16.『断末魔は粒子と共に』
♢
──翌朝。
薄い光がカーテンの隙間から差し込んでいた。 純也は天井を見上げたまま、しばらく動けずにいた。
身体が引き千切られたような感覚。自分が遠いところへ散らばり、また戻ってくる、あの無機質な過程。
死んだのはゲームのことの筈なのに、現実のこの体にまだ何かがまとわりついている気がする。
(寝て幾分マシになるかと思ったが……最悪な目覚めだ)
布団を払いのけるようにして起き上がる。顔を洗い、制服に袖を通す。いつもの動作なのに、指先の感覚がどこか鈍い。
鏡に映る自分の目は、いつもより少しだけ沈んで見えた。
まだ眠っていた弟妹を起こし、三人で食卓を囲む。昨日の残り物の肉じゃがを口へ運び、戸締りを瀬奈に任せて先に家を出る。
「行ってきます」
学校までの道を歩きながら、昨日のことを思い返す。
──あの男に殺されたこと。提示された条件、見知らぬ土地、形の定まらない影たち。そして巨大な口に飲み込まれた、数え切れないほどの死。あの後も諦めることなく何度も戦ったものの、攻略の糸口すら掴めずに敗走した。
現実の空気は乾いていて、朝の足音が規則正しく響いている。 あの場所の湿った鉄錆の匂いとは、まるで別世界だ。
(帰ったらゼッテーリベンジしてやる)
守るべきものも燃やすものも、全てを手に入れる。
あの理不尽を、ただの敗北で終わらせるつもりはなかった。
──それから小一時間が経ち、クラスではホームルームが始まった。
担任がいつものように連絡事項を伝える。生徒たちはそれなりに反応していたが、純也の意識はほとんどそこになかった。
机に額を預ける。 疲れた身体を癒すかのように瞳を閉じる。
しかし瞼の裏に浮かぶのは、黒い影の乾いた笑い声と、あの男の愉しげに歪んだ表情。
(なんっか、似てるんだよな)
関節の位置が狂っているような軌道。見るだけで胃の奥がざわつく、得体の知れない嫌悪。
あれはただのモンスターではない。あの男と同じ匂いがした。愉しみ、弄び、獲物を味わうような。
(聞きてーことが山ほどあるってのに、あの女ときたら……)
麗華の席は、今日も空いていた。 相変わらず姿がない。彼女が今何をしているのか、純也にはわからない。
ただ、契約は続いている。それだけは確かだった。
「話を聞いていない顔が二人ほど見えるな。おい、そこの二人」
「──ん?」
聞いている意識はなかったが、すぐに自分のことだとわかった。担任からの思わぬ言及にふと顔を上げる。
「ちょうどいい。お前ら二人、今度の体育祭のクラス委員な」
「え」
「これに懲りたら話は聞くんだな。この寝不足ボーイズ」
(なんの話だ?)
純也が話を聞いていないうちに、何が起こっていたのか。
担任はホームルーム開始直後から、約一ヶ月に行われる体育祭についての連絡事項を読み上げていた。種目の確認、日程や雨天時の対応、保護者観覧など。クラスの反応がいつものホームルームに比べそれなりに顕著だったのも、行事の知らせだったからである。
そこで担任が求めたのは、クラス委員という名の雑用係。しかしそんなものは誰もやりたがる筈もない。
どうしようかと迷っていた最中目に入ったのが、自身の話を聞いていない純也と、もう一人だった。
「じゃあよろしくな。山吹と──黒道」
指名と同時に、クラスが小さくどよめいた。誰かが「黒道くんがやるなら私が」と呟くのが聞こえた。純也の方には、特に何の声もかからなかった。
隣の男が弱く息を吐く。純也が横に目をやる。
隣の席だが、二人が会話を交わすことは今のところない。中性的で整った顔立ち。長い睫毛に、薄い唇。
(黒道ってコイツか。ヤクザみてーな名前)
クラスではかなり根強い人気があるらしく、女子の視線が自然と集まっていた。だが、本人はどこか一歩引いた空気を纏っている。必要以上に踏み込まず、ただそこに在るような距離感だ。
「……分かりました。頑張ります」
声は優しく、柔らかい。だがどこか力がない。
「よろしくね。山吹君」
「……おう」
優しく微笑むものの、どこかよそよそしい。しかし純也も、特に気にしなかった。
二人の会話はそれだけだった。
──放課後。
早速行われた委員の打ち合わせは、直人が迅速かつ要領よくまとめ、純也はほとんど相槌を打つだけだった。
(滅茶苦茶仕事できるタイプだな。バイト仲間に欲しい)
初めてまともに言葉を交わした相手なのに、妙に気疲れしない。
互いに深入りする気がないのだろう。
「それじゃあ、また何かあったら連絡するね」
「おう。ありがとな」
直人が弱く微笑んで言う。その笑顔は、クラスで見せるものより少しだけ小さかった。
(時間が縛られるかと思ったけど、これなら安心だ)
直人は別の方向へ歩いていく。純也はいつもの裏道を抜け、バイト先の『クロノス』へ向かっていた。
道中、頭の中は昨日のことで占領されていた。
『強者への反逆』『確固たる決意』そして、『断罪ノ刻』。
あれはただの隠し要素ではないのだろう。自分の内側を、システムか何かが読み取った。あの瞬間、あの男に恨み言を吐き捨てた瞬間が、条件を満たしたのだのだろうか。
(偶然にしろ何にしろ、絶対に重要なシナリオの筈だ)
守るための金。燃やすための戦い。どちらも手放さないと決めた。だが、欲しがるだけでは何も手に入らない。何かを手にするには熱意だけでなく、明確な力がいる。
「まずは──あの口だけ野郎をブッ殺す」
──そしてバイトを終え、自宅へ帰宅。
弟妹には新しく夕飯を作り、自分は残り物で適当に済ませる。その切り替えには無駄がなかった。
「お兄ちゃん、またそんなので済ますの?」
「あぁ。俺は強いから大丈夫だよ」
おにぎりと、セールで買った健康ゼリー。時間がない時の純也の即席飯である。
「じゃあ二人とも。俺は寝るから、ちゃんと早く寝るんだぞ」
「はーい! おやすみ!」
舜の元気な返事に安心し、部屋に入り一息つく。
電気の付いていない暗い部屋で、ふと宙を見つめる。
(次に戻るときは、あのシナリオをクリアする時だな)
長くログインする気は無かった。二人や店長の美琴に心配をかけるのは、純也も良しとはしない。
ヘッドセットを手に取り、敷きっぱなしの布団へ寝転がる。
「やってやるよ。今度こそな」
短く呟き、ログインする。
──視界が切り替わる。紫がかった瘴気。湿った鉄錆の匂い。亀裂だらけの荒れた大地。
『デスペナルティ・全ステータス減少』
ヤブキは深呼吸をした。制限されたステータス。消えた装備に、使えないスキル。所持金は相変わらずゼロだった。
しかし立ち止まっているわけにもいかない。拳を握り、一歩踏み出す。
「さぁ! どっからでもかかって──」
その瞬間、足元の地面が大きく沈んだ。
「ああああああああああああぁぁ……」
巨大な口が、大地から出現する。歯の一本一本が腕ほどある。ぬめりを帯びた黒い舌。
【エリアボス・潜醜美食魔】
「……ぁ」
短い音を発し、ヤブキは自然な流れで飲み込まれた。
上下の歯が胴体を捉える。骨が軋む。視界が赤く染まる。
粒子となって散っていく感覚の中で、ヤブキは虚空を睨んだ。
「そこは違うだろぉぉぉおあああああああああ………‼︎‼︎」
意識が落ちる直前まで叫び続けた。
ヤブキ、本日(現実時間では昨日の続きだが)××度目の死。




