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S.O.S!  作者: 如月 望深
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明日への伝言 5

 姫高と常盤高のテニス部の練習試合に、英知は大樹と一緒に顔を出した。応援に来て、と部員たちに言われていたからだ。英知たちが着いた頃にはすでに練習試合は始まっており、二人はコートを囲むフェンスの外側から観戦することにした。

 中ほどのコートでは凪が試合をしていた。どうやら凪が勝っているようだ。相手の選手にコーチらしき若い女性がアドバイスをしている。


 練習試合が終わり、お互いに挨拶を交わすと解散となった。コートから出てくる部員たちに大樹と英知はねぎらいの言葉を掛けた。

「佐原さん、おつかれ。持つよ」

 救急セットの入ったバッグを肩にコートから出てきた凪に英知が声を掛けた。

「ありがとう」

 凪は素直に英知に救急バッグを渡した。自分の荷物もあるので、正直持ってもらえるのは有り難かった。

「桜沢くん!」

 歩き出そうとした英知に、コートの中から声が掛かった。振り向くと、先ほど凪の試合の時に常盤高の選手を指導していたコーチの女性が小走りでやってきた。

「久しぶり」

 親しげな笑顔を向けて彼女は英知を見上げた。

「…明日香あすかちゃん?」

 英知は彼女の顔をじっと見て、その名を口にした。

「中学卒業して以来ね」

「久しぶり。元気?」

 英知は明日香に笑顔を向けた。

「元気よ」

 常盤高テニス部のOGである彼女は、現在は常盤大に通っており、時々高校のテニス部のコーチをしているのだと言った。

「桜沢くんも、元気そうでよかった」

 明日香は目を細め、凪に視線を移す。

「彼女?」

「あ、いや…」

「よかった。直緒なおのことがあったから、ちょっと心配してたんだ」

 英知は明日香に微笑みを返すに留めた。

 コートの中から「コーチ!」と声が掛かり、「もう行かないと。じゃあ、またね、桜沢くん」と明日香は手を振って戻って行った。

 英知は踵を返して歩き出し、凪はそれを追った。

「…あ~、あの、ごめんね。彼女って、あれ。タイミング逃しちゃって」

 凪の歩調に合わせて歩きながら、英知は謝った。否定しようとしたのだが、明日香が話を進めてしまったため、そのままになってしまったのだ。

「それは、別にいいけど…」

 答えながら凪はちらりと英知を盗み見る。

「…あの、今の人…」

 誰で、どんな関係だったのかと訊いてみたいのだが、なんとなくそんなことを訊くのもどうかと思ってしまい、はっきりとは言えない。

「中学の時のクラスメイト」

 凪の言葉の意図を感じ取ったのか、あっさりと英知は答えた。

「しっかり者の学級委員長で、結構世話になったな。宿題写させてもらったりとか」

「そうなんだ」

 きっと、英知は彼女のことはいくらでも答えてくれるだろう。だけど、彼女が口にした名前──直緒という人のことは、訊いてはいけない気がした。どんなに訊いても、英知は微笑んではぐらかしてしまいそうだ。

根拠はないけれど、なんとなくそんな気がして、凪は訊けないまま歩き続けた。



 大智が部活を終えて家に着くと、英知も帰ってきたところだったようだ。大智は少し寄り道をしてきたので、今日は家に近い小さな勝手口用の門から入ったのだが、英知は寺の門から来たようだ。

 ふと、英知は足を止め、門から寺へ続く石畳の脇に目を向けた。暫くそこを見つめていた英知は、小さく頷いて歩き出した。その方角は、家のほうではなくて、墓のあるほうだ。

 墓は本堂の裏手にあるが、桜の木がたくさん植えられた中庭を挟んでおり、直接は見えにくい造りになっている。住職一家の住む家は、本堂とは離れになっていて、墓とは逆方向にある。生活空間からは墓が見えないようにという先代住職の計らいでそういう設計になっているのだと聞いた。

 墓のほうから、墓参りに来ていたのだろうか、一人の女性がやってきた。英知はその女性に何か声を掛け、彼女の肩を払った。女性は頭を下げ、英知も会釈でそれに応える。「肩に埃がついていますよ」「あ、すみません」という感じのやり取りのようだ。

 英知とすれ違って歩いて行く女性を、英知は顔だけわずかに振り返って見ているようだった。女性は石畳の途中で立ち止まり、その脇をじっと見つめて泣きそうに口元を押さえた。英知はゆっくりと歩き出し、中庭へ消えた。

 大智からは、英知の表情は見えなかったけれど、その時兄がまとっていた空気は、どこか知らない人を見ている気分にさせた。


 英知がパソコンに向かって大学のレポート作成をしていると、部屋のドアがノックされた。返事をすると大智が入ってきた。

「これ、母さんが持ってけって」

 そう言って大智がカップを差し出す。

「ありがと」

 椅子の向きを机と反対にして、英知はカップを受け取った。手にほわりと温かなカップの熱が伝わる。一口飲めば、口の中にはちみつの甘さと生姜の刺激が広がり、鼻に柚子の香りが抜ける。母特製の柚子はちみつ生姜湯だ。母は冬になると風邪防止のためにと言って家族によく飲ませる。

 自分のカップを手に部屋を出て行こうとして、大智は立ち止まった。

「…英兄、大丈夫?」

 弟の唐突な質問に英知は笑顔を作る。

「大丈夫って、何が?」

「あ、や、元気なら、いいんだけど」

 そう言ってドアノブに手を掛けた弟の背中に、英知は声を掛けた。

「大智」

 ドアノブから手を離してゆっくりと振り向いた弟に英知は微笑みかける。

「俺って、そんなに元気なさそうに見える?」

 大智は視線を落として頭を掻いた。

「…あ、えと、心配してたのは、凪ちゃんで」

「佐原さんが?」

 カップを机に置いて、英知は大智を見上げた。

「時々、英兄が無理してるように見えるって」

 いつでも余裕な表情で、すべてをそつなくこなしている兄を、そんな風に言われたのは初めてだった。さっき見かけた兄の背中が、いつもの余裕がないように見えたのが錯覚でないのなら、自分にだって兄を心配する気持ちはある。

 兄には、いつだって自分の憧れでいて欲しいから。

「大丈夫。大丈夫だよ」

 英知は弟を安心させるように穏やかに微笑んだ。

「心配してくれて、ありがとう」

「…うん」

 英知の笑顔に安心するように大智は頷いて、ドアを開けて部屋を出て行った。そのドアが閉まり、大智の足音が遠ざかっていく。

「……まいったなぁ…」

 椅子の向きを机に直し、英知は呟いて片手で頭を抱えた。


「桜沢さん、大丈夫?」


「元気なら、それでいいのよ」


 そう言えば、凪は以前から自分を心配してくれていた。その心配が、心の奥に閉じ込めて、知られないように隠してきたことに対するものでないとしても、彼女の目には自分は不安定に映っているのだろう。

 悟られないように微笑んでも、彼女の瞳は残酷にも真実を暴く。



 ひっそりと、守ってきたはずだった。


 小さな箱に閉じ込めて、鍵を掛けて、誰にも開けられないように。

 深い深い海の底に沈めるように。封印を、誰にも解かれないように。



 ───大丈夫。


 大丈夫。まだ、笑っていられる。

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