表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/23

第16話 アルバイト③

3日目。店に入った瞬間、篠崎さんがこっちに気づいた。


「おはよ」


「おはようございます」


篠崎さんはそのまま、からかうような口調で言った。


「来たじゃん。辞めるかもと思ってた」


「辞めません」


俺はすぐに言った。


「まだ全然諦めてないので」


「へえ」


篠崎さんは少し笑った。今度はからかう感じではなかった。少しだけ、見直したみたいな顔だった。


その横で、三浦さんが小さく会釈した。


「おはようございます」


三浦さんは少し安心したようにも見えた。2日目の最後があれだったからだろう。俺がちゃんと来るか、少し気にしていたのかもしれない。


俺はすぐに鞄から小さなメモ帳を取り出した。


「三浦さん。メモ帳を貸していただき、ありがとうございました」


「え?」


「メモ、本当に助かりました。かなり整理されていて、すごく参考になりました。次に入るときに必ず返すって言ったので、今返します」


俺は両手でメモ帳を差し出した。


三浦さんは少し驚いたように受け取った。


「い、いえ。そんな……役に立ったならよかったです」


「かなり役に立ちました。自分のメモだけだったら、たぶん今日は自信なかったです」


「そんなことないと思いますけど……でも、ありがとうございます」


三浦さんは少し照れたように視線を落とした。


篠崎さんが横からにやっと笑う。


「三浦、褒められてるじゃん」


「私なんかが役に立てると思っていませんでした……」


「めっちゃ照れてる」


「照れてません!」


そのやり取りを見て、少しだけ空気が軽くなった。



バックヤードに入ると、朝倉店長がいた。相変わらず、隙のない立ち方だった。俺を見ると、すぐに言った。


「天野くん」


「はい」


「今日はどうしますか」


少しだけ意味がわからなかった。でも、すぐに続きが来た。


「1人で入りますか。それとも、今日は見ているだけにしますか」


試されている。


ここで弱気な返事をしたら、ミッションはたぶん終わる。でも、勢いだけで全部やりますと言うのも違う気がした。


俺は少しだけ考えてから答えた。


「最初の何組か、僕がやるところを見ていただけますか」


店長は黙って聞いていた。


「そのうえで問題ないと判断していただけるなら、その後は1人でやりたいです」


店長の目が少しだけ細くなった。値踏みするみたいな目だった。それから、短く言った。


「何組見ればいいと思いますか」


「……5組お願いします」


「わかりました。5組見ます」



最初の1組目。


声を出す。席を確認する。水を出す。注文を聞く。ハンディを入れる。落ち着いていた。少なくとも、2日目の最初よりはずっと。


次の組。その次の組。数を重ねるごとに、少しずつ体の硬さが抜けていった。


テーブル番号は迷わない。メニュー番号も入る。ハンディの画面も、前回ほど頭を真っ白にさせなかった。


5組目が終わったあと、店長が近づいてきた。


「今のところまでは、昨日よりかなりマシです」


「ありがとうございます」


「ここからは1人でやってみてください」



その日は、結局オーダーミスを1件した。セットのスープを、ドリンクバーと勘違いして入力した。


お客さんが気づいて修正になり、店長に注意を受けた。でも、その1件だけだった。


上がりの時間が近づいた頃、篠崎さんが言った。


「いいねえ。今日は全然違ったね」


「……本当ですか」


「うん。もう全然イケてるよ。イケイケだね」


「イケイケになれるように頑張ります」


「褒められても真面目だねえ」


篠崎さんはそう言って笑った。三浦さんも、小さく言った。


「すごかったです。昨日と全然違いました」


「ありがとうございます。三浦さんのメモのおかげです。でも、まだミスしました」


「い、いえ。ミスも1回だけでしたし……」


三浦さんは少し迷ってから続けた。


「私、最初もっともっとひどかったです」


朝倉店長は、帰り際に一言だけだった。


「次はミスなしを目指してください」



家に帰ると、母さんと里奈がいた。リビングに入るなり、俺は先に言った。


「昨日、皿の練習に付き合ってくれてありがとう」


母さんが少し目を丸くした。


「え、どうしたの急に」


「今日、ちゃんと運べたから」


「あら、ほんと?」


「うん。昨日よりはかなり」


母さんはすぐに嬉しそうな顔になった。


「よかったじゃない」


その横で、里奈がスマホから目を上げた。


「良かったじゃん。ミスなし?」


「いや、ミスはあった」


「じゃあダメじゃん」


「……まあ、ダメだな」


そう言うと、母さんがすぐに口を挟んだ。


「いや、まだ3日目でしょ? お皿運べるだけでも立派だよ」


「そうかな」


「そうだよ。前よりできたんでしょ?」


「うん」


「じゃあ十分えらい」


里奈はスマホを見たまま、言った。


「まあ、昨日よりマシならいいんじゃない」


口は悪いままだった。でも、前よりずっとちゃんと見てくれている気がした。俺は少しだけ笑った。


「……だな。サンキュー」


「……別に」



それから、俺はバイトと復習を繰り返した。


ミスをした箇所はノートに書き、次の勤務で1つずつ潰していった。



6日目。この日は、かなりよかった。


人より動きは遅いが、明確なミスと言えるものは、ほとんどなかった。テーブル番号は止まらない。ハンディも迷わない。皿の運びも安定する。


途中で、篠崎さんが言った。


「天野くん、もう普通に動けてるね」


「ありがとうございます」


「いや、まだまだだけどね」


「……どっちですか」


「褒めてる褒めてる。順調すぎると何か言いたくなっちゃうじゃん」


篠崎さんはそう言って笑った。三浦さんも、小さく言った。


「すごいです……ほんとに」


「ありがとうございます。でも、まだ詰まるところが結構あります」


「でも、私そのくらいの時期、まだ全然無理でした」


三浦さんはずっと敬語だった。俺も自然と丁寧に返していた。その距離感は変わらなかったけど、前より少しだけ話しやすくなっていた。



7日目。この日も、大きなミスはなかった。


1つ1つの動きが、やっと店の流れに乗ってきた感じがした。もう「新人」感はかなり減っていた。


上がりの少し前、朝倉店長に呼ばれた。


「天野くん」


「はい」


「研修中マーク、もう外していいです」


「……え?」


一瞬、意味がわからなかった。


「もう外して問題ありません」


店長はいつもの調子で言う。


「まだ改善点はあります。ですが、研修中という働きぶりではありません」


少しだけ、言葉が出なかった。


「……ありがとうございます」


「あなたがお礼を言うことではありません」


店長は短く言った。


「次からは、お客様から1人前として見られます。それを意識して働いてください」


そのやり取りを聞いていた篠崎さんが、すぐに口を開いた。


「え、7回目で研修中取れるの早くない?」


三浦さんが目を丸くする。


「私、たぶん1か月以上かかりました……」


篠崎さんが「だよねえ」と笑った。でも、少し本気で驚いている感じだった。


俺はまだ実感が薄かった。ただ、確かに少しだけ前に進んだのはわかった。


その瞬間、パネルが光った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION COMPLETE】


難易度:困難


アルバイトを始めて、バイト勤務7日目までに戦力として認められろ。


【達成報酬】

会話力 53 → 55

知識  50 → 52


【SPECIAL SKILL】

《ネゴシエーション》解放


相手との対話能力が一時的に大幅上昇する。

相手の表情・声色・間合い・反応から、会話の流れを読み取りやすくなる。


持続時間:3時間

使用回数:1回

消費型スキル


【注意】

スキル終了後、激しい頭痛が生じます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━


《ネゴシエーション》。


また新しいスキルだった。《オーバードライブ》は体。《カリスマ》は存在感。そして今回は、対話そのものだ。


相手の反応を読む力。会話の流れを掴む力。言葉を通す力。


いつ使うべきかは、まだわからない。



家に帰ると、母さんと里奈がいた。俺は鞄を置いて、そのまま言った。


「2日連続で大きいミスなしで、研修中マーク取れた」


里奈が顔を上げた。


「それで?」


「いや、そんだけ」


母さんが先に反応した。


「いや、すごいことだよ。普通、7回働いただけでそこまで行かないでしょ」


「そうかな」


「そうだよ」


母さんは言った。


「この前までお皿の持ち方を家で練習してたのに、そこまで行ったんでしょ? 十分すごいよ。ちゃんと頑張ってたし、えらい」


里奈はスマホを見たまま言った。


「ふーん。兄貴でもちゃんと役に立つんだ」


「まあ」


母さんがまた言う。


「それに、辞めないで続いてるのがまずすごいじゃない。店長さんも厳しいんでしょ? そういう中でちゃんと覚えて、認められてるんだから立派だよ」


里奈はスマホから少しだけ目を上げた。


「まあ、続いてんのはちょっと偉いんじゃない」


「里奈は偉いというより偉そうだな」


「別にいつも通りでしょ。今さらなに」


「いや、別に」


母さんが苦笑いした。


「まあまあ、喧嘩しないで」


俺と里奈が、ほぼ同時に言った。


「別に喧嘩してないけど」

「別に喧嘩してないし」


母さんが少し目を丸くした。


「息ぴったりね……」


里奈が、めちゃくちゃ嫌そうな顔をした。


「最悪」


俺はちょっと笑った。母さんも笑った。


その空気が、なんだか悪くなかった。



それから1か月。


フォレストテーブルの仕事にも、かなり慣れてきていた。


朝倉店長は、信用した相手にはかなり任せるタイプだった。入る前に必要なことだけ短く言って、あとはそのまま現場に流す。


「天野くん、今日は6番から11番を見てください」



篠崎さんは相変わらず軽い口調だった。


「天野くん、9番お願い。あと10番、お子様いるから取り皿だけ先で」


「はい、わかりました」


「助かるー」


やっぱりかなり仕事ができる。というかホールについては、社員より動きが正確で無駄もない気がする。誰に何を振れば回るかの判断も早い。現場全体をちゃんと見ている。


俺や三浦さんの動きが怪しいと、すぐに声をかける。


「三浦、大丈夫?」


責める感じじゃないまま、すぐ続ける。


「先に左だけ出して。あっちは私やっとくよ」


「はい……」


「うん、よろしく」


少し適当な先輩に見えるのに、ああいうところは本当にうまかった。



三浦さんは、思っていたよりもドジだった。


メモはすごくきれいで、内容も頭に入っている。テーブル番号も、料理の略称も、基本の流れもちゃんと覚えている。


でも、メンタルが弱かった。


一度に2つ言われると、片方が頭から抜ける。急に声をかけられると、持っていた作業が止まる。少し強めに注意されると、その後の動きまで固くなる。


真面目で、丁寧で、言われたことはちゃんとやろうとする。だからこそ、同時にいろいろ来ると一気に危うくなる。


そのたびに、朝倉店長が短く言う。


「三浦さん、それで?」


「す、すみません……」


「謝る前に直してください」


店長は怒鳴らない。でも、静かなぶん刺さる言い方だった。


俺は地獄みたいないじめを経験してきたから、強いストレスにも慣れている。でも、三浦さんみたいな子がこんなふうに言われたら、萎縮するのもわかる。


それでも、三浦さんは努力をやめるタイプじゃなかった。


上がりのあとに、メモを見返しているところを何度も見たことがある。


その感じに、少しだけ親近感があった。



アルバイトでも、自分が少しずつ変わっているのはわかった。


客に呼ばれたとき、前より落ち着いて顔を向けられる。頼まれごとの優先順位を、その場で整理できる。誰が今どこで詰まっているかも、前より見える。


ある日の上がり際、パネルが光った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【STATUS COMMIT】


会話力 55 → 56

━━━━━━━━━━━━━━━━━


やっぱり、という感じだった。


バイトでは、勉強みたいに点数で成果が出るわけじゃない。でも、その代わりに、言い方と現場の流れを読む力が少しずつ磨かれている感じがあった。



別の日には、知識のコミットも入った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【STATUS COMMIT】


知識   52 → 53

━━━━━━━━━━━━━━━━━


それは、メニュー番号を覚えたからだけじゃない。


アルバイト経験そのものが、知識になっている。そういう上がり方だった。


ある日の閉店前の片付けで、店長がふいに言ったことがある。


「今日は悪くない動きでした」


それだけだった。でも、朝倉店長の「悪くないです」は、たぶんかなり上の評価だった。



1か月ほど経過した上がり際、もう一度パネルが光った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【STATUS COMMIT】


会話力 56 → 57

━━━━━━━━━━━━━━━━━


数字を見て、少しだけ息を吐いた。


ちゃんと上がっている。学校の外でも、俺は前に進めている。


それが、少し嬉しかった。



ある日、朝倉店長と篠崎さんが店にいないときがあった。


店長は本部との打ち合わせで別店舗に出ている。篠崎さんは休み。30分くらいは店長が戻らないらしい、と三浦さんが言っていた。


そのタイミングで、クレームが起きた。


18番卓。家族連れだった。


三浦さんが料理を運んだあと、少しして、男の大きな声が店内に響いた。


「ちょっと、どうなってるんですか!?」


フロアの空気が一瞬で変わる。


振り向くと、三浦さんが18番卓の前で固まっていた。顔が真っ青だった。


テーブルの上には、途中まで切られたキッズチキンプレートがあった。父親らしい男が、フォークで切ったチキンを持ち上げている。中が、赤かった。


「子どもに出すものでしょ!? 何考えてるんですか!?」


店内に声が響く。母親も険しい顔で皿を見ていた。子どもは、泣きそうな顔で母親のほうへ体を寄せていた。


三浦さんの口が震えている。


「も、申し訳ありません……」


「申し訳ありませんじゃないでしょ! 食べてたらどうするんですか!?」


その瞬間、パネルが光った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION】


難易度:困難


30分以内に、責任範囲を逸脱せずにクレームを解決しろ。


期限:30分以内


【達成報酬】

会話力 上昇

知識 上昇

━━━━━━━━━━━━━━━━━


表示を見た。


30分以内。責任範囲を逸脱せずに。


俺はそもそもクレーム処理なんてやったことがない。それに責任範囲なんて、まともに考えたこともなかった。


難しすぎるミッションだ。


今の俺だけでは、たぶん無理だ。


やるなら、スキルを使うしかない。


《ネゴシエーション》。


でも、ここで使うのはもったいない気もした。しかも終わったあとは激しい頭痛が来る。


時計を見た。あと2時間で上がりの時間だった。持続が3時間なら、少なくとも帰宅するまでは副作用は来ない。


これならたぶん、間に合う。


三浦さんのほうを見ると、まだ強いクレームを受けて必死に謝っている。


三浦さんには、前にメモを貸してもらった恩がある。


だから今、スキルを使う。


その覚悟を決めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ