7. 『好きを追うこと』
♢
ヤブキと別れてから少し経った頃。
クロードは木に背を預けたまま、刀の柄に触れる指先を見つめていた。
(……所詮ゲーム、か)
先ほど言われた言葉を、頭の中で何度も繰り返す。
──現実の剣道と、このゲームで刀を振るう感覚はまったく別物だった。
道場では型があり、礼節があり、勝敗の基準が明確だ。
あの頃は、父の声が常に耳の奥で響いていた。
『正しく振れ』『無駄な動きをするな』『結果が全てだ』。竹刀の乾いた音と、畳の匂い。汗を拭うたびに、自分の体が道具のように感じられた。
それは彼にとって、好きなことではなかった。ただ、やらされていた。
父は厳格な男だった。幼い頃から「男は剣を持て」と、剣道を強要した。朝練、放課後、週末。道場に通うことが、彼の日常のすべてだった。父はそれを『正しい生き方』だと信じて疑わなかった。
だが母は違った。
ある日、母は父に内緒でVR機器を貸してくれた。自分が愛する仮想の世界を、息子へと教える為に。
半信半疑で始めたゲームだったが、ログインしたと同時に彼は感動した。
人々の夢を体現化したかのようなその世界に、自分の見ていた世界の狭さを痛感したのだ。
中学生のとき、意見の対立から両親は離婚した。
親権は母が取り、彼は父の道場から解放された。
その日からクロードは、────黒道直人は、本気でゲームに没頭するようになった。
仮想の刃は振り下ろすたびに竹刀とは違う手応えがある。何とも言えない重量があり、切れ味があり、相手の動きに合わせて臨機応変に軌道を変える。強制された剣道とは違う、なにかがあった。
世界の細部まで作り込まれたこの場所で、刀を振るうことは義務ではなく、好きを形にする行為だった。ログアウトしたあとも、この世界にいた時間を思い出してしまう。
それが彼にとっての『好き』である。彼の考えを理解しているのは、現実では母親一人だけだった。
特にこのゲーム、『マジシャンズ・ラグナロク』は別格だった。五感を現実と寸分違わず再現したこの世界は、今までやってきたどんなゲームよりも、心躍るものだった。
だからこそ、この世界に興味のないプレイヤーが許せなかった。
クロードは小さく息を吐き、森の中を歩き出した。希少依頼を終えたばかりで、目的などなかった。
ただ今は、物思いにふけりたくなった。
木々が深くなってきたあたりで、小さな声が聞こえた。
「お母さん……」
クロードは足を止めた。
声のする方へ、慎重に近づく。茂みの向こうへと向かうと、一人の子供のNPCが座り込んでいた。年の頃は十歳前後。両手には薬草を握りしめ、泣きそうな顔で辺りを見回している。
「大丈夫?」
声をかけると、子供はビクッと肩を震わせた。クロードが刀を鞘に収めて両手を見せると、ようやく顔を上げる。
「……お母さんが、熱が出て。薬草が必要だって、街の人が言ってたから……」
危険な森まで、一人で来たのだ。母親のために。
その言葉を聞き、クロードの胸がわずかに痛む。
「そっか。街まで送るから、俺と一緒に行こう」
子供の手を取り、優しく立ち上がらせた。
──その瞬間、背後から異様な気配がした。
空気が、重く沈む。木々がざわめき、地面がわずかに震える。クロードは子供を背後に庇い、ゆっくりと振り返った。
(……まじか)
立っていたのは、先ほど相手にした小鬼首領とは桁違いの巨体だった。
蒼黒い鎧を纏った人型の獣。肩には太い角が生え、赤い目が夜闇の中で妖しく光っている。周囲の空気を歪ませるほどの威圧感。
───人鬼将軍。小鬼族の頂点に立つ、『スターティア』付近でも無類の強さを誇るB級モンスター。
その瞬間、クロードの眼前でパネルが青白く光る。
『緊急クエスト発生:人鬼将軍の討伐、NPCの保護』
推奨レベルは、45。
クロードは刀の柄に手をかけた。
今のレベルは22。現時点で敵う相手では無いことは重々承知している。
「……ちょっと、下がっててね」
子供に低い声で告げ、クロードは刀を抜く。
人鬼将軍の巨体が喉を鳴らし、自身の顔ほどある爪を振り上げた。
♢
── 一方、ヤブキは森の外れで、静かに空を見上げていた。
さっきのクロードの言葉が、まだ頭に残っている。
考えが理解できないわけではない。純粋にゲームを愛する人間が、金のためにだけクリアを目指そうとする人間を嫌うのは、当然だと思った。
ヤブキは、自分がこのゲームを始めた理由を改めて思い返した。
西園寺麗華。
彼女に脅され、仕方なくログインすることに応じた。承諾しなければ、自分と家族がどうなるかわからなかったから。
生活のことや将来のことを考えると、もっと多くの金が必要だった。学生の身分で、親を亡くしてから一人で弟妹を養うには、何よりも金が必要なのだ。
生きるためにクリアする。
それだけのはずだった。
なのに、さっきの戦いでは身体が勝手に動いた。胸の奥がざわついた。
楽しんでいたとまでは言わないが、少なくともその感覚は嫌ではなかった。
(どうしちまったんだ俺は)
クロードのように、自分の好きを追う人間と、自分は違う。
(……いや、考えるな。時間の無駄だ)
深く考える余裕などない。現実は待ってくれない。 金が必要、いくら考えたってそれは変わらないのだから。
(アイツはアイツで、同じようにゲームが好きなヤツと関わればいい)
小鬼首領との戦いの後。戦闘系の依頼以外も試してみようと、ヤブキは『薬草採集』の依頼を受けた。
この依頼では量の指定は特になく、見つけた薬草の数に応じ、報酬の量が変動する。
夜光に照らされる青白い葉を見つけては抜き、袋に詰めていく。足元の土の感触、木々の匂い。現実の退屈な日々とは違う、何かがここにはあった。だが、今のこの時間に、胸のざわめきはなかった。
(飲食店の皿洗いに似てるな。退屈なところとか)
どれくらいそれを続けたか。
(……何の音だ?)
遠くで、金属がぶつかる鋭い音がした。続いて、低い咆哮。
ヤブキは手を止めた。そして音のする方へと、慎重に近づく。すると木々の隙間から開けた空間が見えた。
「ハァ……ハァ……」
そこには、先ほど別れたクロードがいた。
刀を構え、後退している。相手は小鬼首領よりもさらに一回り大きい、鎧を纏った人型の獣。肩には太い角が生え、赤い目が妖しく光っている。
クロードの背後、草むらの後ろには子供のNPCの姿も見える。
彼の肩と腕には、すでに深い傷があった。このゲームには痛覚こそないものの、ダメージに応じた衝撃や疲労は確かに存在する。
刀を振るうたびに、動きが鈍くなっていく。額には汗が滲み始め、ヤブキの目から見ても疲労は明らかに蓄積していた。
人鬼将軍が大振りの爪を振り下ろす。クロードはそれを刀で受け止めたが、体格差による衝撃に耐えきれず膝をついた。
そのまま押し込まれ、背中を木に激しくぶつけた。
「くっ……!」
体制を崩した隙を見逃さず、人鬼将軍はさらに襲いかかる。
だが——クロードは、また立ち上がった。
息を荒げながらも刀を握り直し、すんでのところで攻撃を避ける。
(……なんで、そこまで)
ヤブキは木陰から、その姿を見つめていた。
命や生活がかかっている訳でもない。クリアに直結するような問題でもない。
「まだまだ、こっからでしょ」
傷だらけのクロードの笑顔に、胸がわずかにざわつく。木々の隙間に体をうずめているのはもう限界だった。
助けなければ、という気持ちは微塵も無かった。
ただ、先ほどから胸のうちに感じる『得体の知れない高鳴り』に、身を任せてみたくなった。
気がついた時には、またもや身体は勝手に動いていた。
「せいっ」
将軍の足元を狙い、低い姿勢から蹴りを叩き込む。巨体がわずかに揺らいだ隙に、クロードの前へ滑り込む。
「ヤブキさん⁉︎」
「少し見ないうちに男前になったな。いらない世話だったか?」
「…………いえ、助かりました」
予想だにしない助っ人。しかし、先ほどの自分の発言を思い出し、バツが悪そうに歯切れの悪い返事。
そんなクロードの頬を、両手で掴む。
「ぶっ⁉︎」
「余計な事考えんのは後にしろ。あのデカブツをどうやってブッ殺すか。今はそれだけでいい」
言い終えると二人は立ち上がり、目の前の怪物へ目をやる。背丈は自分たちの3倍近くはあるだろう。蹴りも、関節技も、刀も。生半可なものは通用しそうにない。
それでも二人の目には、微塵の恐怖も感じられなかった。
「見せてみろよ。お前の本気を」
「……はい!」
『緊急クエスト・人鬼将軍の討伐、NPCの保護』
本編で触れるかもしれませんが、獰猛狼や小鬼族はD級、
小鬼首領はC級。プレイヤーの冒険者ランクは格上の
モンスターと戦わせないようにするための運営の善意です。




