第83話 告白
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金曜日の昼下がり。
ジリジリと日差しが照りつけ、蝉の声がビルに反響する。
カゲロウがゆらゆらと地面を這う、猛暑日。
そんな中、二人の男女がタクシーから降りてきた。
緊張した面持ちで、ビルの間を進んでいく。
一人は赤いボブヘアーを風になびかせ、履き慣れたハイヒールで規則正しいリズムを刻む、いかにも仕事ができそうな女性。
乃村実莉。
彼女に続くのは、178cmの高身長に、肩から下げた黒い鞄を大事そうに抱えて歩く青年。
人懐っこそうな瞳と、少し癖のある茶色の髪は、大型犬を連想させる。
国崎翔馬。
二人が足を止めた先には、大きなビルが静かに佇んでいた。
「いよいよですね」
ビルを見上げながら呟く国崎の喉から、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。
「そうね」
実莉もビルを見上げた。
この一ヶ月間、数回に分けてこの場を訪れてきた。
けれど、今日で最後になる。
そう。
今日、ついにコンビニスイーツ広告の完成形をクライアントに提出するのだ。
「実はもう一品スイーツがありました〜、って言われたりして」
実莉はクスッと笑いながら言った。
「縁起でもないこと言わないでください。四品目はさすがに勘弁です」
「ふふっ、ごめんごめん」
「3品目ありましたって言われた時はどれだけ慌てたことか……」
「でも、結果いい広告になったじゃない?」
そう言って、実莉は国崎の抱える鞄に目を向けた。
中に入っているのは、今日提出する広告の最終データ。
実莉、国崎、相澤、晃の4人で、細部にまでこだわって仕上げたものだ。
「……そうですね」
国崎は姿勢を正し、鞄を抱え直してビルを見上げた。
「絶対に気に入ってもらいましょう」
その言葉に、実莉も力強く頷き、背筋を伸ばした。
「よし、行こう!」
実莉の声を合図に、二人は揃って足を前に進めた。
────
数十分後。
ビルから出てきた二人の顔は、清々しかった。
クライアントへの広告提出は、無事に終わった。
「素敵な広告をありがとうございます」
担当者からそう言われた瞬間、二人は思わず顔を見合わせた。
そして、自然と笑みがこぼれた。
一ヶ月にわたる案件が、ようやく完了したのだ。
もちろん、広告が世に出るのはこれからだ。
けれど、
目の前の仕事をやり遂げたという達成感は、何物にも代えがたい。
「お疲れ様、くに」
「のん先輩こそ、リーダーお疲れ様でした!」
二人は軽く頭を下げ、ビルを後にした。
照りつける太陽は相変わらず容赦がない。
けれど、肩の荷がおりた2人の足取りはとても軽かった。
「早く帰って2人にも伝えなきゃね!」
「どーせまた呑気にゲームしてると思いますけどね。」
「それは言えてるね。」
2人は顔を見合せ、呆れたように笑う。
達成感と安堵を胸に、会社への帰路へ着く。
その道中。
「……あの、先輩」
国崎が、いつになく改まった声で口を開いた。
「ん? どうしたの?」
「案件が終わったら、伝えようと思ってたことがありまして……」
「伝えたいこと?」
「はい」
国崎は頷いたものの、その先が続かない。
実莉は不思議そうに首を傾げた。
「なに、改まって」
その一言に、国崎の心臓が跳ね上がった。
相澤と晃にも相談して。
応援してもらって。
今日こそ、伝えると決めたのだ。
仕事が終わったら。
二人きりになれたら。
この気持ちを真っ直ぐに伝えよう、と。
今がその時なのだ。
国崎は人気のない路地でゆっくり足を止めた。
実莉も数歩先で立ち止まり、振り返る。
バクバクと心臓がうるさい。
(言わないと。伝えないと)
好きの二文字を伝えるだけ。
たった一秒で終わる、簡単なこと。
なのに、まるで喉につっかえたかのように、その簡単な言葉が出てこない。
沈黙に首を傾げる実莉。
国崎の様子がおかしい。明らかに。
呼吸も早いし、汗もかいている。
口をぱくぱくとさせ、こちらをチラチラと伺う姿は、まさに――
(金魚……?)
眉を顰めながら、数メートル先にいる国崎の様子を窺う。
遠くに響く街の喧騒に紛れ、蝉の声だけがはっきりと聞こえてくる。
日の当たらない場所とはいえ、コンクリートからジリジリと暑さが伝ってくる。
(そういえば今日、猛暑日だったな)
ハッとした。
「あ、もしかして……体調悪い? 熱中症?!」
慌てた顔で国崎へ駆け寄る。
「あ、いや、違くて」
「やっぱり! 顔赤いし……! とりあえず、そこのコンビニ入ろう!」
「いやっ、これはその!!」
「ごめん、すぐ気づくべきだったのにね」
「実莉さん!!!!」
「へっ?!」
いつもとは違う呼び方に、実莉は目を大きく開けて国崎を見た。
「み、みのりさん……?」
実莉は思わず復唱する。
しかし構わず国崎は続けた。
「あの、体調は全く問題ないんです。ただ、聞いてほしいことがあって」
「うん、なんでも言って」
実莉は心配そうに国崎を見つめた。
国崎は一度、深く息を吸った。
今度こそ。
今度こそ、言うんだ。
「実は……」
実莉は静かに、国崎の言葉を待った。
そして。
「のん先輩、ラスクロやられてますよね?」
「へ」
沈黙。
お互い顔がどんどん青ざめる。
(ちがーーーーーーう!! それ聞くの今じゃないーーーーーー!!)
国崎は、自分の口から飛び出した言葉に頭を抱えた。
ちらりと実莉の顔を見る。
完全に固まっている。
終わった。
変なやつだと思われた。
せっかくの告白のチャンスを、自分で台無しにしてしまった。
頭を抱えたまま俯く国崎。
一方、実莉は観念したかのように、小さくため息をついた。
「……やってるよ、ラスクロ」
「へ?」
今度は国崎が固まった。
「本当はね、晃くんとも五年前にこのゲームで知り合ったの」
「そうだったんですか」
思いがけない告白に、国崎は目を瞬かせた。
てっきり、いつもみたいに、ゲームをしていること自体を隠すかと思った。
真剣に語る実莉の言葉に、国崎もだんだんと冷静さを取り戻していく。
「じゃあ、なぜ昨日、やってないって嘘ついたんですか?」
「……」
沈黙の後、実莉が小さく答えた。
「知られたくなかったの。バリキャリ気取りの私が、ゲームしてるだなんて」
「イメージを崩したくなかった……と言うか、みんなに笑われるかもって怖くて」
俯きながら、静かに語る実莉。
いつも自信に満ちていて、仕事もできて、周囲から頼りにされている。
国崎にとって、そんな実莉は憧れの先輩だった。
けれど今、目の前にいる彼女は、少しだけ不安そうな顔をしている。
そんな一面を見せてもらえたことが、なぜだか嬉しかった。
「実は俺、何となく気付いてました。ラスクロは、のん先輩とあっくんの共通の趣味だって」
「……うん」
「あっくんが羨ましかったんです。のん先輩と同じ趣味を持ってるのが」
国崎は苦笑しながら頭をかいた。
「だから……俺ものん先輩との共通点が欲しくて、こっそりラスクロ始めました。動機が不純ですみません」
「そっか……」
実莉が地面を見つめる。
そして、
すっと顔を上げて首を傾げる。
「……どうして、私と同じ趣味が欲しかったの?」
不思議そうに尋ねる実莉。
その瞬間、国崎の心臓が再び大きく跳ねた。
(きた。この質問)
いよいよ、伝えなければ。
けれど、
不思議なことに、さっきほど緊張していなかった。
きっと、実莉が自分の話を真剣に聞いてくれたから。
自分の弱さを見せてくれたから。
今なら言える。
国崎は実莉をまっすぐ見つめ、小さく息を吸った。
「好きだからです。実莉さんのこと」
「……えっ」
その瞬間。
街の喧騒も、蝉の声も聞こえなくなる。
まるで時が止まった世界に、二人きり取り残されたかのようだった。
そんな静かな世界に、国崎の声だけがやけに大きく耳に響いてくる。
「ずっと、単なる憧れだと思ってました。でも、違ったんです」
国崎は頭をかきながら、困ったように笑った。
「あ……」
あまりにも突然のカミングアウトに、頭が追いつかない。
まさか、国崎が自分にそんな感情を抱いているなんて、想像もしていなかった。
国崎は、職場の後輩だ。
明るくて、人懐っこくて、少し不器用で。
一緒に仕事をしていると、自然とこちらまで笑顔になってしまう。
そんな存在だった。
けれど、それはあくまで職場の後輩としての話。
少なくとも、実莉はそう思っていた。
「実莉さんのそばにいたいんです。……単なる職場仲間としてじゃなく、恋人として」
「えっと……」
何か言わなければ。
そう思うのに、言葉が出てこない。
戸惑う実莉を見て、国崎は優しく微笑んだ。
「急でびっくりさせちゃいましたよね。返事は急ぎませんので」
「え、ええ……」
実莉が小さく頷いたのを確認して、国崎は歩き出した。
「とりあえず、職場に戻りましょ! 行きますよ、のん先輩!」
先を行く国崎の背中を見つめる。
いつもの彼に戻っていた。
いや、もしかすると、いつもの彼に戻ろうとしてくれているのかもしれない。
自分が困らないように。
今までどおりに接することができるように。
そんな彼の気遣いが、実莉にはありがたかった。
「……」
胸の奥が、落ち着かない。
国崎の言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
好きだからです。
実莉さんのこと。
恋人として。
(……私、どうしたらいいんだろう)
実莉は、頬を両手で一回、軽く叩いた。
切り替えなくちゃ。
今はまだ、仕事中だ。
それに、国崎だって、きっと勇気を出して伝えてくれたのだ。
ちゃんと考えなければ。
彼の気持ちにも、自分の気持ちにも。
「よし」
小さく呟いた後、小走りで国崎の後を追った。
照りつける太陽は、相変わらず容赦がない。
けれど、先ほどまでとは少しだけ違う景色が、そこには広がっていた。
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