死が二人をわかつまで 1
帰ってきた父親が、普段めったに口にしない仕事の話をしたことから、その驚きが大きかったのだと推測できた。
「いやあ、凄かったよ、会館に人が入り切らなくてさ。いつもよりも長めに読経したから、疲れたくらいだよ」
檀家の通夜に呼ばれて行った父親は、その参列者の多さに驚いたのだという。通夜を行う会館の会場に参列者が入り切れず、他の部屋まで解放したが、それでもまだ通路や外に人が並ぶほどだったという。
亡くなったのは、まだ働き盛りの男性だったためもあるだろう。高校生と中学生の子どもを持つ父でもあり、地域のリトルリーグのコーチもしていたというから、知り合いの数も多かったようだ。会社関係者、学校関係者、地域の人たち、妻や子どもたちの参列者を合わせれば、会場に入りきらないほどの数になった。
もちろん、そんなに多くの人が集まったのは、亡くなった方の人柄もあるだろう、と父は言った。
「あんな風にみんなに見送られるような人生が送れたら、思い残すことなく行けるのかな。それとも、別れが惜しくて行けやしないかな」
父の独り言のような言葉に、英知と大智は、顔を見合わせた。そして、母親にちらりと視線を送る。
「はいはい。せいぜいあなたは、別れ際にたくさんの人に泣かれるような人生を送ってくださいね」
食卓に料理を並べる母に言われて、父は「はーい」と良い返事をして席に着いた。
そんなことがあってから暫く経った土曜日のこと。英知が大学でのサークル活動を終えて帰って来ると、母校の制服を着た女子高生が本堂の前をうろうろしていた。
「こんにちは。うちに何か?」
突然背後から声を掛けられて、女の子はビクリと肩を揺らした。振り向いた先に、自分とそう年が変わらないであろう男の子の姿を見つけて、少女は少し安堵したようだった。
「あの、住職さんにお願いがあって…」
「そうですか。じゃあ、こちらへどうぞ」
英知は少女を本堂へ上げ、奥にいる父親に声を掛けた。応接室へ通し、少女に少し待つように言って、自分は部屋を出た。廊下で父とすれ違い、父親が応接室へ入って行くのを目の端で見やりながら、英知は自室へ向かった。
しばらくすると、自室にいた英知を父が呼びに来た。
「ちょっと、お前にも聞いてもらったほうがいいと思って」
と、父は英知を応接室へ促す。廊下を歩きながら、父は先ほどの少女のことを説明した。
「あのお嬢さん、この間話したお宅の娘さんだそうだ」
父の後に従い、応接室へと入る。英知を見て、少女が小さく頭を下げる。英知も会釈を返した。
父に促され、英知は、テーブルを挟んで少女の向かいの座布団に正座した。その隣に父が腰を下ろす。
「先ほどのお話を叶えられるとしたら、私ではなくて、息子の英知でしょう。どうぞ、お話しください」
住職に言われて、少女は頷いた。
「あの、父に…母を、父に会わせてあげたいんです」
予想と少し違う少女の言葉に、英知はじっと少女を見つめた。亡くなった父に会いたいと言うのだろうとは思っていた。だが、会いたいのは、彼女ではなく、母親のほうなのか。
「父は、がんでした。最期のほうは、苦しくて話もできなかったから、父と母は、最後にまともな会話もしていないんです」
何も告げずに逝った父を、見送る覚悟は、本当はまだ出来ていなかった。いつかその日が来ると、家族全員知っていながら、永遠にその日が来て欲しくないと願っていた。
「父が亡くなって、母は葬儀だとか、親せきとのやり取りとか、相続のこととか、すごく忙しかったんです。だから、ちゃんと父とお別れ出来ていないと思うんです」
少女は、自分の意図を伝えるために必死に言葉を探しているようだった。
「お葬式の時も、母は気丈にふるまって、涙をこらえていました。今でも、私たち子どもには涙を見せません。でも、私、知ってるんです。夜、母が父の遺影を前に泣いていること。だから、せめて、ちゃんと父とお別れできれば、少しは踏ん切りがつくんじゃないかと思って」
父がいない毎日を、受け入れるしかないのに、それがひどく悲しいのは、きっと、きちんと別れが出来ていなかったからだ、と少女は考えた。
「それで、お父さんとお母さんを会わせたいと?」
英知の問いに少女は深く頷く。
「……場合によっては、叶えられるかもしれません」
英知の言葉に、少女の顔が輝く。それを制するように、英知は続ける。
「ただし、双方がそれを望んでいる、ということが大前提です。残念ながら、今、お父さんの気配を感じることはできません。彼の魂がすでにこの世にいないのなら、会うことは不可能です」
途端に少女の顔には落胆の色が陰る。
「俺はイタコじゃない。あの世の魂を呼び出すことはできない。もし、あなたのお父さんが、お母さんに会うことを望んでいないのなら、願いは叶えられない」
英知は静かに、はっきりと告げた。
翌日、姫乃木女子大付属高校テニス部の部活動にコーチとして顔を出した英知は、この後お昼でも食べに行こうか、という仲間たちの誘いを断って足早に帰って行った。
「凪ちゃん、英知、今日何かあるって聞いてる?」
「……なんで私に訊くんですか?」
英知と同様にテニス部のコーチをしている健吾に尋ねられて、凪は不服そうな声を出した。
「あー、いや、……そういえばさ、英知と何かあった?」
瞬間、ファッションショーを見に行った時に英知に抱き締められたことを思い出す。あの時のことを思い出しただけで、一気に顔に熱が昇る。
「…ど、どうしてですか?」
赤面しているのを見られないように、凪は健吾から顔を逸らす。
「何か、二人、よそよそしいから。っていうか、英知が凪ちゃん避けてるみたいな?」
いつもだったら、真っ先に凪ちゃんに声掛けるのに、今日は必要事項以外会話してないみたいだし、と健吾はなかなか鋭い指摘をした。
「…いえ、別に…」
避けられているのだろう、という自覚はある。だけど、その理由なんて、こっちが聞きたいくらいだっての!
───あの時、たぶん、英知は普通じゃなかったのだろう。力を使いすぎたらしく、明らかに体調が悪そうだった。
だから、それを理由にあんなことをしたのだとしても、私は怒らない。なのに、あんなことしておいて、その後あからさまに避けるってどういうことよ!? あの人にとっては、何でもないことかもしれないわよ。気の迷いだと思ってるのかもしれない。だけど、あんなことされて、心臓バクバクしていたこっちの身にもなれ! 乙女の純情踏みにじりやがって! っていうか、あの人、前にもやったのよ、あれ。前科持ちなのよ!
あの後、私を解放したあの人は、いつものように微笑んで「帰ろうか」と促した。そして、私を家まで送り届けた別れ際──「今日は、ありがとう。それと…、ごめん」と言った。
…“ごめん”って、なに? あんなことしたこと? それとも、何か別の意味があっての言葉なの? そうなら、何か弁明してくれればいいのに、黙ったままで、私はあれを、どう受け取ればいいの?
「……桜沢さんのばか」
「やっぱり何かあったでしょ?」
小さな声で呟いたつもりが、バッチリ健吾に聞かれていたらしい。けれど凪は「なんにもありません!」と言い通した。
2011年初稿、2019年改稿。




