Brotherhood 1
「ねえ、凪って、あのコーチと付き合ってるの?」
朝、教室に入ると口々にクラスメイトに訊かれた。
「付き合ってないっ!」
凪は思い切り否定するが、またまた~と級友たちは取り合わない。
「だって、あれじゃあねえ」
「俺の女に手を出すな的な?」
囁き合う級友たちに、凪はため息をつく。
「あれは、あの人の中では、助け船のつもりなのよ」
まったく、何と人騒がせな男なのだろう。本人には、まっったく、その気がなくても、周りは勝手に誤解する。
「でもさ、結構カッコイイよね、あのコーチ」
「そうね、顔キレイだし、優しいし、スポーツできるし、テニスは超上手いし」
クラスメイトに答えたのは千早だ。「凪ばっかり構うところが気に食わないけど」と茶化したように千早は片目をつぶって見せた。
「この間も、同じサークルの年上美女に告白されたって」
千早の従兄である大樹は、英知の同級生でサークル仲間だ。だから千早には大樹から英知情報が入って来るらしい。
「でも、英知くん、断ったんだって。『好きな人がいるから』って」
「え、それってさぁ…」
千早の話を聞いて、クラスメイトは嬉しそうに凪を見やった。
「凪のことなんじゃないの?」
同じことを考えていたらしく、千早も凪を見やる。
「…私じゃないわよ、……絶対」
クラスメイトたちの期待を裏切って、凪は頬を赤らめることもなく、苦笑して告げた。
「それって、凪は英知くんの好きな人を知ってるってこと?」
「知らない。だけど、それは私じゃない」
きっぱりと、凪は言った。
だって、確信がある。あの人は、私といる時でも、私じゃない誰かを見ている時がある。それは、きっと、あの名前──その名前を聞いた時、あの人の表情が変わった──直緒という人のことだ。
中学時代のクラスメイトが心配するような出来事が、その人との間にあって、そして、あの人は今でもそれに囚われている。
クラスメイトたちに変な噂を立てられていたものだから、凪は部活で英知に会ったら気まずいななどと思っていたのだが、英知はその日の部活には来なかった。
コーチをしている四人の大学生は、常に部活に来ているわけではない。大学生たちにも彼らの予定があり、コーチはボランティアなので出欠は自由だ。だから、いつもコーチに来るとは限らないが、英知は出席率が高いほうだった。
英知が来ないことを残念がる千早に、大樹は「風邪引いたんだって」と答えた。それを聞いて凪は、思い当たる節があった。陸上大会を見に行ったあの日、帰りに雨に降られたのだ。雨宿りしたが、結局濡れてしまい、力を使いすぎて体力が落ちていた英知には応えたのかもしれない。
英知は、病院への道を歩いていた。総合病院では、今の体調で行くと都合が悪いので、個人病院の内科医院へ向かう。
一瞬、道の脇に気配を感じて、英知は目をそちらに向けた。
「…あ、やば。目が合っちゃった」
体調が悪いこんな時には、気配を感じても知らぬ存ぜぬで通そうと思っていた矢先、つい強烈な気配に目をあげてしまったのだ。
慌てて目を逸らして、歩き続けようとする英知の背中に声がぶつかる。
「おい! お前、見えてんだろ、シカトすんな!」
英知の前に男が立ちはだかる。物理的にはそのまま歩いて行けるはずだが、英知は足を止めた。
「何でシカトすんだよ? 俺が幽霊だからか? それともヤクザ者だからか?」
「…生きていたとしても目を合わせちゃいけないと、一般市民に思われているという自覚はあるんですね」
何気に失礼なことを言って、英知は相手の顔を見やった。
その瞬間、男は奇妙な感覚に捕らわれる。自分が死んでいるとはいえ、自分のことをこんな風に臆せず真っすぐ見つめてくるのは珍しい。いや、自分が死んでいることがわかっているのなら、尚更怖がられそうだ。
「……なかなかイイ根性してるな」
英知が言うとおり、男は生きている時でさえ、親が子どもに「ああいう人とは、すれ違っても目を合わせちゃだめよ」と教えるような種類の人間だったのだ。それをはっきりと指摘し、なおかつ英知は物怖じしない。
都合がいい、と男は口元を綻ばせた。
「ちょっと頼みがあんだけどよ」
「お断りします」
即座に英知は拒否する。
「テメ…!」
話を聞こうともしない英知の態度に、男はカッとして拳を振り上げる。こういう身体的な圧力が、今までは効果を発揮してきた。
「…自分が置かれた状況が、わかっていないんですか?」
英知は拳に竦むこともなく、冷静な視線を男に投げかけた。男は今、いわゆる『幽霊』の状態である。英知に身体的なダメージを与えることはできない。それに、そもそも男は英知に頼みごとがあって声を掛けたのに、その英知に手を上げてビビらせたら、頼みを聞いてもらうどころの話ではない。
「あんたのそういう態度が、この人の死んだ理由は犯罪がらみなのかなって想像させるから、頼みなんて聞きたくないんだよ。犯罪に巻き込まれたくないからね」
男が胸倉を掴もうと伸ばしていた手を払い、英知は眉をひそめた。
「…悪かったよ」
力なく手を下ろした男は、肩を落として謝った。
「確かに俺が死んだのは、犯罪がらみっちゃあ、そうだからな…」
うなだれるように男は下を向いた。
「同じ組の奴らに裏切られたんだ。それで、奴ら俺の舎弟に罪を着せようとしてて。このままじゃ、あいつは警察に捕まっちまう。捕まらなかったとしても、俺を殺した裏切り者として組に処刑されちまう」
バッと顔を上げた男は、すがるように英知の肩を掴んだ。
「頼むよ、あいつを助けたいんだよ。あいつは、俺が本当の弟みたいに可愛がってきたんだ」
男は英知の肩を激しく揺さぶる。
「あいつは、俺を殺したのは敵対する組の奴らだと思っているかもしれないが、本当は同じ組の奴らに裏切られたんだって、真実を伝えてくれ」
英知を掴む男の手に力が入る。
「俺を殺した裏切り者たちに、俺の仇を討ってくれって」
「仇を討つって…?」
嫌な予感に、英知は男に確認する。
「裏切り者は処刑するのが組の掟だ」
「…俺に、人殺ししろって伝言させるつもり…?」
当たり前のように言う男を、英知は睨めつける。
「お前は、あいつに俺の言葉を伝えてくれればいいんだ」
「ふざけるな」
英知は低い声で吐き出した。
「俺は伝言板じゃない。何を伝えて、何を伝えないかは、俺が決める」
思わぬ英知の強い視線に、男はたじろいだように英知の肩を掴んでいた手を離した。
2010年初出。2019年改稿。




