15.『憤怒ナル起源』
第二章、始まります
──そこは静かだった。
崩れた石壁の隙間から、紫がかった空が覗いている。風も音もない、荒れた城の玉座の間。
そこにはかつての栄華など、毛ほども感じられなかった。
「……………………」
人がいる。仮面をつけている。血で染まった赤黒い仮面の奥で、虚な瞳がただ空を見つめている。
言葉を発することは終ぞない。動く気配すら、感じられない。
その身体の端々は、まるで長い時間をかけて少しずつ崩れていくように、静かに力を失っていた。
男はただ呆然と、どこか遠い場所を見ているような目をしていた。
「……………………」
それは長く待ち続けている者、あるいはすでに何かを失った者の、静かな絶望のようだった。
──ワールドクエスト第一節・『憤怒ナル起源』。
「……どこだここ」
ヤブキが目を覚ましたのは、見慣れない土地だった。
紫がかった瘴気が低く這うように大地を覆っている。空気は重く、湿った鉄錆のような匂いが鼻腔を刺す。荒れた大地は亀裂だらけで、黒い岩が鋭く突き出していた。一つ一つが巨大な獣の牙のようだ。
ただ足元の乾いた土がわずかに軋む音だけが、彼の耳に届く。
「……地獄?」
人どころかモンスターの一体すら見られない。自身が拠点としていた『スターティア』に、こんなエリアは見たことがない。
(最後のリスポーンポイントは宿屋のはずなんだが)
辺りを見回しながら、ゆっくりと上体を起こす。状況を必死に理解する。
自分は先ほどまで戦っていた。突如現れたプレイヤー ──キョウイチロウと。
自分にできることは全てやったつもりだった。短い期間ではあったものの、このゲームで学んだことを全て活かし、死力を尽くした。なのに、負けた。
視界がまだぼやけている。首の断面に残る冷たい感触、身体が二つに分かれた感覚。
——あれがゲーム内の死か。
「ま、二度とごめんだな。あんな体験は」
本当の死ではないとはいえ、独特で不快な感覚だった。まるで自分がどこか遠い存在になり、そして再び自分の中に戻ってくるような体験。
これ以上死なない為にはどうすればいいか。
「強くなるしかねぇな。もっと力を付けて──」
アイツとまた戦いたい。今度こそ、勝つ。
気持ちに整理がついた頃、ふと視線の端に半透明のパネルが浮かんでいることに気づく。自動的に展開されたステータス画面に、文字列が並ぶ。
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【★ステータス★】
【PN】ヤブキ
【LV】 30
【職業】傭兵
【HP】体力値 70
【MP】魔力値 7
【STR】筋力値 25
【STM】スタミナ値 10
【VIT】耐久値 20
【AGI】敏捷性 10
【LUC】幸運値 30
・所持スキルポイント 残り20
【★装備★】
【右手】なし
【左手】なし
【頭装備】なし
【胴装備】なし
【腰装備】なし
【足装備】なし
【アクセサリー】なし
【★所持金★】0ゴル
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【デスペナルティ:ステータス制限・所持金含むアイテムの消失】
「所持金は違うだろ所持金は‼︎」
思わず声が出る。
自分の見るに耐えないステータスに触れることなく、ヤブキの目には所持金の欄しか写っていない。
衣服も、靴さえ取り上げられ、初期装備の半ズボンのみという格好で、ヤブキは怒る。自分にはもう何も失うものなどないかのように。
「まッッッッじであのサイコ野郎だけはゼッテー殺す‼︎」
そして新たな文字列が、パネルに追加される。
別枠で赤い警告が表示されていた。
『現在エリア:暁の従地』『エリア特性:スキル使用不可』
「なーにがスキル使用不可だ‼︎ 金返せこのクソゲーが‼︎」
明らかに重要な一文。しかし、脳が認識する手前、怒りによって情報を放棄する。
彼の知能は一時的に小鬼族と遜色ないレベルまで低下していた。
──十分後。
聞くに耐えない恨み言を宙に浮いたパネルへと吐き捨て続け、ヤブキは落ち着きを取り戻す。
「……今日はこの辺にしといてやる」
諦め半分、疲労半分と言ったところだろうか。
しかしヤブキは思い出していた。死の淵のあの瞬間の機械音、そして提示された選択。
(あの時死んで、何かが起きたんだろう)
『断罪ノ刻』、そしてワールドクエスト『憤怒ナル起源』。自身の目指す『ワールドクリア』と、なんら関係が無いとは到底思えなかった。
「もしかして俺の上げた幸運値の影響か……?」
不確定な条件を達成し、見事自分の手でシナリオを発生させた。確かに幸運と呼ぶ他ないだろう。
──概要が全くの不明であることを除けば。
「やっぱクソゲーじゃねぇか! ……はぁ」
話すべきNPCも、戦うべきモンスターもいない。ヤブキに出来ることは、この得体の知れない大地をただ、歩いてみるだけだ。そう思い歩き始めようとした瞬間、地面が微かに震えた。
——ザラリ。
砂が動く音。ふと振り返ると、十数メートル先の岩陰から何かが這い出してきた。
「…………」
黒一色で、輪郭がぼやけている。人型に近いようで、四足歩行の獣にも見える。まるで濃い影が凝縮されたような存在で、手足の位置すら定まらず、時折溶け合うように形を変える。
唯一、中央に大きく裂けた口だけが異様に鮮明だった。頭上には『下級悪魔』の表示。
「ひゃっ、ひゃっ、ひゃ」
乾いた甲高い笑い声。
その瞬間、ヤブキの背筋を冷たいものが走った。キョウイチロウのあの恍惚とした笑顔と重なる。
狂気と愉悦が混じった、同じ匂いがした。恐怖がまだ完全には抜けきっていない。
(チッ。なんだコイツ)
武器を握っているようだが、それすらも黒い煙のように曖昧だ。動きは一定でない。時にゆっくりと、時に突然加速し、関節の位置が狂っているかのようにくねる。
普通のモンスターとは明らかに違う。言語化するのは難しいが、存在そのものが『おかしい』と思わせる、本能的な恐怖。視線を合わせると、胃のあたりがざわつくような得体の知れない嫌悪感が込み上げる。
(……やるしかねぇな)
恐怖を振り払い、拳を固める。
「来い。素敵笑顔」
黒い影が飛びかかってきた。半減したステータスでは反応が鈍いものの、間一髪でそれを躱す。刃らしいものが土を抉り、砂煙が上がる。
「ひゃ、ひゃっはぁ‼︎」
すぐに別の個体が左右から迫ってくる。同じ黒一色の、輪郭の定まらない悪魔。同じ笑い声。三体、四体と岩陰や亀裂から次々と湧き出してくる。
(動きが普通じゃねぇ。普通のモンスターとは根本が違う!)
斧のようなものが振り下ろされれば身を捻ってかわし、刀のようなものが薙いできたら一歩後ろへ下がる。攻撃を「受ける」のではなく「合わせる」。
相手の軌道を読んで最小限の動きで回避する、受動的な戦い方。万能さを活かしたヤブキの得意とする戦闘スタイルだが、疲れが溜まるほど、ますますその傾向が強くなる。
「……っ、がっ……!」
一本の刃が腹を浅く掠めた。すぐさま別の影が背後から迫り、ふくらはぎを斬りつける。足の力が抜け、膝が折れかけてしまう。
息が荒い。視界が揺れる。それはステータス減少の重みか、はたまた精神の不安定からくるものか。
避けても避けても数が増える。十体を超えたあたりで、もう正確な動きなどできない。ただ必死に相手の動きに自分の身体を合わせて、振り払うように戦っているだけだった。
(クッソ、出てくんな‼︎)
依然として、キョウイチロウの残像が頭の片隅でまだ笑っている。それを振り払うように拳を振り上げ、最も近い影の口元を殴りつける。歯が砕け、黒く粘る体液が飛び散った。だがすぐに別の個体が背後から迫り、刀でふくらはぎを斬りつける。
(まだだ)
──欲張りに生きると決めた。全部取る。金も、熱も、全部。もう死んでたまるか。
だが身体はもう限界に近い。足が鉛のように重い。息が肺を焼く。
——そのとき、足元が突然大きく沈んだ。
ヤブキの足元の地面が波打つように盛り上がり、巨大な裂け目が開く。
「ああああああああああああああああぁぁ……」
叫び声が地面を震わせる。
中から人の背丈を遥かに超える巨大な口が現れた。歯の一本一本が大人の腕ほどもある。舌は黒く、ぬめり、粘液を滴らせている。顔のない頭部だけが、まるで大地そのものから生えてきたように。
【エリアボス・潜醜美食魔】
「い、ッきなり、ボスのお出ましかよ‼︎」
ヤブキが飛び退こうとしたが遅く、巨大な口が身体を残さず飲み込んだ。
上下の歯が彼の胴体を捉える。骨が軋む感触。内臓が圧し潰される感触。衝撃が全身を貫き、視界が一気に赤く染まる。
——またかよ。
身体が噛み砕かれ、粒子となって散っていく感覚。ただ存在が引き裂かれていく無機質な過程だけがある。意識が遠ざかる中で、ヤブキは歯を食いしばったまま最後の思考を巡らせた。
(……ゼッテー、コイツも殺す)
世界が闇に落ちる。再び、死の感覚がすべてを飲み干した。
ヤブキ、本日二度目の死。
モンスターに殺されるのと、プレイヤーに殺されるのでは
デスペナルティは異なります。
プレイヤーにPKされた場合、通常の『ステータス半減』
に加え、『所持金を含む全アイテム』がPKしたプレイヤーへと譲渡されます。




