第13話 体育祭後
体育祭が終わってから、教室の空気が、前と少し違っていた。
朝、教室に入ると、今までほとんど話したことのなかった男子から「おはよう」と声をかけられた。名前を呼ばれた。体育祭の前までは、接点なんてほとんどなかった連中だった。
「おはよう」
そう返すと、それで終わらなかった。少しだけ会話が続いた。たったそれだけのことなのに、前の俺にはなかった流れだった。
昼休みには、別の男子グループから「今日、一緒に食べる?」と声がかかった。
「いいよ」
そう答えて、一緒に購買へ行って、教室に戻って、適当に座って食べた。他愛ない話をした。笑いも起きた。帰り際に「また食べようぜ」と言われた。
悪い気はしなかった。
女子の反応も変わっていた。川島や橘だけじゃない。話しかけてくる女子が、前より明らかに増えた。体育祭の話から入って、そこから別の話になって、気づくと普通に笑っていた。
2学期に入ってから少しずつ変わってきていたけど、体育祭のあとでさらにもう1段変わった感じがあった。
クラス全体が、俺の発言や行動を少しずつ見ている。そんな感覚があった。
俺の何気ない一言に笑いが起きる。何かすると、「天野ってそういうことするんだ」と目が向く。
1学期の俺とは、同じ教室にいるのに別の世界みたいだった。
◇
それが一番はっきりしたのは、休み時間だった。廊下で飲み物を買って戻ってきたとき、前から女子2人が歩いてきた。
佐々木咲良と、中村美玲だった。
そのまま通り過ぎると思った。でも、佐々木がこっちを見て足を止めた。
「ねえ、天野くん」
一瞬、何のことかわからなかった。
佐々木に名前を呼ばれたのが、初めてだったからだ。
「……え、俺?」
「そうそう。他にいないじゃん」
佐々木は明るく笑いながら言った。近くで見ると、やっぱり華やかだった。別に派手すぎるわけじゃないのに、なんとなく目に入る。笑うだけで、その場の空気が少し明るくなる感じがある。
「体育祭も大活躍だったし、最近めっちゃ調子良さそうだね」
「ありがとう。まあ、前よりは」
「前よりは、の幅がでかいんだよね」
佐々木が笑うと、横にいた中村がすぐに乗ってきた。
「いや、でかすぎでしょ」
中村は佐々木より少し落ち着いた声で、でも楽しそうに笑っていた。
「夏休み前と別人じゃん。見た目だけじゃなくて、空気も変わったよね。最初、ほんとに誰かわかんなかったし」
「それはよく言われる」
「言われるんだ。まあ言うよね。あれは言う」
中村はそう言って、少しだけ俺を観察するように見た。
続いて、佐々木がまた軽い調子で言った。
「そういえば、ちゃんと話すの初めてだっけ?」
「……たぶん、そう」
「やば。今さらじゃん」
「でも、なんか普通に話しやすいね」
「そう?」
「うん。なんか落ち着いてるしね」
それはたぶん、悪い意味じゃなかった。
「話、合うかもねー」
佐々木が軽く言ったところで、ちょうど予鈴が鳴った。
「あ、やば。休憩終わる」
「じゃ、また話そうねー」
そう言って、2人はそのまま教室のほうへ戻っていった。俺は少しだけ、その場に立ったままだった。
佐々木に初めて話しかけられた。しかも、あんなに自然に。
それだけのことなのに、妙に現実感が遅れてきた。
◇
クラス内だけではなかった。廊下を歩いていると、他クラスの連中に視線を向けられることが増えた。知らない顔が、「あ、D組の天野だ」という目をしていた。
ある日の廊下で、すれ違った別クラスの女子グループの会話が聞こえた。
「あの人、体育祭ですごい足が速かった人だよね」
「そう。A組の陸上部の人に勝ったんでしょ」
「なんか見た目もいいよね」
振り返らなかった。でも、ちゃんと聞こえた。
◇
一方で、橘との距離は大きく変わらなかった。ただ、俺から話しかけることが前より増えた。
ある昼休み、図書室で本を探していると、橘が1人で本棚の前に立っていた。
「何か探してる?」
そう声をかけると、橘が振り返る。
「あ、天野くん。小説を探してて。この作者の別の本がここにあるはずなんだけど」
「どの作者?」
タイトルを聞いて、少し考えてから別の棚に向かった。
「たぶんこっち。分類が違う棚に入ってるかも」
橘がついてくる。探すと、すぐに見つかった。
「あった。ありがとう」
橘は本を手に取って、少しページをめくってから俺を見た。
「天野くん、図書室よく来るの?」
「最近はよく来てる。ミッションで――」
そこまで言って、止まった。
「……ミッション?」
橘が首を傾げる。
「あ、いや。習慣にしようとしてることがあって」
少しだけ早口になる。
「何か自分のためになることを、毎日続けるのを自分に課してるっていうか」
「ああ、なるほど」
橘は特に疑う様子もなく頷いた。
「でもミッション、か。ちょっとゲームっぽいね」
「そんな感じかな。俺にとっては」
橘が静かに笑う。
「面白いやり方だね。天野くんは、やることをそうやって決めてるの?」
「やるなら、絶対にやりきりたいタイプかも」
「体育祭もそうだったね。毎日走ってたし」
橘は少し間を置いてから続けた。
「あれ、すごいなって思った。あんなに努力するのは難しいから」
少し意外だった。橘が、そこまではっきり言ってくれるとは思っていなかった。
「橘は、何か目標にしてることある?」
そう聞くと、橘は少し考えた。
「……実は、行きたい大学があるんだ」
「へえ」
「そこの心理学の教授の講義を受けたくて」
「心理学なんだ」
「うん。まだかなり難しいんだけどね」
「……知らなかった」
「全然言ってないから」
「なら、他の人に言わないようにする。でも橘なら行ける気がする」
「ありがとう」
また、静かに笑った。
少しだけ話して、それぞれの場所へ戻った。橘との会話は、いつも長くはない。でも、ちゃんと残るものがあった。
静かで、落ち着いていて、自分の考えを持っている。
そういう人間だった。
◇
その後も学校生活の中で多くのコミュニケーションが生まれて、会話力は53まで伸びた。
さらに、ミッションをこなして知識が50になった日の夜、視界の端でパネルが光った。
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【MISSION】
難易度:困難
アルバイトを始めて、バイト勤務7日目までに戦力として認められろ。
期限:勤務7日目終了まで
【達成報酬】
会話力 上昇
知識 上昇
特別スキル付与の可能性あり
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俺は、その文字を見た。
アルバイト。
少し前までの俺なら、考えもしなかった。学校に行くだけで精一杯で、家と教室の往復だけで終わっていた。
でも今は違う。学校の外に出るのも悪くないと思える。
むしろ、別の場所で自分がどう見られるのかを試すなら、今なのかもしれない。
でも、アルバイトのミッションの期間の短さが気になった。
「勤務7日目までに戦力として認められろ」
ただ採用されるだけじゃ足りない。短期間で使えるやつだと思われないといけない。
◇
スマホを取り出して、アルバイト募集を調べた。いくつか見たあとで、駅前のファミレスが目に入った。
フォレストテーブル駅前店。
入ったことはないが知っている。ファミレスだが、価格帯はかなり高めのイメージがある。
未経験歓迎。高校生可。ホールスタッフ募集。写真に写っている店内は明るくて、清潔感があった。
なんとなく、ここがいい。
そのまま、載っていた番号を押した。数コールでつながる。
「はい、フォレストテーブル駅前店です」
出たのは、少し明るい女の声だった。
「アルバイト募集を見てお電話しました。面接をお願いしたいんですが、店長はいらっしゃいますか」
少し間があった。それから向こうの声が、仕事用の調子に変わる。
「アルバイト希望ですね。少々お待ちください」
保留音が流れて、別の声が出た。低めの男の声だった。
「代わりました。店長の朝倉です」
「高校1年の天野です。アルバイトを希望していて、面接をお願いしたいです」
「高校生ですか。いつ来られます?」
「明日でしたら夕方に伺えます」
「それでは17時で。履歴書を持ってきてください」
「はい。よろしくお願いします」
電話が切れた。たったそれだけだった。でも、もう後には引けない感じがした。
◇
翌日、面接の時間より少しだけ早めに店へ行った。
駅前のフォレストテーブルは、外から見るより広かった。ガラス張りの入口越しに、明るい店内が見える。制服のスタッフが忙しそうに動いていた。
自動ドアの前で、一度だけ姿勢を直す。呼吸を1つしてから、中へ入った。
「いらっしゃいませー」
カウンター近くにいた女子スタッフが顔を上げた。電話に出た声と同じだった。
少し先輩に見える高校生くらいで、親しみやすい華のある顔立ちをしていた。
「アルバイトの面接で来ました。天野です」
「あ、面接の子ね。少し待ってて」
仕事中なのに、どこか軽い。そういう感じの声だった。
その女子が奥へ声をかけに行く。少し離れた場所で、別の女子スタッフがこっちを見ていた。同い年くらいに見える、小柄で柔らかい雰囲気の子だった。
2人が少しだけ距離を寄せて、小声で何か話すのが見えた。
「……ちょっと待って。結構イケメン来た」
明るいほうが、少し笑いを含んだ声で言った。
「……ほんとですね」
小柄なほうが、控えめに返す。声はちゃんと敬語だった。
「店長の顔採用すごいし、たぶん採用だね」
「でも……続けられるでしょうか」
「それはまあ、入ってからだね」
「前の人も、すぐ辞めてましたし……」
「それも、うちの店ではあるあるだからねえ」
見た目が悪くなければ誰でも採る。そこから先は別。そういうことかもしれない。




