ワンモアチャンス 3
凪の前に姿を現した玖珂は、やはり数日前に凪が見たあの少年だった。中学の時とは印象が異なるが、やはり、真っ直ぐな瞳は変わらぬままだ。
「凪…」
「久しぶりだね、玖珂くん」
にこりと凪は微笑んで見せた。
本当は、こんな形で会いたくはなかった。だけど、会えたら笑顔でいようと決めた。櫂から報せを聞いた時、泣きそうになった。だけど、今まで見て来た死者に相対する人たちが、必死に笑顔でいたように、自分も笑顔でいたいと思った。玖珂が自分に会いたいと思ってくれた。それならば、最後に彼に見せるのは、笑顔でありたかった。
「中学の卒業式以来だな」
「そうだね」
あの時、玖珂は既に親の離婚に伴って、母と一緒に母の故郷へ引っ越すことが決まっていた。高校もそちらの学校に合格していたし、クラスメイト達も彼が東京を離れることを知っていた。
離れても連絡し合おうと言い合ったのに、お互いの新生活に忙しくて、連絡は次第に少なくなっていった。異性同士だったということもあるかもしれない。櫂は時折連絡を取り合っていたようだが、凪は最近はほとんどメールなどもしていなかった。
「…言っておくけど、俺のコレは反抗期でも不良になったとかでもなく、単に色気づいただけだからな」
と、自分を指して玖珂が言うので、凪は噴き出した。中学の頃と変わらない物言いは、凪を安心させた。
「自分で色気づいたって…せめてお洒落だって言いなよ」
玖珂は自分が両親の離婚で傷ついてひねくれてしまったと思われるのは嫌だったのだろう。実際、彼はそんな風にひねくれたわけではなく、言葉どおり、年頃の少年らしくお洒落しただけなのだろう。
「中学の頃は、ちょっと荒れたりもしたけど」
クラスメイトだった頃の玖珂は、両親の不仲に悩み、ふてくされていた時期もあったようだが、彼は自分自身でそれを乗り越えたのだと凪は思っていた。
「凪のお陰で、道を踏み外さないで済んだと思ってる」
「私…?」
「みんなちょっと、俺に気ィ遣ってただろ。何となく両親のことわかってたっていうか」
子どもというのは敏感なもので、親の噂話などから、何となく状況を察してしまうものだ。凪たちクラスメイトも、親や教師たち大人の雰囲気から、玖珂のことを腫れものに触れるように扱っていた。
「けど、凪だけは、平然と俺のこと注意したり、叱り飛ばしたり」
「…それって、空気読めてなかったってこと?」
「違うよ。俺は、特別扱いされないのが嬉しかった」
それから、両親は不仲に見切りをつけて離婚を決意し、そのことで玖珂自身も踏ん切りがついたところがある。
母方について行くことになった玖珂は、親の身勝手に振りまわされることに憤りも感じたが、自分が母を支えて行かねばという使命感もあった。
「本当は、卒業式で、言おうと思ってたんだ」
感謝していること、そして、自分の気持ちを。
「でも、凪が俺のこと友達以上には思ってないことはわかってたし、離れたら、振り向かせるとか無理だなーって思っちゃって」
だから、あの時、あんなことを言った。
『凪、お前は、サイコーの友達だ』と。
「それでも、せめてもと思って第二ボタン渡したのに、『友情の証しだ』っていう言葉を真に受けるし」
「…ごめん、空気読めなくて」
「いや、ちゃんと言わなかった俺が悪い」
凪は友情の証として渡された第二ボタンをありがたく受け取って、玖珂のその行動の裏の意味を考えてもいなかった。
「だから、最後にちゃんと言う」
真っ直ぐに凪を見つめた玖珂に、凪は真剣に向き合う。
「凪が好きだ」
鼻の奥のほうからこみ上げてくる熱い痛みを、凪は奥歯を噛んで堪え、小さく頷いた。
「さっき、俺の気持ちをずっと抱えて生きていくって言ってくれたけど、そんなこと、しなくてもいい。ただ、俺が凪を好きだったこと、辛い時とか、時々思い出してくれれば、それでいい」
「……ありがとう」
俯きかけていた顔を上げて、凪は微笑んだ。昔と変わらずに、芯の強さを感じさせる凪の笑顔は、玖珂の顔にも笑顔を蘇らせた。
「最後に、凪に会えてよかった。言えてよかった。母さんには、ちゃんと言えなかったから」
玖珂の死は事故だ。何も言わずに母を残してきてしまった。両親が離婚してから、母親の実家近くに引っ越したとはいえ、母一人子一人だったというのに。
「事故に遭った日、家を出る時、母親と口ゲンカして、そのままだったんだ。本当は、あんなことを言いたかったんじゃない。言えるなら、感謝の言葉とか、伝えたかった」
だけど、今となってはそれも叶わない。
せめて、感謝の言葉を伝える手紙でも残せれば良かったが、突然の事故ではそんなものを用意しているはずもない。
「…玖珂くん、いいの、このままで?」
「しょうがない。母さんには俺が見えないんだから」
死んだあと、無意識に凪のもとに来たものの、凪には自分の姿が見えなくなって、その間、母親のところに行ってみたりもした。だが、母には自分の姿は見えず、嘆き悲しむ母親を見ていられずに、再び凪のところへ戻ってきたのだ。
「でも、お母さん、きっと悲しんでるよ。ケンカしたこと、お母さんも後悔してるかもしれない。自分を責めてるかもしれない。でも、玖珂くんが感謝してるって言ってあげれば、少しは立ち直れるかも」
玖珂はうつむいて頭を掻いた。
「……俺って、本当に自分勝手だな」
自分の死を知った時、最初に思ったのは、消化不良の自分の想いを昇華することだけだった。残される側の凪のことや、ましてや母のことなど、考えもしなかった。
だから、そんな風に自分勝手に想いを残すことを、あの男は阻止しようとしたのかもしれない。
玖珂が英知に目を向けると、それとは違う意味合いを含んだ視線を凪が送っていた。
英知は、凪の玖珂に会わせて欲しいという懇願に折れる形で二人の会話を可能にしてくれた。凪に力を与えて席を外そうかと英知は提案したが、それでは英知の体に負担が掛かるからと、玖珂の許可を得て、英知に近くにいてもらうことで玖珂の声を聞くことにした。だから、今までの凪と玖珂の会話は、すべて英知の耳にも届いている。
「桜沢さん…」
凪のすがるような目に、英知は黙って視線を返す。事情がわからない玖珂は戸惑ったように、見つめ合う形の二人の顔を交互に見やった。凪が玖珂に英知の力を借りれば、お母さんに玖珂の姿や声を届けられるかもしれないと説明すると、玖珂の顔はぱっと明るくなった。
「…俺が見ず知らずの玖珂くんのお母さんに触れて力を貸すことは、少し難しいかな」
英知の言葉に、そうよね、と凪は肩を落とす。その様子に玖珂も表情を曇らせる。
「だけど、やり方を変えれば、不可能ではないかもしれない」
「本当? 桜沢さん!」
「協力してくれるのか?」
二人の明るい表情に、英知は苦笑を見せる。
「──条件が、あるけどね」
英知の示した条件に、最初、玖珂は難色を示したが、他に方法はないと言われると、渋々受け入れた。凪のほうは、英知の言うことに異論はなかったようで、英知が協力してくれることに笑顔を見せた。




