第3章:イクメンのメッキが剥がれる瞬間
私が拓也に向かって歩き出すと、奈津子は勝ち誇ったように鼻で笑い、私の背中を追いかけてきた。
彼女の頭の中では、私が拓也に「もっと家事をして」と泣きつく滑稽な光景がすでに完成しているのだろう。
「拓也さん」
私は、周囲の同僚たちの視線が集まる中で、あえて優しく微笑みかけた。
「さっき奈津子さんが、あなたが会社で『育児と家事を一手に引き受けている』と話しているって教えてくれたわ。そんなに頑張らせていたなんて、私、全然気づかなくて」
その言葉を聞いた拓也は、一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに「妻が反省して媚びてきた」と勘違いしたらしい。
周囲の手前、いい夫を演じなければならないという使命感が、彼の顔に張り付いた。
「ああ、まあな。……お前も、たまには大変さを分かってくれたならいいんだよ。俺も仕事との両立は楽じゃないからさ」
その時だった。
幹事の健太が、タープの裏から真っ青な顔で飛び出してきた。
「おい、拓也! お前の娘さん、さっきから泣き止まないぞ! おむつが汚れてるんじゃないか? 臭いぞ!」
健太の言葉に、周囲がどよめく。
赤ちゃん連れのBBQ、誰もが「イクメンの拓也が完璧にケアするはずだ」と思っている。
拓也は一瞬、ギクリと体を強張らせた。
オムツ替えなんて、過去に数回しかやったことがないのだ。
しかも、その数回ですら「おしりを拭く」という単純作業すら満足にこなせない男だ。
拓也は慌てて私の方を向くと、声を潜めて押し付けてきた。
「おい、お前……! 今、俺が手が離せないの見て分からないのか? 早くやってやれよ!」
私はあえてその場に立ち止まり、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、しかし周囲にも届くようにハッキリと言った。
「えっ、私は何もしてないダメ妻なんでしょ? 結衣ちゃんが泣いてるのは、私がダメだからじゃないですか。そんな私が触ったら、また結衣ちゃんが泣き止まなくなるわ」
私は肩をすくめ、あえて奈津子の方を向いて続けた。
「いつも『俺一人で完璧に育児してる』って豪語している、手際の良い拓也さんにこそ、ここは任せるべきですよね? みんなも期待してるみたいですし」
その瞬間、拓也の顔から血の気が引くのが分かった。
健太や奈津子を含む、十数人の同僚たちの視線が、一斉に「完璧なイクメン」に注がれる。
「……拓也君、やるんでしょ? ほら、結衣ちゃんが待ってるわよ」
奈津子の声には、もはや疑念の色が混じり始めていた。
逃げ場はない。
拓也は引きつった笑顔を浮かべたまま、差し出されたおむつ袋を、まるで爆弾でも扱うかのように受け取った。
「な、……当たり前だろ。俺に任せろよ」
そう言って結衣を抱き上げようとする拓也の姿を、私は冷ややかに見つめる。
さあ、見せてあげる。
あなたが会社で吹聴してきた「完璧なイクメン」の実態を。
大勢の社員の前で、果たして彼は「おむつの替え方」すら知っているのかしら?




