死が二人をわかつまで 3
「…どうして?」
母に会って欲しいという自分の願いを、まさか父が断るとは思っていなかった亜里裟は、思わず父に問いかけた。英知は、高宗が姿を隠していることから、会うつもりはないのかもしれないと予想していたから驚きはしなかったが、その理由を待って高宗を見つめた。
「僕と奈津子は、もうお葬式の時にお別れしている。もう一度お別れをするのは、残酷だよ」
それは、高宗にとってなのか、あるいは、亜里裟の母、奈津子にとってなのか。
「それに、僕と奈津子は、結婚式で、こう誓ったんだ」
───病める時も、健やかなる時も、死が二人をわかつまで、愛することを誓います。
「奈津子は、僕が病気になった時も、変わらずに愛してくれた。だから、僕は、死が二人をわかつ今、奈津子をその誓いから解放してやりたいんだ」
死んだ自分のことを、いつまでも想わなくてもいい。忘れてくれてもいい。時々、思い出してくれれば、それでいい。もし、彼女がこの先、誰か素敵な人と出会って恋に落ちて再婚することがあったとしても、彼女が幸せになれるなら、それでいい。
誓いは、『死が二人をわかつまで』。だから、彼女はもう、自由だ。
「……でも、お母さんは、今でもお父さんを想って泣いてるのに…」
「だからこそ、もう僕が会っちゃいけない。余計に悲しくなるだろう?」
諭すような父の言葉に、亜里裟はうつむいて沈黙する。
「大丈夫、亜里裟のコンクールは約束通り見に行くよ」
安心させるように言う父に、亜里裟は再び口を開こうと顔を上げた。
「しっ! 足音が近づいてくる」
英知が人差し指を口の前に立てて亜里裟に合図した。二階にある亜里裟の部屋に向かって階段を昇ってくる足音がする。
やがて、足音は部屋の前で止まり、ドアがノックされた。亜里裟が返事をすると、母の奈津子が姿を見せた。
「お茶とケーキをどうぞ」
お盆を手に部屋に入ってきた奈津子は、英知と亜里裟の前にあるテーブルに紅茶とケーキを置いた。急な英知の来訪に、ケーキを買ってきてくれたらしい。英知は「ありがとうございます」と頭を下げた。
「桜沢くんは、大学生? どちらの大学なの?」
英知に興味津津らしい母親に、亜里裟は「お母さん!」と困惑気味に声を上げる。
「W大です」
「まあ! 優秀なのね。亜里裟の志望校もW大だったわよね。そうだわ、桜沢くん、この子にお勉強教えてあげて。吹奏楽ばっかりで、全然勉強しなくて」
「ちょっと、お母さん! こっち来て!」
高宗の姿はまったく見えない様子で、娘が連れて来た彼氏(と思っている少年)に嬉々として話しかける奈津子を、亜里裟は部屋の外に連れ出した。
「桜沢くんてかっこいいわね。どこで出会ったの?」「もう、いいからあっち行ってよ」という母子の会話をドア越しに聞きながら、英知は高宗を見やった。高宗は妻が出て行ったドアをじっと見つめていた。その瞳に、彼女への思慕を確かに感じ取れるのに、それでも、会う気はないのだろうか?
「…あなたと、奈津子さんが望むなら、お二人が会えるようにすることができます」
ドアの向こうに聞こえないように声を落として英知は隣の高宗に言う。高宗は英知に視線を注ぎ、それから、ゆっくりと左右に首を振った。
「奈津子に会いたくないと言えば、嘘になるよ。僕は今も彼女を愛している。だけど、同じ感情を、生きている彼女に求めてはいけない」
死んだ自分の感情は、きっと永遠だ。だけど、生きている人間の感情は、きっと変化する。それでいい。自分を忘れることで、彼らの痛みが癒えるなら、それでもいい。
「僕は、入院をしている間に、自分に残された時間が長くないことを悟った。だから、覚悟はしていた。奈津子と、子どもたちと別れなければいけないこと」
それが残酷で辛いことでも、受け入れるしかなかった。
「それに、彼らも気付いていたはずだ。僕との別れが近付いていることに」
心のどこかで感づいていながら、知らないふりをしていただけだ。
「できるなら、ずっとこうして彼らを見守っていきたい。だけど、きっと僕はもう、ここにいちゃいけないんだ。本当は、亜里裟のコンクールを待つまでもなく、消えなきゃいけない。ただ、決心がつかなくて、せめてそれまではと、彼らを見守ることにした」
「───それは、ひどく勝手ですね」
思わぬ英知の言葉に、高宗も、母を追いやって部屋に戻ってきた亜里裟も驚いた顔をした。
「…あなたは、彼らを見守って、満足かもしれない。自分で別れの時期を決めて、自分で去っていける。だけど、残された人間は、突然の別れに、納得なんてできません」
英知の真剣な眼差しに、高宗は虚をつかれたように聞き入っていた。
「残された時間が短いことを知っていても、別れの時が近いことを悟っていても…」
膝の上に置かれた英知の拳はギリリと音を立てそうなくらいに強く握られる。
「───覚悟なんて、できないんです…」
目を伏せた英知が泣いているように見えて、思わず高宗は英知の肩に手を添えた。それに我に返ったように英知は顔を上げ、少し困ったように眉根を寄せて「すみません」と微笑んで見せた。
「あなたの言うことは、わかります。あなたが奈津子さんのことを想って、会わないと決めたことも。だけど、一方的に会わないと決めるのは、あなたの勝手ではありませんか?」
落ち着きを取り戻したように、穏やかな声で英知は問いかけた。
「…俺は、死者と生者が会うことを、推奨しているわけではありません。できることなら、会わずにいられるほうがいいとも思っています」
たとえそれが綺麗事だとしても、生きているうちに、悔いのないように、思い残すことのないようにしておければ、それに越したことはない。
「でも、もし、最後に会うことで、生きている人間が前に進めるのなら、会うことも、選択肢の一つだと思うんです」
───ずっと一緒にいて欲しいなんて望まない。
ただ、最後に会って、さよならが言えたなら、きっと君のことを思い出に閉じ込めて、この足を踏み出せる気がするんだ。
「……奈津子は、僕に会いたいと思っているだろうか? 僕に会えば、もう泣かずにいられるだろうか?」
そんな確証は何もない。会えば、余計に辛くなるだけかもしれない。
「…私、お母さん連れてくる!」
そう言って、亜里裟は先ほど追いやったばかりの母を追いかけた。キッチンでお盆を片づけていた奈津子は、亜里裟がやってきたので首を傾げた。亜里裟は訝しがる奈津子を引っ張って再び自分の部屋に戻った。
「どうしたの、亜里裟?」
部屋に入って無理やり英知の向かいに自分を座らせた娘を、困惑顔で奈津子は見上げた。亜里裟は英知と奈津子の間に座る。英知は正座をして、真っすぐに奈津子を見ていた。
「桜沢くん…?」
ただならぬ二人の様子に、奈津子は何か重大な発表でもされるのかと身構える。
「ごめん、お母さん、桜沢さんが彼氏なんて嘘なの」
先に口を開いたのは、亜里裟だった。
「お母さんとお父さんを会わせたくて、私が頼んだの」
高宗に事情を話した時と同じように亜里裟が説明した。
「…信じてもらえないかもしれませんが、もし、あなたが望むのなら、高宗さんと引き合わせることが可能です」
「……本当に、そんなことが…?」
奈津子の瞳に希望の光が点ったように見えた。
「短い間だけなら。ただし、それが最後のお別れです。それでもよければ、協力します」
よく考えて決めてください、と言う英知に、奈津子は頷いた。




