4.『心貧しきは人助けず、人助けは修羅の業』
♢
──男は森の深くにて、数頭の狼と対峙していた。
「ふぅ……」
軽く息を吐いた刹那、牙が男の眼前に迫る。
男は低い姿勢のまま、右足を一歩引いた。 石混じりの土を蹴る感触が、ブーツの底から伝わる。前の個体が高く跳躍した瞬間、体を左へ捻り、折れた剣の柄を突き上げた。
鈍い音が響く。
牙が木の柄に食い込み、これには思わず狼の頭が真上に跳ねる。その隙に、男は左手で掴んでいた石を狼のこめかみへと叩き込んだ。
骨が軋む感触。 狼が悲鳴を上げて横転する。残り二頭が左右から同時に飛び込んできた。
「次から次へと…少しくらい休ませろクソ犬」
息が白い。 夜の森は冷たく、まるで本物の森に来たような感覚だった。男は転がる狼の死体に足をかけ、距離を取った。折れた剣はもう使い物にならない。
手元に残ったのは拾ったばかりの太い枝のみ。
(ドロップした牙は……まだ二本か)
最初に狩った一頭の狼から、薄灰色の牙が落ちた。数十体狩る内に、2本目も落ちた。この戦闘でドロップしなければ、また新たに探すことになる。
男の頭上で光る名前は『ヤブキ』。現実世界の名は──山吹純也。
♢
──ログインしてすぐのこと。
ヤブキは特に目的もなく、街の中をただ歩いていた。
(何していいかさっぱりわかんねぇ……。でもまぁ、初心者用の講習みたいなのはあるだろ)
ゲームを始めたばかりのプレイヤーに、チュートリアルは付きもの。幼い頃に遊んだアナログのRPGゲームを思い出しながら、ヤブキは期待して道に設置されていたベンチに座ってみた。
が、何も起きなかった。五分待っても十分待っても、受動的な導きは起こる気配もない。
(なんて冷たいゲームだ。人の心はどこへやった)
夜の街と言っても、魔法灯の明かりは十分に明るく、人通りもそれなりにある。
通りを行き交うのは、装備の整った冒険者らしい姿の者たちと、商人風の者たち、そして明らかにこの世界の住人らしい、地味な服の人々だ。
そしてそれを眺めているうちに、この世界の人間の頭上には、それぞれ本人の名前が常に表示されていることが分かった。白い文字で浮かんでいるのが大半で、中には青い文字のものも混じっている。ヤブキが自分の頭上を確認すると、そこには『ヤブキ』と書かれた名前が、白い文字で小さく浮かんでいた。
(プレイヤーとNPCで色が違うのか。俺が白色ってことは、青色はゲーム内のキャラってことか?)
しかし、ここで待っていても何も始まらないだろう。
とりあえずヤブキは立ち上がり、近くにいた青い名前の老人に話しかけてみた。物売りのようで、目の前には簡易な防具や消耗品を並べている。
「なぁ爺さん。俺は『傭兵』なんだが、この街に来たらまずは何をしたらいい?」
「……なら、冒険者ギルドに行きなされ。戦闘職なら、まずはそこで依頼を受けるのが普通じゃ」
老人は淡々と答えた。ヤブキは軽く礼を言って離れ、次に若い女性のNPCに声をかけてみた。彼女は「ギルドは大通りの突き当たりよ」と笑顔で教えてくれた。
──自分からNPCに問いかけなければ、何も教えてもらえない。
NPCと話していくうちにヤブキはそれを理解し、別のNPCにも声をかけていった。始めたての戦闘職の冒険者は街にある冒険者ギルドへ行き、依頼を受けるのが一般的な流れだという。
途中、ヤブキは試しにシナリオらしきものから外れた質問も投げてみた。
ここまで現実感のある世界なら、NPCはどこまで対応できるのか。ただの定型文が繰り返されるのか、それともゲーム内のキャラ一人一人が本当に『考えている』のか。その境界を確かめたくなったのだ。
「この街の住民は夜になると、何か特別なことをするのか? 夜だってのにやけに騒がしいな」
「特にはないが、酒場では夜遅くまで賑わっているな。魔法灯の油代がかさむから、店主は愚痴をこぼしているよ」
別のNPCには、もっと突飛なことを聞いてみた。
「なぁアンタ。もしこの世界が、誰かの夢や作り物だったらどうする?」
「……面白いことを言う。だが、現実でなくとも、腹が減れば飯を食う。傷を負えば痛い。俺たちが生きているということには変わらないだろう」
返答はどれも自然で、ありがちな定型文の羅列ではなかった。ヤブキは思わず足を止めた。
(すげーな。どんな技術使ってんだこれ)
ゲームだと分かっていてもその反応の滑らかさに、妙な違和感が残る。ただのプログラムではないような、そんな気がしてならなかった。
しかし、悠長に考えている時間は無い。
ヤブキはその足で、先ほど案内された冒険者ギルドへと向かった。その建物は周囲のそれに比べて一際大きく、人通りも多い。そのほとんどに白い文字が頭上へ浮かんでおり、その施設が持つプレイヤーへの需要を表していた。
解放された大きな門をくぐり、中へ入る。
カウンターの前には多くのプレイヤーたち。『受付』と書かれた大きな看板へ向かうと、一人のNPCから案内を受けた。
ヤブキの名前を見て軽く目を細めた後、笑顔で話しかける。
「初めまして! 『スターティア』の冒険者ギルドへようこそ! 冒険者登録はお済みですか?」
『スターティア』。ゲームを始めたものが必ず訪れる始まりの街。それがこの街の名前だった。
NPCの質問に首を振るヤブキだったが、それを見越してすぐに引き出しから紙とペンを取り出すNPC。
「それではまずは登録からですね! いくつかの質問にお答えください!」
職業から始まり、戦闘経験などの数分の質疑応答を終えた後。
ヤブキの手には一つのカードが渡されていた。
「そちらは冒険者証となっております! 現在のヤブキ様のランクはD、D級の方が受けられる依頼はこちらになります!」
依頼の難易度は冒険者ランクによって分かれている。Dから始まり、C、B、A、Sまでの五段階。
初心者は当然、最下位のD級クエストしか受けられない。自身のランクは依頼の達成度などを加味し、条件を満たせば昇格試験を受けられるらしい。
Sランクの冒険者ともなれば、この『マジシャンズ・ラグナロク』内でもTOP帯プレイヤーとされている。その全員が、何らかの偉大な功績を残した猛者ばかり。
(……あの女のことだ。どうせS級を目指すのなんか当たり前、とかほざくんだろうな)
そうして提示された依頼の十数個の中から、ヤブキは直感を頼りに一つ選ぶ。
『近くの森に出没する獰猛狼の牙の収集。報酬は少額だが、初心者向け』
受注の手続きはあっさりと終わり、ヤブキはギルドを出た。
その足で、ギルドの隣にある武器屋へ寄った。人間相手ならば素手でも問題はないが、流石にモンスターを相手にするとなるとある程度の武器は持っていた方がいいと判断した。
ログインした際に得たものは、初心者用の防具と『ゴル』と呼ばれる少量の通貨のみ。店内の武器はどれも今のヤブキが購入できる金額ではなかった為、一番安い鉄の剣を選び、残りを薬草に換えた。
所持金はほぼゼロになった。
(この世界でも、金に縁がないのか俺は……)
ゲームくらいは金の心配をしなくてもいいのでは、という淡い期待は粉々に打ち砕かれた。
気を落としつつ、重い足取りで森へ向かったのが小一時間前の話。
──そして今。
三頭目の狼が枝を噛み砕こうと前足を上げた瞬間、ヤブキは再び体を沈めた。
枝を横に薙ぎ、狼の顎を下から跳ね上げる。バランスを崩したところで、石を握った拳を喉元へ叩き込んだ。
短い悲鳴が響く。
だが、狼はまだ起き上がろうとする。 ヤブキは枝を捨て、直接その体に飛びかかった。
自身よりわずかに小さいその体を木に押し当て、体毛を掴み両腕で首を締め上げ、膝で腹を押し潰す。その際、牙が肩に食い込むのを無視して力を込めた。
骨が軋む音。 やがて、狼の荒い息遣いが聞こえなくなった。
(兄貴直伝の関節技、狼にも効くんだな)
ヤブキは荒い息を吐きながら、死体の近くにしゃがんだ。 このゲームでは戦闘終了後、モンスターの死体は赤いポリゴン状の何かとなって消える。例に漏れず、3頭の狼は数秒後に跡形もなくなって消えた。
薄灰色の牙が、静かに転がっている。これで三本目だ。
「流石に狼と戦ったのは初めてだったが…何とかなったな」
予想以上に削られたHPを回復すべく、先ほど買った薬草を齧る。
(味は……しなびたキャベツみたいだ)
このゲームでは痛覚を除き、味覚や嗅覚といった感覚がほぼ現実に近いレベルで再現されている。森の中に入れば土や植物の匂いが鼻をくすぐり、薬草を食べればその独特な味を感じることができる。
そしてふと、折れた剣の残骸を見下ろす。
生まれて初めて握った剣で少しの愛着があったが、安物は安物。戦闘開始直後、一頭目の牙を受けた瞬間、刃が根元から裂けた。 肩に残る痛みと、手元の空虚感が、じわりと胸に広がる。
(結構、愛着あったんだけどな。この剣)
無駄に剣を壊すくらいなら、最初から素手で慣れておいた方がいい。この体はまだ自分のものだ。
今度からは絶対に半端な装備を買うまい、と心に決めた。
そのとき、頭上に半透明のパネルが浮かんだ。
『レベルが上がりました LV10→ LV11』
森での戦闘で、レベルはかなり上がった。
ステータスも始めのそれに比べ、大きく成長している。ヤブキは軽く肩を回し、地面の牙を拾い上げた。
そして来た道を戻り、森を抜け、平原を駆ける。
心なしか自分の出せるスピードが速くなったような感覚が、ヤブキにはあった。レベルアップにより、身体能力が上がったのだろうか。
そうして十分と経たない内に『スターティア』へと戻った。
その足でギルドまで辿り着き、扉を押し開ける。先ほど依頼の受注をした、受付のNPCがそこにはいた。頭上の青い名前が、静かに揺れている。
「お疲れ様です! 依頼の報告ですか?」
ヤブキは牙を3本、カウンターに並べた。 女性は軽く触れて確認し、いくつかの銅貨を差し出す。
「確かに受け取りました! こちら、報酬の150ゴルになります! またのご利用をお待ちしております!」
先ほど買った剣は300ゴル、薬草は10ゴルだった。 剣を買い直すには足りない。精々薬草を補充するのが関の山。 それでも、ゼロよりはマシだ。
ヤブキは所持金を確認し終え、ギルドを出る。
「労働の割に報酬がしょっぱくねーか? まぁ初めたてにしてはこんなも…ん?」
夜風が頬を撫でた。 その瞬間、ギルドの入り口が何やら騒がしいことに気づく。
ヤブキは足を止めた。
ギルドの前で、一人のプレイヤーが囲まれていた。
簡素な黒い着物を着た侍姿で、腰には一本のシンプルな日本刀。遠目でも目立つのは、このファンタジー世界には見慣れない和服を見に纏っているからだろうか。
「あー……すみません。通して欲しいんですけど……」
中性的な顔立ちで、うねりのある黒髪を一つに結んでいた。
囲まれている最中、男の表情は笑顔だったが、どこか戸惑いを孕んでいた。
ヤブキが少し近づくと、プレイヤーの頭上には白い文字で『クロード』と浮かぶ。
周囲を取り囲む者たちも同じく白い名前だった。人数は七、八人ほど。活気ある話し声が、風に乗って聞こえる。
「アンタ、本当にD級か⁉︎ さっきの戦い凄すぎだろ!」
「初心者の『侍』があんな動きしてんの初めて見た。凄かったね」
「いや俺も見てたけど、タイミングが完璧すぎて笑っちゃった」
「是非パーティを組んでくれませんか? 魔法職ばかりでアタッカー不足でして」
「うちの方がいいよ。レベリング効率考えてるし、アイテムも回せるよ?」
「アンタがいればこのゲームも絶対クリアできるって! 頼む!」
「すみません、えっと、そのー…」
クロードは明らかに返答に困っている様子で、視線を泳がせている。
その目が、たまたまそれを見ていたヤブキと重なった。重なってしまった。
──次の瞬間、クロードの表情がわずかに動いた。
都合の良いものを見つけたかのような、安堵の表情。
「あ、おーい! こっちこっち!」
「は?」
突然、丁寧な声で呼ばれて、ヤブキは思わず目を見開いた。クロードは周囲のプレイヤーたちを押し分けるようにして、こちらへ歩み寄ってくる。
「全く、遅いよ! 夕方にはログインするって言ってたじゃん!」
(何言ってんだこいつ)
このプレイヤーとは間違いなく初対面だ。だが、クロードの目には、明確な『助けてくれ』という色が浮かんでいる。顔を見ればわかるが、ふと気を抜けば今にも泣き出しそうだった。
(……そういう感じね)
話の流れをあらかた聞いていた為、意図を理解できたヤブキ。
彼は沈黙という答えを導き出した。
狙っていた新規プレイヤーの知り合いの来訪に、周囲のプレイヤーたちはざわついた。
「えっと、皆さんすみません。パーティは友達と組むので、また今度機会があればお願いします!」
それによって起こる様々な声を無視するように、ヤブキの前に立つと、小さく息を吐いた。声のトーンが、先ほどまでの元気な印象から、大きく崩れる。
「ホントすみません、お礼はするので、今だけ話合わせてください……」
(人助けには、トラウマがあるんだ……俺……)
事が大きくなり、今更嘘とも言えず。
ヤブキの頭には昨日の悪魔との出会いがよぎっていた。




