第5章:消えた1ヶ月の育休の行方
河川敷のBBQ会場は、もはや祝祭の場ではなかった。
拓也を囲む円は、奇妙なほど静まり返っていた。皆、先ほどまで見せられていた「偽りのイクメン」と、目の前の「無様な嘘つき」のギャップに呆然としている。
「おい、拓也……」
沈黙を破ったのは、幹事の健太だった。
その声は低く、しかし確かな怒りを孕んでいる。
「家で何もしてないってことは、お前が会社に頭を下げて、俺たちが『あいつなら家庭を大事にするはずだ』と応援して送り出した、あの『1ヶ月の育休』は何だったんだ? まさか、ただの休暇じゃあるまいな?」
その問いかけに、私はすかさず、とぼけた顔で一撃を加える。
「えっ、拓也さんが育休? 初耳です……。その期間、拓也さんは『急な出張』があると言って、ずっと家を空けていましたよ?」
私の言葉が、決定打となった。
健太の目が見開かれ、周囲の同僚たちが顔を見合わせる。
「出張」と「育休」。二つの言葉が結びついた瞬間、拓也の顔色は土気色に染まった。
「あ、いや、それは……その、仕事が立て込んでいて……」
しどろもどろになる拓也に対し、部長が静かに一歩、また一歩と距離を詰める。
その威圧感に、拓也は一歩ずつ後ずさるしかなかった。
「育休の申請理由には、『妻の産後の回復を助け、家事育児に専念する』と明記されていたはずだ。……佐藤君、君が毎日パチンコ屋の駐車場に止まっているのを、実は近隣の社員から目撃されていたぞ」
部長の声は冷徹だった。
会場にいた誰もが息を呑んだ。
パチンコ。育児放棄。嘘の出張。
それら全てが繋がった瞬間、拓也への軽蔑の視線が、物理的な圧力となって彼を押し潰そうとする。
「俺がどれだけ会社に頭を下げて育休の承認を取り付けたと思っている……! その期間、奥さんにワンオペを強いて、自分はパチンコだと!?」
健太が拓也の胸ぐらを掴もうとして、寸前で思いとどまった。
暴力ではなく、もっと残酷な「社会的抹殺」が待っていると悟ったからだ。
「お前、もういい。来週、総務に全部報告する。今の言い訳、会社でもう一度言ってみろ。……いや、そもそも、お前のような不誠実な人間に、今後重要な案件を任せることはない」
部長の言葉は、会社員としての拓也の死刑宣告に等しかった。
拓也は崩れ落ちるように地面に膝をついた。先ほどまでのドヤ顔はどこへやら、今はただの卑小な嘘つきとして、同僚たちの軽蔑を一心に浴びている。
私はその様子を、結衣を抱きながら少し離れた場所から眺めていた。
ようやく、本当にようやく、彼のメッキが剥がれ落ちた。
けれど、ここからが本当の始まりだ。
会社という居場所を失った彼は、帰る場所である家庭でも、もはや「夫」としての権利を失うことになるのだから。
私の視線に気づいた拓也が、すがるような目でこちらを見た。
しかし、私の中に慈悲はない。
この男が私と結衣にかけてきたストレスの重さを思えば、今の彼に降りかかる災厄など、まだ始まりに過ぎないのだから。




