20.『かつての理想、届かない過去』
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「……ハッ! ようやく喋りやがったなボス野郎」
静かだった玉座の間に、ヤブキの声が響き渡る。
「答えよ」
仮面の男はわずかに指を動かした。
──刹那。男の背後から生ずる黒い稲妻が、まるで生きた蛇のように枝分かれし、玉座の間全体を覆い尽くす。壁際から天井まで、一瞬で焼き尽くすような軌跡。空気が焦げ付き、石畳が爆ぜて粉々に飛び散る。
「ッ、いきなりかよ⁉︎」
意表を突かれたヤブキだったが、身をかがめて稲妻の軌跡を目で追いながら、最小限の動きで滑るようにかわす。床が弾け、破片が頬を掠める。心臓の鼓動が耳の奥で鳴り、肌が熱を帯びる感覚。
「何故、抗う」
再び問うその声は低く、静かだった。感情の起伏など微塵もない。まるで詩を詠むかのように端的に、古く。玉座の影が長く伸び、男の存在そのものが空間を圧迫する。
「あ?」
動揺しながらも、さらに一歩を踏み出す。距離を詰める。
──男の指が再び動く。
呼応するかのように赤黒い炎の柱が、床のあらゆる場所から同時に噴き上がる。一本ではない。十本、二十本以上。玉座の間を格子状に埋め尽くすような広範囲。熱波が肌を炙り、息をするだけで肺が焼ける。
ヤブキはそれらを転がるように避け、柱と柱の隙間を縫うように体を捻る。タイミングを誤れば全身が焼ける。 だが動きは正確そのものだった。一歩、また一歩と男との距離を詰める。汗が額を伝い、視界が揺れる。それでも足は止まらない。
「奪う為。生きる為。……守る、為?」
答えを返していないにも拘らず、今度は複数の氷の槍が宙に浮かぶ。数十本が、同時に異なる角度から放たれる。上から、横から、斜めから。逃げ場を完全に潰す射程。槍の先端が光を反射し、冷たい殺気を放つ。
「聞くなら攻撃してくんじゃねーよ! この曲芸野郎が……!」
曲刀で氷槍の一刺しを弾き、体を低くして二刺しをかわし、三刺しを踏み込みながらすり抜ける。その後も身体を木の葉のように操り、のらりくらりと避ける。
「戦いの果てに何がある。生きて──生きた先に、何がある?」
またもや指を立て、辺りに黒い風が吹き荒れる。空間そのものを削るような、広範囲の圧力。視界が歪み、体が浮き上がりそうになる。耳鳴りがし、骨が軋むような重圧。ヤブキは感覚だけで男の位置を捉え、一歩近づく。風の流れを読み、体を斜めに傾けることで、圧力の中心をかわす。
「……知るかよ。先なんて考えてる余裕、俺にはねぇ!」
指が動く。
その瞬間、周囲の重力が歪む。床全体が沈むように重くなり、体が押しつぶされる。射程は玉座の間全域。
(ヤベェ‼︎ これ、マジで死ぬ‼︎)
逃げ場がない。毎秒のようにHPが、音を立てて減っていく。膝が折れそうになり、肺が潰れるような圧迫感だった。
それでも歯を食いしばり、力を込めて立ち上がる。一歩、また一歩。重力の中で、彼は前へ進む。
「抗い続けた先に残るのが、残酷な結末だとしたら?」
其方はそれでも戦うか。
仮面の男は静かに問う。声にわずかな揺らぎが混じるが、それはすぐに消える。
「全てを失う覚悟はあるのか」
そして、男の背後の空間が裂ける。黒い刃が、無数に現れる。天井から床までを埋め尽くすような、異常な密度と範囲。
間髪入れずに降り注ぐ刃の雨が視界を覆い、逃げ場を奪う。
「全てを失う覚悟、だぁ?」
一息つき、曲刀を構え、振るう。何十回も、何百回も。降り注ぐ刃を全て弾き、少しずつ歩みを進める。
「んなもんなぁ、決まってんだよ。何年も前からずっとなぁ……‼︎」
そして、男の目前まで到達した。
HPは一桁。もう一度何か攻撃を喰らえば、確実に死ぬ。
だが彼の技量は、限界まで研ぎ澄まされていた。拳を握りしめ、全身の力を一点に集中させる。
「……何故、そこまでして抗う」
男の問いに、拳で答える。
仮面の上から頬を一発、拳を叩き込んだ。乾いた音が玉座の間に響く。仮面に拳が沈む。
男の体が、わずかに後ろへ傾く。長い沈黙を打ち砕く一発であり、積もった虚無を一瞬で裂く打撃。
「俺が生きてるからだ」
ヤブキの胸に、熱いものが突き上げる。怒りでも、快楽でもなかった。ただ生きているという実感が、拳の先に宿る。
「今を必死に生きる。俺はもう俺の人生を諦めない。悔いの残らない選択をして、それでもダメだったら──そん時は、潔く死んでやる」
ヤブキの答えに、男は静かに膝をついた。同時に、周囲で凍りついていた悪魔たちが、一斉に黒い影へと溶けていく。
(そういやコイツの攻撃、アイツらには当たってなかったな)
「……それが、其方の理想か」
影は男の足元へ流れ込み、やがて消えた。
玉座の間に残るのはヤブキと、膝をついた男の二人だけ。曲刀を構えたまま、ヤブキは息を整える。
しかし、男からはもう戦意を感じられなかった。
「そのように生きられたら、どれだけ良かったか」
一言。静かに、しかしどこか、わずかに揺れる声。消えかけた火種のように、微かな揺らぎ。
だが、その揺らぎはすぐに影に覆われる。
「理想を掲げ……小さな夢を見た。それに向かう為に、争い、守り……失った」
静かな呟きは、止まらなかった。器から溢れ出した液体のように、少しずつ流れていく。
(……コイツ)
ヤブキは曲刀を下ろし、男を見下ろす。
先ほどからの意味ありげな問い。そして自身が打ち抜いた拳により、変化する男の感情を感じ取った。
(ただのNPCでも、モンスターでもない。何かが、違う……)
男の声は低く、まるで自分自身に語りかけるように続いた。
「我は──私は、何の為に生まれてきたのだろうか」
玉座の間に、再び静寂が落ちる。男の膝は床に沈み、肩がわずかに震える。仮面の奥で瞳が虚ろに揺れる。
かつて理想を抱き、誰かを守り、何かを信じた日々。そのすべてが、今や果てのない虚無に溶けている。
怒りだけが残り、その怒りさえも今はもはや熱を持たない。冷たく静かに、ただ自身にまとわりつく呪縛。
男の指先が床をかすかに掻く。
失った何かを。かつての理想を惜しむように。




