第38話:空回った末に
油断した。
グイヤン本人を警戒するあまり、彼を狙う相手の動きを見落とした。
邪教徒の標的は、最初からこの代官の男だったのだ。俺は最初から、思考の方向を間違えていた。
「グイヤン様!」
「錬金術師殿! ポーションを! 早く!」
兵士たちの視線が一斉に俺へ集まる。
俺は腹に空いた傷口を見る。
大穴だ。ブレスが抉った傷は深く、塞がる気配がない。どう見ても致命傷だ。普通のポーションを注いだところで、焼け石に水。
「無駄だ……この傷では」
青ざめた兵士が呟く。
俺は考えた。この男を助けるべきか。
ずっと怪しんでいた。胡散臭い言動、カリミナへの執着。疑い続けていた相手だ。助ける必要があるかどうか、正直わからない。
だが邪教徒がこの男を狙っていた。死の間際に、この男を邪魔だと。グイヤンが邪教徒の敵であるなら、助けるべきだろう。少なくとも、今は。
「これは、内密にお願いしますよ」
俺は兵士たちにそう言い、懐から小瓶を取り出した。
蒸留で不純物を削ぎ落とし、効能だけを極限まで高めた回復薬。エリクサーと呼ばれる秘薬。表に出せば騒ぎになる代物だ。
本来は自分かシャーリニィ用の切り札だ。
まさかこの胡散臭い代官に使う羽目になるとは、思ってもみなかった。
傷口に振りかける。
出血が止まる。筋肉が繋がり、さらに皮膚が閉じる。
兵士たちが息を呑む中、グイヤンの顔にわずかに血色が戻っていく。
やがて――
「ん……んん? 儂は、いったい……?」
目が開いた。
グイヤンが目を覚まし、きょろきょろと周囲を見回した。状況を把握しようと、細い目を丸く広げる。洞窟の天井、倒れた怪物の残骸、自分を囲む兵士たち。
俺はその顔を眺めながら、内心でため息をついた。
助けてしまった。あとはこの男が、助けるだけの価値があったかどうかだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おそらく、隣国の白磁商が一枚噛んでおりますわね」
説明するのは辺境伯令嬢カリミナ。長い金髪を揺らしながら、落ち着いた声で続ける。
白磁?
何故ここでその単語が出てくるのだろう。
「直接ではないでしょうし、証拠はありませんが」
邪教徒アジトの襲撃を終えた俺達は、代官の屋敷へと帰還した。
彼女に事の顛末を話したところ、この言葉が返ってきたのだ。
カリミナによれば、こういうことらしい。
メルザの白磁器は、完成すれば隣国の磁器産業を脅かす。
それを快く思わない隣国の商人が、邪教徒と利害の一致。邪教徒は資金と拠点を、商人は白磁器の芽を摘む機会を、互いに手に入れる算段だ。
「グイヤンが死ねば、新たな代官が赴任するまでこの街の機能は一時的に止まります。わたくしには経験も権限もありませんし」
空白期間ができる。行政が止まり、産業の舵を取る者がいなくなる。
「白磁器の件で資金の動きにも大きな変化が生まれるでしょう。そこに邪教徒の付け入る隙も生まれるかもしれません」
それを防げるのは、この街を知り抜いた代官だけだ。グイヤンだけが、その隙を塞げる。
彼がこの街を守っていたのだ。
邪教徒の狙いは最初からグイヤンだった。
最初のカリミナ襲撃も、アジトの情報をわざと漏らしたのも、すべてグイヤンを誘い出すための工作だったのだ。
カリミナを囮にしてグイヤンを動かし、手薄な場所で仕留める。そういう筋書きだったのだろう。
思わず、こめかみを押さえる。
確かに違和感はあった。
だがそれは、全部この男が街のことを誰より把握していたからだ。胡散臭さに引っ張られて、見るべきものを見ていなかった。
とんだ空回りだ。
「能力も意欲もあるのですが、意欲がありすぎるのも問題ですね」
カリミナは苦笑してみせる。
カリミナの幼い頃から辺境伯家に仕えていたグイヤン。
人一倍忠誠心も高いのだという。
さらに、俺の存在。
長年この街の課題だった白磁器の問題を、俺がいとも簡単に解決してしまった件。
グイヤンが時間をかけて取り組んできた問題を、よそ者があっさりと。
それが彼の焦りに拍車をかけた。カリミナの前で手柄を立てようと前のめりになった。
グイヤンはカリミナに良いところを見せようと、自らアジトへ乗り込んだ。それが連中の狙い通りだとも知らずに。
空回りしていたのは、グイヤンも俺も同じだったか。
「それにしても」
カリミナ嬢が、ふと口元をほころばせた。いたずらっ子のような笑み。
「名探偵も、間違うことがあるのですね?」
からかうように言う。
「いや……返す言葉もありません」
俺がグイヤンを疑っていたことも、カリミナにはお見通しだったようだ。俺がグイヤンに探るような目を向けていたのを、ずっと見ていたのだろう。それでも何も言わなかったのは、俺の判断を尊重していたのか、それとも考えがあったのか。
そしてカリミナは、最初からグイヤンを疑っていなかった。
グイヤンをよく知っているからだ。あの胡散臭い笑みも、言動も、彼女には見慣れたものだったのだろう。長年この街を任されてきた代官の、不器用な忠義の形として。
俺には、それが読めなかった。疑うべきではない相手を疑い、本当に見るべきものを見逃した。
今回は完全に空振りだ。
反省する必要が、あるかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おお、ハイド殿!」
屋敷の寝室。
ベッドで上体を起こしたグイヤンが声を上げた。
エリクサーによって傷は塞がっている。だが失った血液までは戻らない。顔色は悪く、寝たきりだ。
それでも膝の上には書類。勤勉なことだ。
部屋には文官がひっきりなしに出入りしている。
「グイヤン、もう少し休んだほうが良いのではないですか?」
「そういうわけにも参りません!」
カリミナの制止にも首を振る。
「邪教徒が荒らした分の帳尻を合わせねばなりません」
残党はすでに掃討済み。
あとは資金の流れを断つだけだという。
「外国へ流れる金を止める。それが本命ですからな」
邪教徒は残党の掃討も完了。この街からは完全に排除されたという。
そして外国を拠点とする邪教徒へと流れる資金は、この代官の手によって止められる。
確かに、この男でなければできない仕事だ。
「儂が邪魔だったのでしょう。まあ、邪魔と思われるくらいでなければ、代官の名折れというものですが」
「名折れどころか、命が折れるところでしたよ」
俺が言うと、グイヤンは豪快に笑った。すぐに脇腹を押さえて顔をしかめたが。
「はっはっ......まったく、ハイド殿のポーションには助けられましたわ。あれは一体何だったのですかな。自分で言うのも何ですが、本当に死んだと思いましたぞ」
「企業秘密です」
「ははあ」
グイヤンが目を細める。
「もちろん、深入りするつもりはありませんぞ。命の恩人ですからな」
丸い体を傾け、グイヤンが深々と頭を下げた。大仰な仕草だが、今度ばかりは本心が滲んでいるように見えた。
「ともかく、早く良くなってください」
カリミナが穏やかに言う。グイヤンが顔を上げ、令嬢を見て、目を細めた。
「もちろんですぞ!」
大きな腹を揺らし、笑って見せる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日後、俺たちはメルザを発つことにした。
懸念事項であった邪教徒の掃討が完了し、街と道中の安全は確認できたのだ。
これでようやく、カリミナの視察も終りを迎えた。
出発の際には、思いのほか多くの人間が見送りに出てきた。
グイヤンはまだ顔色が優れないにもかかわらず、屋敷の前に立って深々と頭を下げた。
後ろに並んだ文官たちも揃って礼をする。護衛の兵士たち、そして窯場の職人たちまで、道の両脇に並んでいた。白磁器の完成を一緒に喜んだ顔ぶれだ。
「またお越しくださいませ、カリミナ様!」
誰かが叫んだ。それを合図にしたように、あちこちから声が上がった。
カリミナは馬車の窓から顔を出し、丁寧に手を振り返す。その横顔には柔らかい笑みが浮かんでいた。
街の外れを抜け、見送りの声が遠ざかる。
「帰ったら、またゆっくり研究できますね」
向かいに座るナトが、ほっとしたように言った。栗色のポニーテールが、馬車の揺れに合わせて揺れている。
「またお屋敷にお話をしにきてくださいね」
カリミナがナトに微笑む。
「もちろんです」
しばらくして、馬車の中が静かになった。
ナトはいつの間にか窓の外を眺めながらうとうとしている。
カリミナは手元の本を開いたが、ページをめくる様子はない。
俺の肩に、重みがかかった。
シャーリニィだった。銀色の髪が俺の肩にかかり、規則正しい寝息が聞こえてくる。この少女はこういうとき、実に遠慮がない。まあ、悪い気はしないが。
窓の外を流れる景色を眺める。草原、遠くの白い山並み、雲の影。邪教徒も怪物も魔王もいない。
こうして、俺たちの旅は終わった。
平和な道のりだった。
馬車の揺れに身を任せながら、俺はぼんやりと考える。白磁器の完成、グイヤンへの誤解、邪教徒との戦い。
いろいろあったが、全員で帰ってこられた。
ようやく帰ってきた。俺の家、俺のアトリエに。




