死が二人をわかつまで 2
待ち合わせのファミリーレストランのドアを入り、英知は店内を見回した。窓際のテーブルにいた少女がテーブルに広げていたファイルから顔を上げて、小さく手を振る。
「ごめんね、遅くなって」
「いえ、時間どおりですよ」
約束の時間に来たのに謝る英知を少女は笑った。自分が早く来すぎただけだと。
「無理を言って、すみませんでした。来てくれて嬉しいです」
母校の藤瀬高校の制服に身を包み、臙脂色の縁をした眼鏡を掛けた可愛らしい少女は英知に頭を下げた。
「…どういたしまして」
英知は答えて、少女がテーブルに広げていたファイルに目を留める。
「楽譜?」
「はい。今度のコンクールの曲なんです。あ、私、吹奏楽部で」
休みの日に制服を着ていることから、部活帰りなのだろうと英知は思っていたが、彼女の部活までは知らなかった。少女は、「トランペットやってるんです」と、傍らに置いたトランペットケースを持ち上げて見せた。「へえ」と相槌を打つ英知に、少女は「桜沢さんは、テニスやってるって言ってましたよね?」と訊いた。頷くと、「いいなあ、私、運動音痴だから羨ましい」と言う。「楽器が出来るほうが凄いと思うけど」と英知が答えると、嬉しそうに笑った。
そこへ、ウェイトレスが英知の分のお冷とメニューを持ってきた。少女の前には紅茶だけが置いてある。
「亜里裟ちゃん、お昼はまだ?」
少女が頷くと、英知はメニューを広げて彼女へ向けた。
「お昼食べて行こうよ。おごるから」
「え? いいんですか?」
「ファミレスでよければ」
「やったあ、何にしようかな」
素直に喜んで、少女は目を輝かせてメニューを見た。
昼食を終えた英知と亜里裟は、ファミレスを出て歩き出した。電車に揺られ、そこから少し歩き、そして着いたのは、亜里裟の家だった。
「ただいま、お母さん」
ちょうど外に出て庭を手入れいていた母親に、亜里裟は声を掛けた。「おかえり」と振り向いた母は、娘と一緒にいる少年に目を留めた。
「あのね、こちら、桜沢 英知さん」
「初めまして、桜沢です」
娘の紹介を受けて、少年は会釈した。
「まあ…」母は頬を緩め、娘に小声で尋ねる。「亜里裟ちゃんの彼氏?」小さく頷く娘に、母は笑みを深める。
「桜沢くん、どうぞ上がって。ゆっくりしていって」
「ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げた少年に、母は好印象を抱いた。
亜里裟の自室に通され、席を勧められた英知は、小声で亜里裟に確認する。
「大丈夫そう?」
「大丈夫だと思う。私の彼氏だと思ったみたい」
英知の向かいに座った亜里裟は作戦成功を告げた。昨日、英知に「母を父に会わせてあげたい」と相談に来た亜里裟は、英知が亜里裟の近くに父親の霊の気配は感じられないと言うと、母の側にいるのかもしれないから確認してほしいと頼んだ。
だが、そのためには英知が母に会わねばならない。真実を告げて母を英知がいる寺に連れて来ることもできたが、霊に会えるなどと言う話を、大人である彼女が簡単に信じるとは思えなかった。それに、彼女の側に父がいなかった場合、彼女に与えるショックの大きさを考えると、本当のことを最初から告げるのは得策ではなかった。
だから、英知が亜里裟の母親に会いに来た。それも、見知らぬ男が家を訪れても不自然でないように、亜里裟の彼だと偽って。彼氏のふりをすることを提案したのは亜里裟だ。もし、父が母の側にいなかったら、何事もなかったように帰っていいと彼女は言った。その後英知が家を訪れなくなっても、別れたと言えば済むとまで言って頼み込む亜里裟に英知が根負けした。
「…どうですか? 父は、いますか?」
急くように亜里裟は英知に詰め寄った。英知は静かに首を振る。左右に揺れる英知の髪を見て、亜里裟は残念そうに息を漏らした。
「お母さんの側には、気配を感じなかった。もしかしたら、もうお父さんの魂は、この世にはいないのかもしれない」
「そんなはずありません! だって、お父さんは、私のコンクールを見に来てくれるって約束したもの。どんなに仕事が忙しくても、お父さんが約束を破ることなんてなかった。だから、今回だって、絶対来てくれるはず。コンクールが終わる前にお父さんがいなくなるなんて、絶対ない!」
目に涙を浮かべ、泣きそうな声で訴える亜里裟に、英知は慰めるように付け加える。
「もしかしたら、この世には留まっていても、姿を隠して見守っているのかもしれない」
だけど、姿を隠されたら、英知でも見つけるのは一苦労だ。力を解放すれば見つけられるかもしれないが、それはリスクが大きすぎる。
頬杖をついて、英知は一計を案じた。
「娘思いのお父さんなんだよね」
「え?」
亜里裟の戸惑いを無視して、英知は場所を移動し、亜里裟の隣に座った。
「俺は亜里裟ちゃんの彼氏だよね?」
「え? ええ…」
確かに、そういう設定になっている。
「だから、こういうことも、不自然ではないよね?」
肩に手を掛けて、英知は顔を近付ける。憧れの大学に通う美形の大学生に迫られて、亜里裟は顔を赤く染め上げる。
「…ちょっと待ったあーーーっ!!」
思わぬ声がして、二人の間に誰かが割って入った。声の主に亜里裟から引きはがされた英知は、にっこりと声の主に微笑みかける。
「やっぱり、出てきてくれると思ってましたよ、お父さん」
「君にお父さんと呼ばれる謂われはない!」
なにその、娘さんを下さいって言われた時みたいな反応、と思わず心の中でつっこみ、英知は目の前の人物を見やった。眼鏡を掛けた優しそうな風貌の中年男性は、間違いなく亜里裟の父親、高宗だろう。
「すみません、ああすれば、止めに出てきてくれると思って。驚かせてごめんね、亜里裟ちゃん」
英知に言われて、呆然と自分と英知の間に入った人物を見つめていた亜里裟は我に返った。そして、その言葉で英知の意図も悟った。
「君は大学生か? 娘はまだ高校生だぞ。それなのに…」
「待って、お父さん、違うの!」
怒りを抑えきれぬ様子で、娘に迫った少年に説教をする父親を慌てて亜里裟は止める。
「私が頼んだの! 彼氏のふりしてくれって言ったのも私なの。お父さんに会いたかったから!」
娘の必死な様子に、高宗は英知に詰め寄るのをやめた。
「桜沢さんは、お父さんのお葬式をしてくれたお寺の息子さんなの。私がお父さんに会いたいって頼み込んで、霊が見える桜沢さんに協力してもらったの」
高宗は亜里裟から英知に視線を移した。英知は亜里裟の言葉を肯定するように頷いた。
「お父さんが姿を隠しているようだったので、すみません、少々強引な方法を使いました」
頭を下げる英知に、「いや、こちらこそ、事情も知らずに済まない」と高宗は謝った。
「彼氏のふりをしてもらったのは、桜沢さんに、お母さんと会ってもらうため」
亜里裟は事情を説明し、父に「そんなことをしたのは、お母さんをお父さんに会わせてあげたかったからなの」と言った。
「お父さん、お願い、お母さんと会ってあげて」
「……それは、出来ない」




