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第13話 体育祭後

体育祭が終わってから、教室の空気が、前と少し違っていた。


朝、教室に入ると、今までほとんど話したことのなかった男子から「おはよう」と声をかけられた。名前を呼ばれた。体育祭の前までは、接点なんてほとんどなかった連中だった。


「おはよう」


そう返すと、それで終わらなかった。少しだけ会話が続いた。たったそれだけのことなのに、前の俺にはなかった流れだった。


昼休みには、別の男子グループから「今日、一緒に食べる?」と声がかかった。


「いいよ」


そう答えて、一緒に購買へ行って、教室に戻って、適当に座って食べた。他愛ない話をした。笑いも起きた。帰り際に「また食べようぜ」と言われた。


悪い気はしなかった。


女子の反応も変わっていた。川島や橘だけじゃない。話しかけてくる女子が、前より明らかに増えた。体育祭の話から入って、そこから別の話になって、気づくと普通に笑っていた。


2学期に入ってから少しずつ変わってきていたけど、体育祭のあとでさらにもう1段変わった感じがあった。


クラス全体が、俺の発言や行動を少しずつ見ている。そんな感覚があった。


俺の何気ない一言に笑いが起きる。何かすると、「天野ってそういうことするんだ」と目が向く。


1学期の俺とは、同じ教室にいるのに別の世界みたいだった。



それが一番はっきりしたのは、休み時間だった。廊下で飲み物を買って戻ってきたとき、前から女子2人が歩いてきた。


佐々木咲良と、中村美玲だった。


そのまま通り過ぎると思った。でも、佐々木がこっちを見て足を止めた。


「ねえ、天野くん」


一瞬、何のことかわからなかった。


佐々木に名前を呼ばれたのが、初めてだったからだ。


「……え、俺?」


「そうそう。他にいないじゃん」


佐々木は明るく笑いながら言った。近くで見ると、やっぱり華やかだった。別に派手すぎるわけじゃないのに、なんとなく目に入る。笑うだけで、その場の空気が少し明るくなる感じがある。


「体育祭も大活躍だったし、最近めっちゃ調子良さそうだね」


「ありがとう。まあ、前よりは」


「前よりは、の幅がでかいんだよね」


佐々木が笑うと、横にいた中村がすぐに乗ってきた。


「いや、でかすぎでしょ」


中村は佐々木より少し落ち着いた声で、でも楽しそうに笑っていた。


「夏休み前と別人じゃん。見た目だけじゃなくて、空気も変わったよね。最初、ほんとに誰かわかんなかったし」


「それはよく言われる」


「言われるんだ。まあ言うよね。あれは言う」


中村はそう言って、少しだけ俺を観察するように見た。


続いて、佐々木がまた軽い調子で言った。


「そういえば、ちゃんと話すの初めてだっけ?」


「……たぶん、そう」


「やば。今さらじゃん」


「でも、なんか普通に話しやすいね」


「そう?」


「うん。なんか落ち着いてるしね」


それはたぶん、悪い意味じゃなかった。


「話、合うかもねー」


佐々木が軽く言ったところで、ちょうど予鈴が鳴った。


「あ、やば。休憩終わる」


「じゃ、また話そうねー」


そう言って、2人はそのまま教室のほうへ戻っていった。俺は少しだけ、その場に立ったままだった。


佐々木に初めて話しかけられた。しかも、あんなに自然に。


それだけのことなのに、妙に現実感が遅れてきた。



クラス内だけではなかった。廊下を歩いていると、他クラスの連中に視線を向けられることが増えた。知らない顔が、「あ、D組の天野だ」という目をしていた。


ある日の廊下で、すれ違った別クラスの女子グループの会話が聞こえた。


「あの人、体育祭ですごい足が速かった人だよね」


「そう。A組の陸上部の人に勝ったんでしょ」


「なんか見た目もいいよね」


振り返らなかった。でも、ちゃんと聞こえた。



一方で、橘との距離は大きく変わらなかった。ただ、俺から話しかけることが前より増えた。


ある昼休み、図書室で本を探していると、橘が1人で本棚の前に立っていた。


「何か探してる?」


そう声をかけると、橘が振り返る。


「あ、天野くん。小説を探してて。この作者の別の本がここにあるはずなんだけど」


「どの作者?」


タイトルを聞いて、少し考えてから別の棚に向かった。


「たぶんこっち。分類が違う棚に入ってるかも」


橘がついてくる。探すと、すぐに見つかった。


「あった。ありがとう」


橘は本を手に取って、少しページをめくってから俺を見た。


「天野くん、図書室よく来るの?」


「最近はよく来てる。ミッションで――」


そこまで言って、止まった。


「……ミッション?」


橘が首を傾げる。


「あ、いや。習慣にしようとしてることがあって」


少しだけ早口になる。


「何か自分のためになることを、毎日続けるのを自分に課してるっていうか」


「ああ、なるほど」


橘は特に疑う様子もなく頷いた。


「でもミッション、か。ちょっとゲームっぽいね」


「そんな感じかな。俺にとっては」


橘が静かに笑う。


「面白いやり方だね。天野くんは、やることをそうやって決めてるの?」


「やるなら、絶対にやりきりたいタイプかも」


「体育祭もそうだったね。毎日走ってたし」


橘は少し間を置いてから続けた。


「あれ、すごいなって思った。あんなに努力するのは難しいから」


少し意外だった。橘が、そこまではっきり言ってくれるとは思っていなかった。


「橘は、何か目標にしてることある?」


そう聞くと、橘は少し考えた。


「……実は、行きたい大学があるんだ」


「へえ」


「そこの心理学の教授の講義を受けたくて」


「心理学なんだ」


「うん。まだかなり難しいんだけどね」


「……知らなかった」


「全然言ってないから」


「なら、他の人に言わないようにする。でも橘なら行ける気がする」


「ありがとう」


また、静かに笑った。


少しだけ話して、それぞれの場所へ戻った。橘との会話は、いつも長くはない。でも、ちゃんと残るものがあった。


静かで、落ち着いていて、自分の考えを持っている。


そういう人間だった。



その後も学校生活の中で多くのコミュニケーションが生まれて、会話力は53まで伸びた。


さらに、ミッションをこなして知識が50になった日の夜、視界の端でパネルが光った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━

【MISSION】


難易度:困難


アルバイトを始めて、バイト勤務7日目までに戦力として認められろ。


期限:勤務7日目終了まで


【達成報酬】

会話力 上昇

知識 上昇

特別スキル付与の可能性あり

━━━━━━━━━━━━━━━━━


俺は、その文字を見た。


アルバイト。


少し前までの俺なら、考えもしなかった。学校に行くだけで精一杯で、家と教室の往復だけで終わっていた。


でも今は違う。学校の外に出るのも悪くないと思える。


むしろ、別の場所で自分がどう見られるのかを試すなら、今なのかもしれない。


でも、アルバイトのミッションの期間の短さが気になった。


「勤務7日目までに戦力として認められろ」


ただ採用されるだけじゃ足りない。短期間で使えるやつだと思われないといけない。



スマホを取り出して、アルバイト募集を調べた。いくつか見たあとで、駅前のファミレスが目に入った。


フォレストテーブル駅前店。


入ったことはないが知っている。ファミレスだが、価格帯はかなり高めのイメージがある。


未経験歓迎。高校生可。ホールスタッフ募集。写真に写っている店内は明るくて、清潔感があった。


なんとなく、ここがいい。


そのまま、載っていた番号を押した。数コールでつながる。


「はい、フォレストテーブル駅前店です」


出たのは、少し明るい女の声だった。


「アルバイト募集を見てお電話しました。面接をお願いしたいんですが、店長はいらっしゃいますか」


少し間があった。それから向こうの声が、仕事用の調子に変わる。


「アルバイト希望ですね。少々お待ちください」


保留音が流れて、別の声が出た。低めの男の声だった。


「代わりました。店長の朝倉です」


「高校1年の天野です。アルバイトを希望していて、面接をお願いしたいです」


「高校生ですか。いつ来られます?」


「明日でしたら夕方に伺えます」


「それでは17時で。履歴書を持ってきてください」


「はい。よろしくお願いします」


電話が切れた。たったそれだけだった。でも、もう後には引けない感じがした。



翌日、面接の時間より少しだけ早めに店へ行った。


駅前のフォレストテーブルは、外から見るより広かった。ガラス張りの入口越しに、明るい店内が見える。制服のスタッフが忙しそうに動いていた。


自動ドアの前で、一度だけ姿勢を直す。呼吸を1つしてから、中へ入った。


「いらっしゃいませー」


カウンター近くにいた女子スタッフが顔を上げた。電話に出た声と同じだった。


少し先輩に見える高校生くらいで、親しみやすい華のある顔立ちをしていた。


「アルバイトの面接で来ました。天野です」


「あ、面接の子ね。少し待ってて」


仕事中なのに、どこか軽い。そういう感じの声だった。


その女子が奥へ声をかけに行く。少し離れた場所で、別の女子スタッフがこっちを見ていた。同い年くらいに見える、小柄で柔らかい雰囲気の子だった。


2人が少しだけ距離を寄せて、小声で何か話すのが見えた。


「……ちょっと待って。結構イケメン来た」


明るいほうが、少し笑いを含んだ声で言った。


「……ほんとですね」


小柄なほうが、控えめに返す。声はちゃんと敬語だった。


「店長の顔採用すごいし、たぶん採用だね」


「でも……続けられるでしょうか」


「それはまあ、入ってからだね」


「前の人も、すぐ辞めてましたし……」


「それも、うちの店ではあるあるだからねえ」


見た目が悪くなければ誰でも採る。そこから先は別。そういうことかもしれない。

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