死が二人をわかつまで 5
無事、吹奏楽のコンクールを終えた亜里裟は、成績が芳しかったのか、あるいは、高宗が約束通り見に来てくれたことを確信してか、清々しい表情をしていた。
亜里裟と一緒に待ち合わせ場所に来た奈津子は、英知に会釈した。二人についてきた亜里裟の弟は、「姉ちゃんのカレシ?」などと茶化したが、「いいから、あんたは黙ってなさい」と亜里裟に言われ、おとなしく口を閉じた。
亜里裟たちの家のリビングで、改めて英知は奈津子と向かい合う。奈津子の座るソファの隣に、高宗が納まっている。おそらく、そこが彼らの定位置だったのだろう。
事情がよく飲み込めていない弟を連れて、亜里裟は席を外した。
「会って話ができるのは、短い時間だけです。それでも会いますか?」
英知は奈津子と高宗を見つめ、会わないという選択肢もあります、と二人の意思を確認する。私情を挟んだ論法で高宗を奈津子に会わせるようにしてしまったが、やはり最後は二人が納得する形であって欲しい。
「はい。会いたいです」
「僕も、奈津子と話がしたい」
二人は英知に頷き、英知は「わかりました」と微笑んだ。そして、英知は立ち上がり、奈津子の肩に軽く触れる。
その瞬間、奈津子は、何も気配を感じていなかった隣に、慣れ親しんだ温もりを感じる。目を遣れば、夫がいつもの場所にいつものように座って微笑んでいた。
「あなた…!」
奈津子は口を押さえ、思わず涙ぐむ。失うと、わかっていて、失ったはずで。でも会いたくて仕方がなかった人の姿に、奈津子の涙が零れ落ちた。
「ごめん、奈津子。辛い思いをさせて」
泣き出した妻を高宗は抱き寄せた。
「ずっと君を守るってプロポーズしたのに、約束守れなくて、ごめん。病気になんかなって、長いこと看病させて、すまない」
高宗の腕の中で奈津子は小さく首を左右に振る。
「いつも、僕を支えてくれて、感謝してる。元気な時も、病気になった時も、誓いどおり変わらずに僕を愛してくれて、ありがとう」
夫の感謝の言葉に、奈津子の涙はますます流れる。
「だから奈津子、もういいんだ。『死が二人をわかつまで』、君は、僕を愛してくれた。だから、これからは、僕に囚われなくていい」
奈津子は何か言いたげに顔を上げたが、涙で言葉が詰まり、小さく口を開閉するだけだ。妻の言葉を待つように、高宗は奈津子の髪を撫でる。
「……私に、悪いとか、すまないことをしたとか、思わないで」
涙ながらも、しっかりと奈津子は高宗を見つめて言った。
「あなたがいないのは、悲しいし寂しいけど、それをあなたが謝る必要はないわ。私は、あなたと出会って、結婚できて、幸せだった。あなたがいたお陰で、その幸せは続くの」
奈津子は頬に零れる涙を拭き、微笑んで見せる。
「いつか、あなた以外の誰かを好きになることがあったとしても、あなたを愛していたことが、消えるわけじゃないわ。あなたは永遠に、私の愛する夫よ」
「奈津子…」
妻を抱き締める高宗の背中を見やりながら、英知はそっとドアを開けた。ドアの近くで二人の様子を見守っていたのだが、しばらく席を外しても大丈夫だろうと英知はリビングを出た。
閉めたドアに背を預けて、英知は小さく息を吐き出す。
───死は、永遠をもたらす。
生きているうちに別れたのなら、愛は終わるのかもしれない。だが、別れが、死によって訪れたなら、想いは残したままで、消えない想いを抱え続けることになる。
高宗は、死んだ自分の愛は永遠だと言った。そしてそれと同じ想いを、生きている奈津子に求めてはいけないとも。けれど、奈津子が言ったように、高宗への想いが消えるわけじゃない。───薄れることは、あるかもしれないけれど。
英知は階段を昇り、亜里裟の部屋のドアをノックした。返事をして亜里裟がドアを開ける。部屋には、亜里裟の弟も一緒にいた。
「あの、…本当なんですか、父に会えるって」
亜里裟から事情を聞いたのだろう、弟が英知に尋ねた。
「二人ともお父さんに会いたいよね?」
英知はそれには直接答えなかったが、そう問うことが答えだった。頷いた二人を、英知は階下へ促した。高宗と奈津子の話は、そろそろ一段落するだろう。
リビングのドアをノックして、英知は細くドアを開けた。ソファに座った高宗と奈津子が英知を見やった。奈津子の頬には、もう涙は流れていない。英知はドアを開き、亜里裟と弟に場所を譲る。
「じゃあ、あとは家族水入らずで」
英知は亜里裟たち姉弟の背中を押してリビングに入れ、ドアを閉めた。自分は、リビングのドアの外に残る。ドアの向こうから、「お父さん!」という姉弟の声が聞こえた。
翌日、亜里裟は大学の門のところで英知を待っていた。
「本当に、ありがとうございました」
改めてお礼に来た亜里裟は、深々と頭を下げた。昨日、亜里裟たち家族と一緒に高宗を見送った英知は、その時にお礼を十分に言われていたので、「そんなにかしこまらなくていいよ」と亜里裟に顔を上げるように言った。
「あの、それで、もしよかったら、また家に遊びに来てくれませんか?」
「え…?」
亜里裟の向こうに、見慣れた顔を見つけて、英知は瞠目する。
「今度は『ふり』じゃなくて、本当に彼氏として、なんて…」
「ごめん、亜里裟ちゃん。お母さんと弟さんによろしく」
慌ててそう言い置いて、英知は、自分に背を向けて走り去る長い黒髪を追いかける。急に走り出した英知に驚く亜里裟の様子を気にする余裕もなく、英知は全力疾走する。
「待って!」
英知の声に一瞬目を向けたが、そのまま彼女は走り去ろうとする。
「待って、佐原さん!」
手を伸ばして腕を掴むと、制服のスカートを翻して凪は振り向いた。
「部活に顔出さないから、何かあったのかと思ったら、ただ彼女作ってただけなの?」
英知がコーチに来ない時は、大抵何かあった時なので、部活が休みだった今日、凪は様子を見に来たのだ。英知とは気まずい状態だったので、話しかけるかどうかは決めていなかったのだが、元気な姿が見られれば、それでいいと思っていた。だけど、人の心配をよそに、女の子の家に遊びに行ったりして、この男は!
「なにそれ、心配して損した!」
思わず勢いで言ってしまってから、凪は我に返った。こんなの、まるで嫉妬だ。嫉妬する権利などないとわかっているのに。…ばかみたい、私。……あれだって、私じゃなくてもよかったんでしょ? たまたま近くにいたのが私だから、しんどくて普通じゃなかったから、誰かにすがりたかっただけなんでしょ?
「違うよ、佐原さん、あの子は依頼人っていうか…」
「依頼人? …って、また、厄介事に首突っ込んでたの?」
凪は呆れたように英知を見上げるが、ああそうか、この人のことだから、そうじゃないかと思って、それで私は心配したんだった、と苦笑した。
「……大丈夫、なの?」
「うん。心配してくれて、ありがとう」
この子にこうして心配されることに、安堵する。英知は凪の腕を掴んでいた手を滑らせて、凪の掌に触れる。逃げられないようにぎゅっと握り締めた。
もし、凪と同じように自分の波を鎮めてくれる人が現れたとしたら、凪じゃなくても、触れたいと、思うだろうか? だけど、彼女に、側にいて欲しいと願うのは、いつでも、彼女が、軋む心を救ってくれたから。
戸惑ったように英知を見上げる凪を、英知は黙って見つめ返した。
───死は、想いを、永遠にする。
だけど、君への想いをどこかへ押しやって、他の人を好きになることを、君は許してくれるだろうか?
……直緒……?




