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S.O.S!  作者: 如月 望深
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ナイチンゲールの葬送 5

「あなたは、最初から私を殺すつもりで、あの薬を持ってきたの?」

 小夜子の声は怒りを感じさせないが、その静けさが逆に恐怖をあおった。

「ち、違う! 俺は、そんなつもりじゃなかった」

 小峰は、本当に小夜子にビタミン剤を渡すつもりで部屋に行ったのだという。だが、そこで大山医師の娘との結婚を隠していたことを責められ、ついカッとなってビタミン剤と睡眠薬を取り替えたのだという。

「ただ、口論になったから、黙らせるつもりで…」

「睡眠薬を持っていたのが不思議ですけどね。百歩譲ってそうだとしても、あなたは、小夜子さんが睡眠薬を飲めば、死んでしまうかもしれないと知っていた」

「つまりは、未必の故意」

 英知に、井上が続ける。未必の故意とは、その結果が起こるのは不確実だが、そうなることを認識していて、そうなっても構わないと思っていた、ということだ。

「違う、俺は殺すつもりなんてなかった」

「では、どうして小夜子さんが意識を失った時、救急車を呼ばなかったんですか? あなたは、自分の保身のために逃げたんですよね」

 すぐに救急車を呼べば小夜子は助かったかもしれない。だが、小夜子と自分の関係が表に出てしまうかもしれない。小峰はそれを恐れたのだ。

「酷い! そんな自分勝手な理由で、お姉ちゃんを殺すなんて! 私のたった一人のお姉ちゃんなのよ!」

 それまで黙っていたセレナが、小峰に拳を振り上げた。その拳が小峰に届く前に、セレナはその場に崩れて泣き出した。

「セレナ…」

 小夜子がそっと寄り添ってセレナの肩を抱く。

「…私は、あなたが大山先生の娘さんと結婚しても、私のことを愛してくれていたと思いたかったの。だから、あなたが隠すのなら、ずっと黙ったままでいようと思った」

 そうして、死んだ後も側にいて、小峰を見守ろうと思った。

「でも、あなたにとって、私は邪魔なだけだったのね」

 セレナの側を立ち上がった小夜子に気圧されるように、小峰は後ずさった。

「ち…違う、俺は、俺は……」

「何が違うの!? あなたは私の子どもを殺して、私の命まで奪ったのよ!」

 後ろに下がった拍子に、小峰は足を滑らせ尻もちをついた。

「許さない…!」

 小夜子の瞳の中に燃える暗い炎に、小峰は心底怯えた。「ひっ!」引きつった声を挙げ、尻もちをついたまま後退していく哀れな男に、小夜子は不敵な笑みを浮かべて近づき、男に馬乗りになって、その首に手を掛けた。

「小夜子さん!」

 英知は慌てて止めに入った。小夜子に触れようとすると、パリッと音がして電気のようなものが走る。ビリビリと手から体に痛みが伝わり、英知は顔をしかめる。

「小夜子さん、ダメだ! 戻って来て!」

 このままでは、暗い感情に引きずられて、元に戻れなくなる。痛みをこらえて、英知は小夜子を小峰から引き剥がした。小峰は恐怖のために既に失神してしまっている。

「妹さんに、言うことがあるんじゃないですか?」

 ピリピリと痛む手を押さえて、英知は小夜子に声を掛ける。

 正気に戻った小夜子は、しゃがみ込んで泣いているセレナに歩み寄った。

「ごめんね、セレナ。嫌な役目を負わせちゃって。他に頼める人がいなかったのよ」

 セレナは泣いたまま首を左右に振った。小夜子はセレナを抱き締め、泣きつくセレナの背中を優しく撫でた。血の繋がりがなくても、姉妹は互いを思い合っていた。

 やがて、セレナが泣きやむと、小夜子はセレナが歌手になるのを応援していると言葉を残し、セレナは立派な歌手になると約束した。

「最期に、セレナの歌が聞きたいわ」

 セレナは頷いて、姉のために歌った。白衣の天使(ナイチンゲール)を見送る小夜鳴鶯ナイチンゲールの歌声は、後味の悪い事件の、唯一の救いだった。


 後輩に小峰を引き取りに来させたあと、井上は英知に尋ねた。

「で、小峰に初めて会ったあと、あいつを調べろって言った理由は?」

 捜査線上に浮かんでもいなかった小峰を、最初から英知は怪しんでいたのだ。

「小夜子さん、あいつの側にいたんですよ。なのに、小夜子さんとは親しくないなんて言うし、その時の小夜子さんの悲しそうな顔見たら、まあ、普通不審に思いますよね」

「やっぱり、君に協力を頼んで正解だったな」

 まるで自分の手柄のように、井上は胸を張った。

「もう、これっきりにしてくださいね」

 できれば街で会っても声をかけないでくださいとまで邪険に扱われて、井上は「まあ、そう言わずに」と英知の肩に手を置いた。

「触るな」

 思わず英知はその手を振り払う。ピリピリと、さっきの痛みが消えない。暗い感情を爆発させた小夜子に触れたことで、英知の『感覚』は過敏になっている。

「あ、すみません」と反射的に謝った英知に、井上は笑顔を向ける。

「君なら、どんな事件も解決できるだろ。被害者から聞き出せば、犯人なんてすぐに…」

「犯人を捕まえるのは、警察の仕事でしょう」

「でも、君がいれば、多くの人を救える」

「じゃあ俺のことは、誰が救ってくれるんですか?」

 井上は一瞬言葉に詰まる。

「あんな負の感情にさらされていたら、俺の身体からだがもたない」

 苛立ったように英知は言った。

「そんなに犯人捜しにこの力を使いたいなら、自分でやればいい」

 英知は、右の掌を井上に向けて差し出し、井上の両目を覆った。パリパリ、パリッ、と静電気がはじけるような音と共に、英知の手から小さな光と電波のようなものが出る。

 その瞬間、井上の耳にざわめきのような声が流れ込んできた。雑踏の喧騒とは違う、すべてが意味を持つ言葉。無数の声の波にさらわれる。と同時に、強烈な吐き気に襲われる。声に含まれるいくつもの負の感情に引きずられて、平静が保てない。

「うっ…」

 崩れ落ちる井上を、英知は冷ややかに見下ろしていた。

 不意に、英知の携帯電話が鳴って、英知は我に返った。足元で苦しむ井上の隣にしゃがんで、肩に手を置く。

「…大丈夫ですか?」

 井上に流し込んだ『感覚』を英知が引き取ったことで、井上の吐き気と耳鳴りは治まった。井上は深く息を吐き出す。

「……君は、いつもこんなものを聞いているのか」

 疲れ切った顔で井上は尋ねた。

「もう慣れました。それに、普段は聴こえないようにコントロールできますし」

 英知は笑顔を作る。井上は「無理言って悪かった」と謝った。



 井上と別れて、英知は深い溜息をついた。危なかった。あのまま、井上を暗い世界へ落としてしまうところだった。この電話がなければ。

 携帯電話に残っていた着信は、凪からのものだった。英知はそれをリダイヤルする。凪はすぐに電話に出た。

「あ、掛け直してくれたの? ごめんなさい、大したことじゃなかったんだけど…」

 今度の土曜日の練習の後、みんなでカラオケに行こうという話になり、それに行くかどうかを確認したかっただけなのだと凪は話した。

「…桜沢さん?」

 何も言わない英知に、凪は訝しげに名前を呼んだ。

「………佐原さん、───会いたい」

「えっ…?」

 思わぬ英知の言葉に、凪は電話を落としそうになる。

「…今、どこにいるの?」

 尋常ならざる英知の声に、凪は心配になる。

「あっ、ごめん! 俺、何言ってんだろ。気にしなくていいから」

「いいから! どこにいるの?」

「佐原さん、ごめん、俺、どうかして…」

「教えて! 私が会いたいの!」

 凪に気圧されるように英知は場所を答えた。その近くの公園で落ち合うことにして、凪は携帯電話を切った。

 急いで駆け付けると、英知は公園のベンチに座っていた。凪の姿を見つけて立ち上がる。

「桜沢さん、どうしたの、何かあっ…」

 大股で近づいてきた英知に抱きすくめられ、凪は固まった。

 …なにを、どうしたら、こうなって……なにを、どうしたら、いいのか…。

 耳元で英知が深く息を吐き出し、それがうなじにまで掛かって、思わず凪はビクリと身じろぎする。

「待って、もう少し、このままで」

 腕の力が強くなり、ぎゅうと拘束されて、凪は訳がわからず、ただ紅潮した顔を見られないように英知の胸に頭を預けた。

「…やっぱり、佐原さんはすごい」

「え?」

 思わず顔を上げると、すぐ近くに英知の笑顔があった。

「俺がしんどい時、必ず助けてくれる」

 そう言って、さらに英知は凪を抱き締めた。

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