから焦るんだよな」
「今からやれば、まだ間に合うだろ」
「そうは言うけどさ」
伊藤は苦笑いした。
「間に合う時期って、まだ本気になれねえんだよ」
そのとき、パネルが光った。
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【MISSION】
難易度:困難
今回の期末テストの合計点で、学年10位以内に入れ。
【達成報酬】
知識 上昇
学力 上昇
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俺は、その表示をしばらく見た。
学年10位以内。280人中の10位以内。上位3.6%だ。
2学期の中間で120位だった俺が、その次の期末でいきなり10位以内に入る。普通に考えれば、かなり無茶だった。
俺の現在の学力は58まで上がっていた。
学年10位以内を取れる数字かと言われたら、まだ足りない。上位層には、もっと地力のあるやつがいる。
ただ、ここで1つ思い出したことがあった。
体育祭のときも、総合の運動神経だけ見れば、黒川やA組の陸上部のほうが上だったはずだ。でも俺は、200mに絞って、フォームと配分と使い方を叩き込んだ。
その結果、あの200mでは勝てた。
たぶん今回も同じだ。
学力58という数字は、勉強全体を広く見たときの総合値だ。でも、期末テストには範囲がある。
範囲が決まっているなら、広く戦う必要はない。出る場所を削る。出る場所だけ仕上げる。
そうすれば、数字が示す以上の点は取れるかもしれない。
だからこのミッションは「極」じゃなく「困難」なんだろう。
無茶ではある。
でも、不可能ではない。




