第4章:絶体絶命のオムツ替えタイム
拓也の手から放たれたおむつパックが、レジャーシートの上に頼りなく着地した。
彼は額にうっすらと脂汗を浮かべ、まるで未知の兵器でも扱うかのように、おしり拭きのパッケージをガサガサと音を立ててこじ開けようとしている。
「ほら、さっさとやってよ。みんな見てるんだから」
奈津子の声には、さっきまでの「先輩の妻」としての余裕はなく、明らかに苛立ちと不信感が混じっていた。
周囲の社員たちも、拓也のあまりの手際の悪さに目を丸くしている。
「完璧なイクメン」という鎧が、物理的な拙さによって音を立てて剥がれ落ちていく。
拓也は結衣の足首を掴んだが、おむつのテープをどこから剥がせばいいのか分からないのか、結衣の皮膚を爪で引っ掛けてしまった。
結衣の甲高い泣き声が、河川敷に響き渡る。
「あ、痛っ! こら、動くなよ! なんで泣くんだよ!」
拓也の怒鳴り声が聞こえた瞬間、周囲の空気が完全に冷え切った。
健太が眉間に深い皺を寄せ、部長もまた、その光景を厳しい眼差しで見つめている。
拓也はパニックになり、おしり拭きを何枚も無駄に出し、結局肝心な汚れを全く拭き取れないまま、新品のおむつを逆さまに履かせようとしていた。
「違う、そこじゃない……」
限界だった。
私はため息をつき、静かに歩み寄った。
泣き叫ぶ結衣を抱きかかえ、拓也の手からおむつを奪い取る。
数秒の動作だった。
足を持ち上げ、サッと汚れを拭き取り、清潔なおむつを装着し、肌着を整える。
結衣は私の腕の中で、安心したように泣き止んだ。
完璧な手際。
先ほどまでの「何もできない妻」という主張が、完全に虚偽であることが誰の目にも明らかになった。
「あら、拓也さん? 奥さんが家事も育児もしてくれないって、会社でそう吹聴してませんでしたっけ?」
私はあえて穏やかな笑みを浮かべ、全員に聞こえるトーンで問いかけた。
「全然やり方、分かってないじゃないですか。……もしかして、今まで一度も結衣ちゃんのおむつを替えたことがないんじゃありませんか?」
会場の空気が張り詰める。
拓也は顔を真っ赤にし、弁解しようと口を開いたが、適切な言葉が出てこない。
「い、いや、これは……久々で、その……」
「久々? 毎日家事と育児をこなしているはずの『イクメン』が、我が子の肌に触れるおむつの履かせ方を忘れるなんてこと、あるんですか?」
追い打ちをかけるように私が問い詰めると、奈津子が冷ややかに笑った。
「そうね。毎日やっていれば、体が勝手に動くはずだわ。拓也君、あなた会社で言ってたわよね。奥さんが育児放棄しているから、全部俺がやってるって」
健太が拓也の肩を強く掴んだ。
その瞳には、後輩への失望と、幹事として裏切られたことへの憤怒が渦巻いている。
「拓也、ちょっと話がある。……お前、俺たちに何を隠してるんだ? 今日のBBQ、お前が『妻は何もできないから俺が連れてくる。そこで妻の不甲斐なさをみんなに見せつけて、妻に自覚を促したい』なんて言ったから、俺たちはわざわざこうして集まったんだぞ」
健太の口から、拓也の悪意ある計画が公の場でバラされた。
周囲の同僚たちが、一斉に拓也を白い目で見る。
「えっ、何それ。そんな理由で休日に呼び出されたの?」
「最低じゃないか……」
拓也を囲む輪が、じりじりと広がっていく。
さっきまで彼をチヤホヤしていた社員たちは、今や彼を「嘘つき」として軽蔑している。
しかし、部長が静かに一歩前へ出たことで、事態はさらに深刻な方向へ動き出した。
「拓也君。君の嘘は、今この場で見せてもらった。……だがな、これは単なる夫婦の問題では済まされんぞ」
部長の言葉に、拓也は全身を強張らせる。
「育児のために会社が特別に承認した『1ヶ月の育休』。君は、その期間、本当に育児に専念していたのか? 今の君の手際……到底、毎日育児をしてきた人間とは思えんのだがな」
部下の不正を何よりも嫌う部長の目が、獲物を逃がさない猛禽類のように拓也を射抜いた。
次なる展開は、拓也という男の人生を決定的に破滅させるものになる。
私は、結衣の頭を優しく撫でながら、彼が自ら崩壊していく様を、ただ静かに見つめていた。




