ワンモアチャンス 2
その日、部活が休みだった凪は、友人の千早たちと放課後どこかへ行こうと話をしていた。教室を出たその時、携帯電話が鳴って、凪は液晶画面を確認する。そこに映された名前は、中学時代の同級生の櫂だった。珍しい、と思いながら凪は通話ボタンを押す。彼は凪よりも千早と仲が良く、仲間内で何かがあるなら、まず千早に連絡が来るはずなのだ。
「もしもし、櫂くん、どうしたの?」
「……佐原、玖珂と仲良かったよな?」
「え、うん…?」
唐突に挙がった名前は、高校進学と同時に親の離婚で引っ越してしまった中学時代のクラスメイトだった。
「今日、玖珂のお母さんから電話があって、……玖珂が、亡くなったって」
「───え……?」
死因は事故だったこと、急なことで玖珂の母親も動転していて、櫂たち中学時代の友達に連絡するのが、葬儀が終わってからになってしまったことなどを櫂が電話の向こうで話しているが、凪の耳には遠く聞こえた。
落としそうになる携帯を握り締めて、凪はかろうじて櫂の言葉に相槌を打つ。そして電話を切ると、千早にその電話の内容を伝えてから、電話を掛けた。
「もしもし、佐原さん?」
柔らかな、少し低い声が耳に流れ込むと、凪の涙腺は緩くなりそうだった。
「桜沢さん、会いたいの、今すぐ!」
「…どうしたの?」
凪の涙声に気付いたのだろう、英知が心配そうに尋ねた。涙をこらえるために奥歯を食いしばる凪は答えられず、英知が言葉を重ねる。
「今、どこにいるの? 学校? 迎えに行こうか?」
結局、大学の授業が終わったところだった英知が、その足で凪のところに寄ってくれることになり、凪は友人たちとの約束をキャンセルして、高校近くの公園で英知を待った。
どうしてあの時、気付かなかったんだろう?
どうしてもっと早く、判ってあげられなかったんだろう?
ベンチに座って俯いていた凪は、そればかりを考えていた。だから、英知が来たことにも、「佐原さん」と肩に手を置かれるまで気付かなかった。
ハッと顔を上げた凪は、自分を心配気に気下ろす英知の目を見つめた。
「……桜沢さん、玖珂くんは、どこ?」
「玖珂くん?」
感情を悟らせない英知の表情を、その瞳の奥まで見逃すまいと凪は涙をこらえて目を凝らす。
「この間、私が見えるって言った時、桜沢さんが知らないふりをした男の子。桜沢さんに何か話しかけてたでしょ。中学の時の同級生なの」
英知の表情は、他の人が見れば何も変わらなかっただろう。だが、凪には、一瞬その目の奥で揺れる感情が見て取れた。
この人は、玖珂くんを知っている。そう確信した。それが、玖珂だとは知らなかったとしても、彼と会っているはずだ。
「彼は何て言ってた? 私に会いに来てくれたんでしょ? まだ近くにいる? 桜沢さん、本当は、彼が見えてたんでしょ?」
あれから、玖珂の姿は見えない。それどころか、時折は見えていた声なき“あちら”の人たちも、ここ最近凪には見えていない。おそらくは、あの時英知が何かをしたのだろうと凪は、今となっては思う。
「彼は、クラスメイトだったの。そりゃ、中学の時と雰囲気が変わってて、気付かなかったんだけど…。彼は悪い人じゃない。危害を加えたりしないから…」
凪は、英知が自分から玖珂を遠ざけるのは、凪が相手を知らなくて、危害を加えるような相手だったら困ると思ってのことだと考えているようだった。
中学の時の玖珂は、黒ぶち眼鏡に短い黒髪の、それほど目立つ男の子ではなかった。先日凪の前に現れたのは、くるくるとした少し長めの茶髪をお洒落にセットして、眼鏡を掛けていない、どちらかと言えば目立つ男の子だったから、中学の時のイメージと一致しなかったのだ。だが、思えば、見覚えがあるのも当然で、眼鏡越しに見ていた眼は、今でも真っ直ぐ自分を見ていた。
「今日、中学の時のクラスメイトに、玖珂くんのお母さんから連絡があって、玖珂くんが亡くなったって聞いたの。…玖珂くん、きっと亡くなってすぐに私に会いに来てくれたのに、私、気付いてあげられなくて……もう、お葬式も終わっちゃったって。だから、せめて、話くらい聞いてあげなきゃ。玖珂くん、私に何か言いたかったのよ」
「佐原さん、落ち着いて」
ベンチの隣に座って、凪を落ち着かせるように声を掛けた英知に、凪はすがるように眼を向ける。
「お願い、桜沢さん、玖珂くんに会わせて」
「───それは、できない」
玖珂自身からの頼みを断った時よりは幾分かためらいを含んでいたが、英知は凪の願いも断った。
「どうして? 玖珂くん、もういないの? 私が気付かなかったから、怒ってどこか行っちゃった? それとも、もう私に話すことはないって?」
「そうじゃない、佐原さん…」
「じゃあ、何で!? どうして会わせてくれないの?」
目に涙を溜めた凪が真剣なのは、英知にもわかる。彼女は、彼が残そうとした想いを汲みとろうと必死なのだ。それが彼女の優しさであり、心配なところでもある。
「桜沢さん、いつもお人好しなくらい、そういうの手助けしてたじゃない。なのに、どうして私には、してくれないの?」
「…佐原さんだから、だよ」
英知は凪の頭を撫でる。その仕種や表情や声音で、英知の言葉が意地悪な意味合いを持っているわけではないことがわかる。
「私…だから?」
英知は頷いて微笑む。
「正直、俺はそれほどお人好しじゃないから、他人が死者と会うことで辛い思いをしたとしても、それは彼らが望んだことで、だから、彼らが自分の責任で、自分で乗り越えるべきことだと思う」
英知はそういう人たちに手を貸しながら、どこか一線引いて、彼らを見守ることに徹してきた。場合によっては口を挟むこともあるが、決定権を持つのは、あくまでも彼らだ。
けれど、その対象が凪となれば話は違う。凪は、英知が傍観できるほどの位置にはもういない。彼女は、自分に近すぎるのだ。
「だけど、佐原さんのことは、そうは思えない。俺が手を貸して、佐原さんが辛い思いをするのがわかってるのに、そんなこと、できない」
この子の優しさに甘えている自分だからこそ、わかる。この子はその優しさでもって、彼の想いを受け取ろうとするだろう。それが、辛いことだとわかっていながら。
「───彼が何を言おうとしてたのか、薄々は気付いてるよね?」
凪は沈黙して、ややあってから、頷いた。
「それでも、玖珂くんが私にそれを伝えたいなら、聞かなくちゃ」
彼の身に起きたことは悲しいことで、それと向き合うことは辛いことだけど、今の自分にできるのは、彼の残そうとした言葉を、聞くことだ。
それに対して、何もできない自分が歯がゆくて、自分の無力さに泣けてしまうかもしれないけれど。彼が、会いに来てくれたことに応えることは、生きている自分の、一種の使命のようなものだと思う。
「……聞いて、どうするの?」
「───ずっと抱えて生きていく」
凪の真摯な眼差しに、英知は眩しそうに目を細めた。
……ああ、自分に足りなかったのは、この強さなのかもしれない。
あの時、自分にこの強さがあったなら、直緒は、姿を見せてくれたのかもしれない。




