第14話 アルバイト①
「天野くん、こっち」
明るいほうの女子に案内されて、店の奥の席へ行った。
そこに店長がいた。40代前半くらい。細身で、制服をきっちり着ている。怒鳴る感じではないのに、気を抜けない空気があった。
「座ってください」
「失礼します」
履歴書を渡す。店長はざっと目を通した。
「高校1年ですか」
「はい」
「志望理由は」
「接客の経験をしたいと思ったからです」
「そうですか」
そこで深掘りはしなかった。すぐに次へ移る。
「シフトはどのくらい入れますか」
俺は答えた。店長は一度だけ頷いた。
「では、採用で」
「……え?」
思わず声が出た。店長は履歴書を机に置いたまま、平然としていた。
「これだけで採用ですか?」
「今のところ、受け答えは問題ありません」
それから、事務的な声のまま続けた。
「それに清潔感もある」
少しだけ間を置く。
「これ以上は面接に時間を取っても、あまり意味がありません。仕事は入れてみないとわからないので。できない人はどうせ辞めますから」
あまりにも軽く言われて、逆に何も言えなかった。
「今日はもう帰っていいです。初日に教えます」
「……はい。よろしくお願いします」
立ち上がって頭を下げる。店長はもう別の書類を見ていた。面接というより、確認だけで終わった感じだった。
◇
店を出ようとしたところで、さっきの女子スタッフに声をかけられた。
「どうだった?」
さっきより少し砕けた口調だった。
「採用と言っていただきました。ただ、その判断がかなり早くて驚きました」
「だよね」
彼女は少し笑った。
「この店、ほぼ見た目だけで採ってると思うから」
「……そうなんですか」
割と直接的に見た目が良いと言われたような気がした。
横にいた小柄な女子が、小さく会釈してきた。俺も会釈を返す。
「次からよろしくお願いします」
その子は少し緊張した声でそう言った。やっぱり敬語だった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
すると、明るいほうが笑いながら言う。
「まあ、最初は大変だけど。頑張ってね」
「頑張ります」
「あと、初日はメモ持ってきたほうがいいよ。覚えること、結構多いから」
「メモですね。わかりました」
「うん。真面目に聞いてても、絶対抜けるから」
「ありがとうございます。準備してきます」
「よろしくね」
店を出て、駅前の歩道に立った。
採用された。思ったよりずっとあっさり。
でも、たぶん本番はここからなんだろう。
勤務7日目まで。
その短さが、少しだけ重かった。
◇
初出勤の日。制服ではなく、事前に指定された黒いスラックスと白いシャツに着替えている。
自動ドアを抜けると、店内は夕方前のまだ少し静かな時間だった。客はいる。でも満席ではない。その中を、スタッフが無駄なく動いていた。
「すみません。本日から働く天野です」
そう声をかけると、カウンターの向こうにいた女子スタッフが顔を上げた。昨日も会った、明るい女子だ。
「あ、おはよう。早いね」
「少し早めに来ました」
「やる気あるねえ。ロッカーはあっちだよ」
案内されて、店の裏へ入る。ロッカーで店のロゴが入ったエプロンを巻くと、一気に働く側に入った感じがした。
更衣室から出ると、朝倉店長がいた。店長は俺をひと目見て言った。
「研修のバッジ、付けてください」
「はい」
渡された小さな研修マークを胸元に付ける。
そこへ、さっきの女子スタッフが俺を見て笑った。
「お、エプロン似合うねー」
「ありがとうございます」
「もう、仕事できそうな感じあるじゃん」
「まだ何もしてませんけど……」
「いやいや。仕事は見た目も大事だからね」
軽い調子だった。
少し離れたところには、昨日も会った同い年くらいで小柄な女子もいた。どこか落ち着かなそうにこちらを見ている。目が合うと、すぐに小さく会釈してきた。
俺も会釈を返した。
店長が言った。
「時間がないので始めます。一応、自己紹介をしましょう」
◇
バックヤードの狭いスペースに、スタッフが集まった。店長が俺を見た。
「今日からホールに入る天野くんです。簡単に自己紹介を」
「高校1年の天野仁です。本日からお世話になります。アルバイトは初めてですが、早く覚えられるように頑張ります。よろしくお願いします」
軽く拍手が起こり、店長は小さく頷いた。
「では、こちら側も簡単にお願いします」
店長の指示で、さっきの明るい女子が言った。
「篠崎玲奈です。高校2年だよ。私もホール中心で入ってるから、わからないことあったら聞いて」
口調は軽い。でも、頼りになりそうだった。
次に、小柄な子が少し緊張した顔で言う。
「三浦紗奈です。高校1年です。まだ半年くらいですが、よろしくお願いします」
やっぱり同い年だった。こっちのほうがおどおどして見えた。
店長がそれで終わらせた。
「では始めましょう」
◇
最初は店の基本説明からだった。
テーブル番号。卓上ベルの番号。水の位置。取り皿の補充場所。会計の流れ。
次から次へと情報が飛んできた。
俺はメモを取り続けた。ポケットに入る小さいノートを、最初から開きっぱなしにしていた。言われたことを1つでも多く残したかった。
店長がすぐ次の確認を入れる。
「ドリンクの置き位置、今ので覚えましたか」
「右です。これで合っていますか?」
「違います。右というのはお客様から見て、です」
「すみません」
「次からはお願いします」
指摘の仕方は短い。でも、どこが違うのかははっきりしていた。
店長は最初の30分くらいで、もう俺を少しずつ現場に出し始めた。
「見ているだけでは覚えないので。水出しと片付けから入ってください」
それだけだった。
俺は、今の自分ならある程度はやれると思っていた。
夏休み後のミッションで、知識も上がった。学力も上がった。会話力も、前とは違う。
知らない場所でも、前みたいに固まることはない。そう思っていた。でも、甘かった。全然違った。
覚えることの量が多い。しかも、ただ覚えればいいわけじゃない。
スピードも判断力も柔軟性も求められる。
頭の回転が追いつかない瞬間が、何度もあった。
現在のステータスは、知識50、学力56、会話力53。
学校では前よりかなりできるようになった。でも、だからといって初めてのバイト現場がそのまま回せるわけじゃない。社会の現場は、別物だった。
◇
それでも、完全についていけないわけではなかった。
ひょっとしたら、システムの初期サポートによる成長補助が効いているのかもしれない。言われたことをその場で理解するのは早い気がする。
一度訂正されたことを、2度目で繰り返す回数は少ない。接客の受け答えも、初めてにしてはそこまで悪くない気がする。
「いらっしゃいませ」
「少々お待ちください」
「ありがとうございました」
声は出た。震えなかった。お客様の目を見て言えた。
ただ、店長はミスを見逃さなかった。
「今の挨拶、棒読みすぎます。もう少し心を込めてください」
「今のスプーンとフォーク、置き位置が逆です」
冷たいわけじゃない。でも、一切甘くなかった。
注文の復唱を一回飛ばしそうになったときも、すぐ後ろから店長の声が飛んだ。
「復唱」
「……失礼しました。ご注文は、和風ハンバーグ1点と、セットドリンクがアイスティーでよろしいでしょうか」
「はい。それでお願いします」
価格帯が高いからか、お客さんは優しい人が多かった。研修マークを見て穏やかに返事をしてくれる。
「ありがとうございます。少々お待ちください」
席を離れたあと、店長が短く言った。
「今のはまだダメでした。次は復唱を飛ばさないでください。あと、語尾が少し急いでいます。丁寧に」
「はい。気をつけます」
少し怖かった。でも、嫌じゃなかった。
いじめとは違う。俺に嫌がらせで言っているわけではない。俺の何が足りないかを、全部言葉にしてくれる。
それなら直せる。直せるなら、やれる。
ミッションを成功させる。そのためなら、ここで食らいつくしかなかった。
◇
休憩に入る前、篠崎さんが俺のノートをちらっと見た。
「うわ、めっちゃ書いてるじゃん」
「覚えないとまずいと思って」
「すごいメモ取ってるね。ここまで書く新人、あんまいないよ」
「絶対に早く覚えたいので」
「真面目だねえ」
篠崎さんは少し笑った。それから、ノートの中身を見て、少しだけ眉を上げる。
「ただ、雑すぎると逆に見返せなくなるから注意ね」
「……たしかに、あとで読みにくそうです」
「うん。勢いで書くのはいいけど、あとで整理してみるといいよ」
「ありがとうございます。やってみます」
横で三浦さんが、小さく言う。
「私、最初こんなに書けなかったです」
「三浦は超テンパってたからねぇ」
「それは……そうですけど」
三浦さんが少しだけむっとする。篠崎さんが笑う。
その会話のあと、三浦さんが自分の小さなメモ帳を開いて、何かを確認していた。
たまたま目に入った。
小さい字だった。でも、すごくきれいだった。テーブル番号、料理の略称、注意点、よくあるミス。項目ごとに分かれていて、あとから見返しやすいように整っている。
俺は少しだけ身を乗り出した。
「三浦さん、そのメモ、すごく見やすいですね」
「え?」
三浦さんが驚いたように顔を上げる。
「小さい字なのに、かなり整理されてて。メモの仕方、すごく参考になります」
「い、いえいえ、私なんてまだ全然だめなので」
三浦さんは少し照れたように、メモ帳を胸元へ寄せた。
「でも、ありがとうございます」
「俺もあとで整理してみます」
「そのほうが、たぶん覚えやすいと思います」
声は小さかった。でも、少し嬉しそうだった。
その会話の間にも、俺はノートに追記していた。
今日できなかったところを、次までに1つでも減らしたかった。
◇
初出勤が終わる頃には、脚より先に頭が疲れていた。
帰り際、店長が言った。
「今日はまあ、初日なのでこんなものです」
少しだけ間を置く。
「でも、覚える気はありそうですね。次までに、今日やったことは入れてきてください。同じミスをそのまま持ってこないでください」
「はい。ありがとうございます」
篠崎さんは手をひらひらさせた。
「おつかれ。初日にしては生き残ったほうじゃない?」
「……生き残れましたかね?」
「初日にしては上出来だよ」
少し笑ってから、続ける。
「でも明日からが店長鬼だからさ。がんばって」
三浦さんも小さく言った。
「お疲れさまでした。また次もよろしくお願いします」
俺は店を出た。疲れていた。でも、不思議と気持ちは折れていなかった。
むしろ、燃えていた。
◇
家に帰って、部屋に入るなりノートを開いた。
次は同じミスをしない。次のバイトの日まで、時間がある。
篠崎さんに言われた通り、乱れたメモを整理する。三浦さんのメモを思い出しながら、項目ごとに分けた。
テーブル番号。接客用語。置き位置。復唱。よくある注意点。
汚い文字を、あとで見返せる形に直していく。
ただ働いて終わりじゃない。
次に行ったとき、今日より使える人間になっていないと意味がない。
俺はノートの最後に、大きく書いた。
勤務7日目までに、戦力になる。




