26.『琥珀色の瞳』
♢
「…………」
「あの」
「…………」
「せめて、何か返事を」
──スターティア外れの、小さな酒場。『強欲な天使亭』
カウンターの奥でランプがゆらゆらと揺れていた。木の床は旅人の靴跡で擦り切れ、壁には古い依頼掲示の切れ端が貼られたまま。外の通りは夜の静けさに沈み、店内には数人のNPCがいるだけだった。
同行していたプレイヤー達を適当な理由で解散させ、有無を言わさずにヤブキをここまで連れてきたクロード。
彼は壁際の席に座り、向かいのヤブキを黙ってひたすら見つめていた。
「……今まで、何してたの。あとなんで地下から出てきたの。てかあの芋虫何。その仮面も似合ってないし」
「おぉ……いきなり喋るんだなお前」
声は怒っているというより、少し掠れたものだった。淡々と問い続けるクロードだが、テーブルの下で指が無意識に布を握っている。
(なんか、瀬奈が怒った時に似てるな……)
自分が食事をおざなりにする時、自分が一日の休みもなくバイトを入れた時。妹の瀬奈は決まってこのような起こり方をする。冷静に、しかし大切に思っているからこそ強い口調での叱責。
ヤブキは視線を落とす。怒られ慣れていない男の、明らかに気まずそうな様子。
「まぁ、順を追って話すぞ」
キョウイチロウとの戦い後、すぐに見知らぬ大陸へ飛ばされたこと。
ワールドクエスト第一節『憤怒ナル起源』を、単独でクリアしたこと。その過程で得た力と、背負うようになった責任。これは後から判明したものだったが、フレンドリストが『不明』になっていたのは、システムの特殊な状態によるものだったこと。メッセージは届いていたが、返事をする余裕も、タイミングもなかったこと。
自身が背に乗っていた魔物などは、ワールドクエストをクリアしたことで得られた恩恵であること。
そして、地面の下から出てきた理由。
「あの芋虫……モロクが移動に使えないかと思って、背中に乗って試してたら、急に地面に潜り始めて……」
システムの穴を突き、結果的にあの形で登場した。
「……ふーん」
ようやく口を開いたクロードの声は、まだ少し震えていた。
「知ってたよ。君がクリアしたってことは」
「え?」
あの夜のことを、クロードは鮮明に覚えている。
全プレイヤーの視界を覆ったウィンドウ。街中がざわめき、酒場では興奮した声が飛び交っていた。掲示板は更新が追いつかず、噂が噂を呼び、ネクスリムまでの街道沿いでさえ見知らぬプレイヤー同士が肩を叩き合っていた。
「なんで広まってんだ?」
「いきなりウィンドウが出たんだ。君の名前と、ワールドクエストクリアの表示が。こんな初心者エリアまで、噂で持ちきりだったよ」
(…………うーん、まずい)
ヤブキは冷静になって考え直した。
全プレイヤーに表示されたということは、必ず彼女──西園寺麗華もそれを確認しているだろう。試運転という話で進めていたこのゲーム、いきなり彼女の計画を崩すようなことをしてしまった。次に会った時、何を言われるのだろうか。
(しばらく学校休むか……いや、それだと瀬奈に怒られるし……)
領地を統べる王になったばかりの男が、まるで子供のように肩をすくめる。
クロードはその様子を見て、思わず唇の端を緩めた。怒りはまだ残っている。けれど、それ以上に──またこうして目の前にいることが、彼にはたまらなく嬉しかった。目尻が、少しだけ熱くなる。
「……ばか」
「すまん」
「すまんじゃないよ。……メッセージ、何十通も送ったのに。無視されて、突然森から出てきてボスも食べちゃって……」
「……食べたのは俺じゃないぞ」
「同じだよ。ホントに、ばか」
涙目になりかけた目を、そっと伏せる。ランプの炎が揺れる音だけが、二人の間を埋めた。
クロードは深く息を吸い、吐き出した。胸の奥で動いていた熱が、今度は別の形で膨らむ。
「でも……とりあえず、無事でよかった」
その言葉に、ヤブキが顔を上げる。クロードの表情は、怒り半分、安堵半分。
「すまなかったな。これからはちゃんと連絡──」
ヤブキが答えた、その直後だった。
クロードの胸が突然、不自然に大きく膨らんだ。
「ん?」
ヤブキの目が一瞬で鋭くなる。
「うぁ⁉︎」
テーブル越しに、クロードの胸元が蠢いている。布の下で何かが動いている。
「通りで、綺麗な顔だとは思ってたが……」
「いや違うから! 待って!」
発言には冗談めかした様子は微塵もなく、クロードは即座に首を横に振る。
「おーい……お寝坊さんかな?」
胸元の布がさらに盛り上がり、小さな何かが中から這い出ようとしていた。
クロードは襟を緩め、優しく手を添える。
「……ふにゃあ」
次の瞬間──白い毛並みをした、手のひらほどの小さな生き物が、ふわりと宙に浮かんだ。
「ん、ご飯かにゃ? クロ」
よくみるとそれは、猫だった。
しかし小さな翼が背中に生えており、体も通常の猫に比べ遥かに小さい。
「……んだそれ。非常食?」
「斬るよ?」
琥珀色の瞳がきょろきょろと辺りを見回す。尻尾をふわふわと振りながら、クロードの肩にそっと着地した。
「ほら、挨拶してラジー。あれがヤブキだよ」
ラジーと呼ばれた子猫は、肩に身体を埋めながらヤブキを見る。
「僕はラジーにゃ。よろしくなのにゃ」
「あぁ〜! よく出来たね〜!」
クロードの声が、急に弾む。
目がきらきらと輝き、指先が丁寧にケットの頭を撫でる。
「ヤブキがいない間に、たまたま発生した希少依頼をこなしたんだ。『ネクスリム』に向かう途中で、小さな村に立ち寄った時のことなんだけど……」
その村の外れには誰も近づかない、苔むした石の祠が建てられていた。そこで発生させた希少依頼が、『森の忘れられた囁き』というもの。
祠の前に立ち、古い石に刻まれた歌を声に出して歌う。その瞬間、祠の中から淡い光が溢れ、翼を持った白い猫がふわりと浮かび上がり、琥珀色の瞳でこちらを見つめていた。
戦闘能力はなく、現状特殊な能力も見られない。強いて言えば、空を飛ぶくらいであった。
「かわいいだろ! ふわふわで、温かくて……俺、猫好きなんだぁ」
(……ぬいぐるみあげた時の舜みたいだ)
クロードが溺愛する様子で、ラジーの頭を何度も撫でる。
「お前がヤブキかにゃ。会えてよかったにゃ」
「なんだお前。俺のこと知ってんのか?」
「知ってるも何もコイツから散々聞いてたにゃ。『どこにいるのか』だの『会いたい』だの『寂しい』だの──」
「あああああああああああああああ‼︎ そ、それ以上喋らないで‼︎」
それまで優しく撫でていた手で、乱暴にラジーの口を覆い被す。
「……聞かなかったことにしとくぜ」
「…………はぃ」
消え入りそうなほど小さな声だった。
「それにしてもヤブキのソレ、何か変な感じがするにゃ」
クロードの手から難なく脱出し、宝石のような瞳でじっと見つめる。
「退魔の面のことか?」
「そうにゃ。なんかムズムズするにゃ……取らないにゃ?」
「悪いな。人前では外すなって言われてんだ」
「それ嫌いにゃ。取るにゃ」
「取らねぇって」
「取るにゃ」
「だから取らねぇって」
「クロ、お前の想い人何とかするにゃ」
「掘り起こすなそれを‼︎」
再び迫り来るクロードの手を華麗に躱し、尻尾を振りながらヤブキの方へふわふわと飛んでいくラジー。ヤブキはそれを避けようとするが失敗し、額に小さな前足を乗せられた。
「取るにゃ」
「可愛げのかけらもねぇ猫だな。非常食が正解じゃねーか?」
「だ、ダメに決まってるでしょ!」
「僕が命令してるにゃ。何か文句あるにゃ?」
「ある。めちゃくちゃある」
「ないにゃ」
「その羽根捥ぐぞクソ猫」
「……はぁ」
クロードは二人の様子を眺めながら、静かに息を吐いた。森での記憶が、まだ胸の奥に残っている。逃げた夜の感触も、ヤブキの右腕が散る瞬間も。けれど今、こうして同じテーブルを囲み、小さな猫が間に挟まっている。それだけで、何かが少しだけ軽くなった気がした。
「にゃー、もうめんどくさいにゃ。クロ、もっかい寝るにゃ」
「はいはい。ってか、毎回そこ入るの?」
「ここが一番落ち着くにゃ」
ラジーは小さくあくびをしながら、再びクロードの胸へと戻る。
「もう結構いい時間だけど、どうする? もう落ちる?」
「……いや、今日中に『ネクスリム』まで行きたいんだよな」
「あぁ、技術職が何ちゃらって話?」
『ネクスリム』を目指す最たる理由である、技術職の確保。
住民の生活も関係している為、一刻も早く改善しなくてはならない問題。ひとまず今日中に街に辿り着いてから寝る、というのがヤブキの今日中の目標でもあった。
「いきなり領主になった、って聞いた時はびっくりしたけどね」
「『ネクスリム』にはもう何回も行ってるんだろ? できれば案内頼みたいんだが……」
「…………はぁ。まぁいいよ。案外近いし」
「ありがとな。……さすがクロ」
「だからそれやめて⁉︎」
久方ぶりの再開だったが、二人の間に距離は感じられなかった。




