幾千の花 3
エリオット・ニコルソンは、イギリス生まれの23歳。現在はアメリカで芸能活動をしている若手人気俳優だ。映画『Love Phantom』の悪魔役で注目され、その後、『恋に効く10の呪文』などのラブコメディに何本か主演し、いくつかの映画の準主役級の役も演じている。今回、日本公開を控えた映画は、エリオット初のミステリーだ。彼の役どころは、主人公である探偵バッカス。時は19世紀末のイギリス。不気味な噂のある大富豪の未亡人からの依頼で、摩訶不思議な事件に巻き込まれて行く。日本では、ゴシックミステリーと銘打って宣伝されている。
そんな説明をテレビだか雑誌だかで見たような。映画の宣伝も兼ねて、日本のテレビ番組にも多く出演している。空港には出迎えのファンが詰めかけたのだとか。
そんな大スターが、なぜ目の前に。
英知は、テーブルを挟んだ席に座った金髪の男を見遣る。青い瞳はサングラスに隠れて見えないが、英知に向かって二コリと微笑んだのがわかる。
「はじめまして、エーチ。ぼくはエリオット・ニコルソンといいます。エルと呼んでください」
しかも、めちゃくちゃ流暢な日本語で自己紹介している。
「…日本語お上手ですね」
「ハイ。勉強しました。ぼく、日本大好きですから」
「そうなんですか」
そういえば、テレビ番組で流暢な日本語を披露して喜ばれていたような。
「でね、エルを花火大会に連れて行ってあげてほしいのよ」
彼の隣に座った女性が英知に言う。
「セレナちゃん…」
困惑気味に名を呼ぶ英知に、エリオット同様にサングラスを掛けた彼女が微笑む。どう考えても一般人とは異質なオーラを放つ彼らが揃ってサングラスをしているのは、むしろ悪目立ちだと英知は思うが口にはしなかった。
「本当は私が連れて行ってあげればいいんだけど、これから仕事なのよ」
エリオットが主演した映画の日本版の主題歌をセレナが歌うことが縁で、彼らは知り合い、意気投合して、エリオットのオフにセレナが日本を案内したのだという。だが、エリオットが行きたがっている花火大会には、セレナは仕事の都合で行けない。そこで、英知を呼び出して頼んでいるというわけだ。
「あのね、俺にも都合ってものが…」
「仕事が終わったら私も合流するから。ね、それまでお願い」
「エーチ。お願いします。ぼくは、どうしても日本の花火が見たい」
美形二人に揃ってお願いされて、英知は溜息を零す。何なんだ、この断りにくさは。まるで震える捨て仔犬を見て見ぬふりするくらいの罪悪感だ。
セレナがこそりと英知にエリオットの事情を耳打ちする。その説明に英知は合点がいった。だから、彼女は自分に彼を託そうとしたのだ。花火大会を見るだけなら、ちゃんと護衛を付けて事務所の人間と行けばいいはずだ。それを、わざわざ英知に頼んだのは、そういう訳だったのだ。
事情を聞いたことを英知は後悔した。聞かなければ、こちらにだって都合があるのだと突っぱねることもできただろう。だが、彼の切実な顔を見てしまえば、突き放すことはできなくなってしまった。
「……わかりました。でも、こっちにも都合があるので、それは承知してください」
「オーケー。エーチ、ありがとう」
嬉しそうに笑うエリオットは、よく懐いた大型犬のようで、いつか見た映画の悪魔とは似ても似つかない。やっぱり俳優なんだな、などと、どうでもいいことを英知は考えた。
「How beautiful! Marvellous!!」
彼の口から飛び出る賞賛の言葉に、英知は、彼を連れて来たことを深く後悔した。
「これがユカタだね。素晴らしいよ。日本女性は何て美しいんだ」
夜にサングラスはむしろ目立つという理由でサングラスを眼鏡に替えたエリオットは、その美貌を惜しげもなく晒し、そのうえ外国人らしい素直さで目の前の浴衣姿の少女を褒め称えた。
居心地悪そうにしながらも頬を赤く染めた凪は、困ったように英知を見た。
「あー…、ごめん、佐原さん。諸事情で彼も一緒ってことになっちゃって」
「あの、どういう知り合い?」
「セレナちゃんの友達で、どうしても花火が見たいんだって」
仕事のためセレナは後から来る旨を英知は説明する。「どこかで見たことある気がするんだけど」と首を傾げる凪に、エリオットは日本語で自己紹介してみせ、さらに凪を驚かせた。
エリオット・ニコルソン…そりゃ見たことあるわけだ、と凪は納得する。そして、とんでもない人と一緒に花火を見る羽目になってしまったと思った。英知と二人で花火を見に行くことを楽しみにもしていたので、突然三人になって落胆はしたものの、英知の人の好さが招いた事態に怒ることはなかった。
エリオットは明るい青年で、物珍しげに夜店を見て回っていた。時折、エリオットがわからない顔をしていると、英知が説明し、それでもわからないと英語で同じ説明を繰り返す。エリオットは目を輝かせて日本の文化を学んでいた。三人で回る夜店は意外にも楽しく、エリオットとの会話も弾んだ。
「エリオットさんは、インタビューで花火が見たいって言ってましたよね。アメリカにも花火はあるのに、どうしてですか?」
ノー、ナギ、エルと呼んでください、と前置きしてから、エリオットは答える。
「花火は、アメリカにもイギリスにもあります。ニューイヤーなどのイベントでは派手に上がります。でも、日本の花火はもっとキレイだって言った人がいるんです」
確かに、日本の花火は欧米の花火とは違うという。それは文化や伝統に依るものだとか、花火玉の形に依るものだとも言われている。
「日本の花火は、色とりどりの花が空に咲くようだって。ぼくにも見せてあげたいって、ぼくの恋人だった人が」
色を変えながら夜空に丸く咲く花火は、日本独特のものだと彼女は言った。そんな花火は見たことがないと言ったエリオットに、彼女は「あなたにも見せてあげたい。感動して泣くわよ」と笑った。
「いつか見に行くって約束したんです」
それは、エリオットがまだ無名の頃。駆け出しの俳優だった彼と、ミュージカル女優を目指して日本から渡米してきた彼女は意気投合し、惹かれ合い、恋人になった。彼女から日本語を教わり、いつか日本に行くことを夢見ていた。
「でも彼女は、ぼくを置いていなくなってしまった」
一方的な別れ話の後、突然姿を消した恋人を、エリオットは必死で探した。そして、彼女の友人から、彼女が日本に帰ったことを知らされた。なぜ、どうして、と嘆く彼を見かねたように、彼女の友人は教えてくれた。「これは、本当は言うなって言われていたんだけど。彼女、病気らしいの。もう舞台には立てない。あなたと一緒にいても、あなたの足を引っ張ってしまうって。それで、あなたと別れて日本に帰るって決めたのよ」
結局彼女と連絡は取れないままだった。駆け出し俳優の彼に、日本までの旅費は高すぎた。探すあてもなかった。
そうして、月日が過ぎ、やがて彼に彼女が亡くなったと報せが入った。彼女の家族から、アメリカの友人に連絡があり、それを彼女の病気を教えてくれた友人がエリオットにも教えてくれたのだ。
それが、『Love Phantom』の撮影に入る直前のこと。彼はもう日本に渡る旅費を工面できるほど収入があったけれど、彼女が日本のどこに住んでいたかも知らなかった。家族の連絡先も、家も知らない。お墓の場所もわからない。
「だからせめて、彼女がぼくに見せたかった花火が見たい」
エリオットは、自分から日本に行くことはなかった。ただ、映画のキャンペーンで日本に行くことが決まった時、運命だと思った。彼女が自分を日本に呼んでいるのだと。彼女は、日本で花火が最もよく見られるのは夏だと言っていた。夏の花火大会は本当に感動するほど美しいと自慢げに話していた。
三人の間に沈黙が落ちる。周りのざわざわとした喧騒だけが聞こえて、凪は隣の英知に視線を向ける。きっと、この人は事情を知っているのだろう。
「エル、彼女に会いたい?」
英知の問いに、エリオットは軽く目を瞠った。




