18.『深淵の入口、熱の出口』
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『暁の従地』のエリアボス『潜醜美食魔』。
十数メートルにも上る巨大な身体を持つ、下級悪魔の将。その身体のほとんどは、唯一顔と呼べるその巨大な口と、消化器官で占められている。異常な食欲と狡猾な性格を併せ持ち、実態のあるプレイヤーを好んで食す。在来種の悪魔は実態を持たぬ為、食すことはない。
体表は呪われた外殻に守られ、殴れど蹴れど、皮膚にすら傷を付けられない。曲刀を手に入れたヤブキだったが、数度斬撃を浴びせるものの、結果は同じ。
こちらの攻撃は一切通じず、食べられれば一巻の終わり。その理不尽さに、ヤブキは何度も煮え湯を飲まされていた。
「正直弱点なんてねぇ。──少し前まで、そう思ってたがよ」
何度も口内で死を味わううちに、ある一つの仮説が生まれた。
しかし、失敗すればまた死ぬだけだ。次にリスポーンした際、手にしている曲刀がまたあるとは限らない。モロクに飲み込まれてしまえば、折角倒した悪魔達と再び戦うことになる。
実質的に、これが最後のチャンスだった。
もう失敗はできない。後がないヤブキだが、その顔の笑みは未だ消えない。次第に口元がさらに深く歪んでいく。
「見つけちまったからには試さねーとな!」
モロクが口を大きく開き、ヤブキを飲み込もうとする。黒い舌が蠢く。
──その刹那。ヤブキ自身も蠢く舌に向かい、走り始める。
「んな食いたきゃよぉ、こっちから行ってやるよ‼︎」
あろうことか、自らその口の中へ勢いよく飛び込んだ。
上下の歯が閉じようとする瞬間、ヤブキは絡みつこうとする舌を踏みつけ、壁面を蹴って、口内の闇を進む。
ぬめり。湿った熱。そして鉄錆の匂いが濃密に充満していた。
「ご馳走の時間だ‼︎ よーく味わってけ‼︎」
そう叫んだ瞬間。曲刀を握った手が、力の限りに振るわれる。
口内の柔らかい肉を八つ裂きにする。舌の根元を裂き、粘膜を穿ち、歯茎のような部分を何度も抉る。モロクの巨大な身体が、大きく痙攣した。黒い液体が溢れ、舌が激しく蠢き、歯が軋む。
完全無欠に見えたモロク唯一の弱点──それは、常に開き続けている口の内側だった。柔らかい粘膜と、神経の集中する舌の根元。硬い外殻とは打って変わり、肉が豆腐のように刃を受け入れる。
ヤブキの仮説は当たっていた。何度も死に、口内を観察することで、弱点を見抜いた。
(なんつーか、楽しい時の『熱』とは、また違う感じだ)
焦り、怒り、恐怖。負の感情は燃やすことにより、逆にヤブキに冷静さをもたらした。冷静に、合理的に、自分のしたい戦いを実行する。結果的にそれを楽しみ、『熱』はさらに高まる。
今までの無表情を崩し、明確な反応を見せるモロク。
その口内でヤブキは、さらに曲刀をねじり込んだ。口内をズタズタに引き裂く。モロクの咆哮が口内に反響し、世界が揺れる。
その隙にヤブキは口内の闇から抜け出し、その場を離れる。痛みに苦しみ怒り狂ったモロクは、満身創痍の巨体を震わせながらヤブキを追う。口を大きく開き、牙を剥き、黒い舌を伸ばす。
「ハハ‼︎ 初めて見たよ、お前のそんな必死の姿‼︎」
予想以上の速度に冷や汗をかきながらも、ヤブキは迫り来るモロクから必死に距離を取り続ける。
気配を濃く立ち昇らせ、『熱』を意図的に撒き散らしながら、ある場所へと向かう。スタミナはない。だから、ヤブキは地形を利用しながら逃げる。
亀裂を飛び越え、岩陰に身を隠し、崩れた斜面を転がり落ちながら、少しずつ距離を取る。モロクは気配だけを頼りに追ってくる。地面が震え、瘴気が渦巻く。
(もうすぐ、もうすぐあの場所に──)
死んで戻るたびに、戦闘の合間にふと視線を向けた先。影たちに追われて無意識に後退した先。モロクの巨体が地面を抉るたびに、遠くで小さく崩れる音がした先。何度も死ぬ過程で、この広大な荒地の「終わり」の位置が、自然と身体に染み付いていた。
ヤブキが向かう先。それは、エリアの端に走る深い裂け目。崖だった。
「ビンゴ! ようやく来たぜ、この場所に!」
崖の淵に立ち、ヤブキは一息つく。下を見下ろすが、その底は到底肉眼では確認できなかった。紫がかった瘴気が、下に行けば行くほど濃くなっていた。
──背後から、地鳴りが聞こえる。開きっぱなしの口から黒い液体を撒き散らし、身体をうねらせ迫るモロク。
後数秒立ち止まれば、その舌は確実にヤブキの身体を捉えるだろう。
「まぁ、こればっかりは本当に賭けだがな……」
しかし、振り返らない。ヤブキは瞳を閉じ、曲刀を自身の腕に当てる。
恐怖はある。しかし、躊躇はしなかった。
「──ッ、がぁ……」
短く息を吐き、ヤブキは自らの片腕を切り落とした。鮮血が迸り、感触が熱に変わる。
「これでも、食っとけぇ‼︎」
そして切り落とした腕を、崖の向こう側へと投げつける。
モロクの巨体が、その気配に反応した。切り落としたとはいえ、その腕は実態のある肉。目のない顔を、投げられた腕の方へと向ける。殺意と熱の残滓を追い、崖の縁を越えようとする。
モロクの体が浮く寸前。ヤブキは身を伏せた。
「ああああああああああああああああああああぁぁぁぁ………‼︎」
巨大な影が頭上を通り過ぎ、投げられた腕を喰らう。しかし、そこに着地する地面はない。
断末魔とともに、モロクは崖の向こうへ落ちていった。
──轟音。地響き。そして、しばしの静寂。
【エリアボス:潜醜美食魔 討伐完了】
「──ッ、しゃああああああああああ‼︎」
ヤブキは荒い息をつきながら、その場に膝をついた。全身が軋み、視界が白く揺れる。
ヤブキの立てた仮説には続きがあった。モロクが気配を追ってくることに気づいた時、一つの違和感を見つけた。モロクはヤブキ本体だけでなく、悪魔達に斬られた四肢にも反応し積極的に食べようと迫った。
異常な食欲ゆえに、モロクは最も容易に食べられるものに顕著な反応を見せることがわかったのだ。一刻も早く、自身の飢えを満たすために。
その為に片腕を切り落とした。犠牲は大きかったものの、勝った。自分で思考し、自分のやりたいことを全てやり、掴んだ勝利。
それと同時にレベルアップの音が辺りに響くが、ヤブキがそれを確認することはなかった。今はただ、手にした勝利に酔いしれていたかった。
(あぁ、これだ。クッソ気持ちいい……この感覚)
人魔将軍との戦いでも感じた、あの高揚感。目を閉じれば今すぐにでも寝てしまいそうなくらいには疲れていたが、それ以上にヤブキの胸には興奮が満ちていた。
「これでクエストもクリアか。何かしら報酬とかは──」
しかし、ここでヤブキは気づく。パネルを確認しても、自身の受注した『憤怒ナル起源』は、未だ進行中。クエストはまだ終わっていなかった。
エリアボスを倒す。それはヤブキの中の目標であり、クエストの達成条件ではなかった。
「──どういうことだ。まだ何かあるってか?」
いくら待ってもシステムメッセージは更新されない。クリアの報せもない。ただ、静かな風が、崖の向こうから吹いてくるだけだった。
パネルを眺めていたヤブキは、ふと顔を上げた。
「…………なんだ、ありゃ」
目にしたのは、崖の向こうに聳え立つ一つの建造物。壁面には黒い蔦のようなものが絡みつき、紫がかった瘴気が建物そのものから滲み出しているように見えた。壁の一部はすでに崩れ落ち、まるで長い年月をかけてゆっくりと沈んでいく巨大な獣の死骸のようだった。窓という窓はすべて暗く、時折、内部からぼんやりとした赤い光が瞬くのが見て取れる。
『スターティア』にあるどの建物よりも、遥かに大きい城だった。
「無関係……な訳はねぇよな」
この距離でも感じ取れる、異様な雰囲気。しかし、そんな空気を放つからこそ、訪れれば何かが起こる。
そう思わせる『何か』が、あの城からは放たれていた。




