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S.O.S!  作者: 如月 望深
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グッバイ サマー 1

 ───英知くん。


 いつも、探していた。その声を。


 なぜ、その声が聞こえないのかと、なぜ俺の前には現れてくれないのかと、そればかりを考えていた。

 もう彼女はいないのだと。俺に会わないつもりだったのだと、自分を納得させるには時間が掛かった。

 彼女を想い続けることが、弔いだと思っていた。他の誰かに心を奪われることに罪悪感を抱いたりもした。ここにいない彼女に、今でも問いかける。


 ───直緒。俺は、君のいない人生を、他の誰かと生きてもいいのだろうか?



 きっかけなど、もう忘れてしまった。中学三年生になって同じクラスになって、何となくウマが合って、何となく一緒にいることが多くなって、一緒に帰ることが増えて、クラスメイトたちから付き合っているんだろうなんて言われて、その気になった。

 好きだという想いは告げたし、直緒も言ってくれたけれど、今思えば、「付き合おう」という言葉を交わした覚えはない。それでも、一緒に下校したり寄り道したり、図書館で勉強したり、休みの日にはデートしたりと、中学生らしい健全な付き合いは楽しかった。

 そんなある日、学校で直緒が倒れた。教室にいた俺を女子が呼びに来て、駆け付けた廊下で直緒が青い顔をして倒れていた。彼女を抱き上げて保健室へ連れて行くと、養護教諭が慌てて救急車を呼んだ。それで彼女の病状が深刻なのだと知った。

 もともと心臓が弱いことは知っていた。激しい運動は禁じられていると体育の授業は見学していたし、デートの時も心臓に負担がかかるような遊園地の乗り物などは避けた。だけど、彼女自身は快活で明るかったから、それほど深刻なものだとは思っていなかった。

 でも、それから彼女の病状は、坂を転げるように悪くなっていった。6月半ば過ぎから入退院を繰り返すようになり、夏休みになると入院生活に入った。毎日のように見舞いに行き、直緒は嬉しそうに迎えてくれたから、その時はまだ幸せな時間ではあった。

 ある日、俺を呼びとめた直緒の母親は、俺を入院病棟の人気のないロビーに誘い、コーラを買ってくれた。そこに座って飲みましょうと彼女は俺に席を勧め、並んで座った。

「英知くんは、直緒と付き合っているのよね?」

「はい」

 直緒の母親の表情は優しかったから、責められたりするわけではないと思ったが、さすがに緊張した。

「あの子の病気のことは、知ってる?」

「はい。心臓の病気だと聞いています」

 それは入退院を繰り返すようになった直緒から聞いたのだった。自分の脆弱な心臓が耐え切れなくなる前にと彼女が初めてを求めたあの時に。

「これは、あの子も知らないことだけど……」

 そこまで言って、直緒の母親は、言葉に詰まったように自分用に買ったコーヒーに目を落とした。彼女は、まだ一度もコーヒーに口を付けていなかった。

「───もう、それほど長くないだろうって」

 その言葉の意味を理解するのに、どれほどの時間を要したのか、覚えていない。

「お医者様が、もうこの夏は越せないだろうって…」

 彼女の体が弱っていることはわかっていたし、命の灯がそれほど強くないことも薄々感づいていた。だけど、彼女の命が尽きるのが、それほど近いことだとは思っていなかった。

「英知くん、直緒と別れてもいいのよ」

「…え?」

 何を言っているのかわからなかった。

「あなたはまだ若いわ。そういう別れを経験する前に、別れたっていいのよ」

 それが彼女の優しさから出た言葉なのだと理解するのに、たっぷり十秒は掛かって、それから、自分の覚悟を口にした。

「別れるつもりは、ありません。最期まで、側にいさせてください」

 

 それからも、俺は直緒の見舞いを続けた。時々差し入れにプリンを買って行ったりして。病院の売店に売っているプリンを直緒は喜び、「英知くんは、私を太らせるつもりなの?」と怒ってみせたりもした。プリンを食べる彼女は幸せそうで、そんなことで太ってくれるなら、いくらでも買ってこようと思った。そう思うくらい、彼女の体は細くなり、衰弱していることが見て取れた。

 それでも、直緒の側を離れようとは思わなかった。最期まで側にいることが自分にできることだと思っていた。

 直緒の病状は、一歩進み、時々立ち止まり、という状況だった。進行した時には会えない日もあった。足踏みした日は、今日は調子がいいと直緒は外に出たがった。そういう時には、直緒を連れて病院の庭を散歩した。

 そして、8月のある日。直緒は満面の笑みを浮かべて言った。

「今日は、すごく調子がいいの。外に出たいわ」

 その日は、付き合い始めた頃、彼女が行きたいと言っていた花火大会の日だった。

「花火大会に行こう、直緒」

 俺の言葉に、直緒は本当に嬉しそうに笑った。

 俺たちは、直緒の両親と主治医に頼んで、花火大会に行かせてもらうことにした。その頼みに、主治医は一瞬渋い顔をしたが、直緒の母親が一緒に頼んでくれると、花火大会前後の7時から8時までの一時間だけ外出許可をくれた。

 一度家に帰り、病院に直緒を迎えに行くと、直緒は浴衣姿だった。「綺麗だ」と呟いた俺に、直緒ははにかんで「お母さんが着つけてくれたの」と言った。

 直緒になるべく負担をかけないように、花火大会のある神社までは直緒の母親が車で送ってくれた。よろしく頼むわね、と送り出してくれた直緒の母親に頭を下げて、俺は直緒と神社に入った。

 直緒は夜店にはしゃぎ、こちらがハラハラするほど元気だった。

「英知くん、こっち」

 と、花火大会が始まる少し前に直緒は神社の脇道へ入って行った。上り坂と階段に直緒の心臓を心配したが、彼女の足取りは確かだった。着いた場所は、花火会場を眼下に見る丘の上だった。柵に並んで待っていると、花火が上がり、目の前に大きな花が広がった。「こんな場所、どうやって見つけたの?」と感心すると、直緒は「秘密」と笑った。

 手を繋いで花火を見て、念願の花火大会に感動する直緒にキスをした。──それが、最後のキスだった。

 翌日、直緒は体調を崩し、悪化した容体は治らないまま、二日後に亡くなった。

「…英知くん、ありがとう」

 直緒の両親とともに看取った俺に、彼女はそう言った。だけど俺は、彼女の容体が悪くなったのは、自分のせいなのだろうと思った。花火大会で直緒は元気すぎるくらいだった。きっと無理をしていたのだ。もしかしたら、調子がいいと言っていたあれさえ、嘘だったのかもしれない。花火大会に行きたいための。

 あんなこと、言わなければよかったと後悔した。花火大会に行こうなんて。彼女の命を縮めただけだ。

「すみません、俺が、あんなことを言い出さなければ……。申し訳ありません」

 頭を下げた俺に、直緒の両親は怒らなかった。「君のせいじゃないよ、英知くん」と直緒の父親が俺の頭を上げさせる。「いいのよ、英知くん。あの子は、幸せだったと思うわ。ありがとうね、英知くん」と直緒の母親は微笑んでさえくれた。

 それでも申し訳なくて、直緒には謝りたくて、彼女の想いを聞きたくて、彼女が息を引き取った直後も、通夜も葬儀の間も、ずっと彼女の姿を探した。けれど彼女は見つからなかった。

 何となく感じる気配の中から、意識をすれば姿と声を認知できる程度だった力を、意識しなくても声が聞こえるほどに拡大しても、彼女の声が聞こえることはなかった。今では逆に意識しなければ耳を塞げなくなった力を持っても、彼女の声も姿も感じることができない。


 ───ああ、彼女は、もうこの世にいないのだ。

2012年初出。

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